第16話 逃げきれず、捕らわれて➀

 時計の音でレイラは目覚めた。

 どこか、建物の中だった。意識が混濁していて、一体何が起こったのか思い出せない。意識を取り戻して最初に認知したのは、見覚えのない古びた天井だった。そして木材と微かにするチョークの匂い。壁にかかった丸い時計。使われていない学校のようだ。ここは保健室だろうか。彼女はベッドに寝かされていた。

 レイラは視線をゆっくりと下ろす。天井を過ぎ、そばに立つ人物を捉えた。


「リュウさん……」

「お前は何も見ないで、何も考えないで、ずっと俺の隣に居れば良かったんだ」

 低い声が耳に響いた。

「あれは雨の日だったな」

「え?」

「あの雨の日、俺はお前を見つけた。どれだけ調べてもお前の素性が分からず、捜索願が出ていないと分かった時、こいつは俺と同じだと思った。親もいない、信用できる人間、守ってくれる奴もいない。それでも生きていかなきゃいけない。俺たちはきっと似た者同士なんだと。だから傍に置いておきたかった。お前とならば、生きていけると思った」

「……」

 レイラは何も言えなかった。

「そう思っていたのは、俺だけだったのか」

 リュウジはベッドに腰かけた。レイラは起き上がりベッドに座る彼の横顔を伺う。

「ごめん。謝って赦されるなんて思っていないよ。でもね、あたしは仇を討ちたいの」

「仇?」

「あのね、あたしすべて思い出したんだ。あたしが何者か聞いてくれる?」

 怪訝な顔をしたリュウジに、レイラは自分の過去を説明した。


 幼い頃から隔離された場所で育ったこと。ある日突然、集落のみんなが殺されたこと。家族のこと、仲間のこと、ショウとの関係も包み隠さず。家族を殺した人間を探し出して、仇をとりたいことも最後に付け加えた。

「そうか。レイラの事情は分かった」

 話し終えると、『大変だったんだな』とぽんと頭に掌を載せる。切れ長の目が優しくレイラを包んだ。

「お前の家族には気の毒だが、今回の件も含めて、大きな力が働いていることは間違いない。俺は警察組織にいたが、そんな事件を聞いたことがない。今、お前が生きていれば困る奴らがいるんだろう。だが、うしろの闇ばかり振り向くな。前を向け」

「リュウさん……」

「お前達はテロリストになっているんだぞ。ここを出て行って捕まれば、間違いなく殺されるだろう。国や警察組織はそう甘くはない。簡単に命を無駄にするな。今ならまだ間に合う。俺と共に来い。今の俺ではどうすることも出来ないが、お前一人を守ってやることくらいはできる」

 ああ、それがリュウさんの優しさなんだとレイラは思った。彼を裏切り、逃げ出したあたしと共に生きようと考えていると思うと嬉しくて涙が出そうだった。

リュウジはフッと短い息を吐いて、一瞬目を逸らした。髪をかき上げ、鋭い視線をこちらに向ける。

「それに、あいつのもとには行かせない」

『あいつ』

 レイラの脳裏に蹲るショウの姿が蘇った。

 ショウ、無事だろうか。一瞬しか見なかったけれど、足の動脈は撃たれていないようだった。でも弾が骨にあたっていたら。体内に残っていたら。痛みに苦しむ彼の様子を想像して、胸が痛んだ。

「リュウさん、どうしてショウを撃ったの? ショウは……」あなたを傷つけることは、しない人だと言いかけた時、リュウさんの表情が曇り強引に顎をつかまれた。

「その名前を言うな」

 瞳を食い入るようにのぞきこまれ、レイラは微かに震えた。こんなに近くにいるのに、リュウジがとても遠くて怖かった。

「俺が大嫌いだって言えよ。憎いだろ。お前の大切なあの男を撃ったんだぞ、早く言えよ」

 リュウジに急かされて、小さな声で呟いた。

「リュウさんなんて」

 そこまで言って唇を噛む。

「オレなんて?」

 そう問い返す彼を、思い切り睨みつけた。

「言えないよ。大嫌いなんて言えないよ。でも、あたしはやらなきゃいけないの。たとえ殺されても、敵の正体を暴いて仇はうちたい。どうしてみんなが殺されたのか、ちゃんと理由が知りたい。それにリュウさんに守ってもらうなんて、今更できないよ」

「……そうか」と答えて、彼はそっと距離を縮め、左手も伸ばした。また薬で眠らされると思ってレイラは身構えた。だが彼は両手で優しくレイラを抱きしめた。

「え? リュウさん?」

 彼はレイラを抱きしめたまま動かない。

「分かった。やるべきことが終われば戻って来い。少しだけ猶予をやる」

「ねぇ、リュウさ……」

「少し黙ってろ」

 リュウジはゆっくりとレイラの髪を撫でる。レイラが本当にここにいるのか、確かめるみたいだった。数10秒後、彼はそっと手を離し部屋を出て行った。

「ごめん、もうリュウさんの元には戻れない……」

 レイラが呟いた言葉は、果たして彼の耳に届いたのかどうか分からない。


 二人の様子を黙って天井裏から見ていた女がいた。かつてはレイラと共にTNTのメンバーとして共に任務を遂行していたアンだ。

 彼女は、リュウジがいなくなると静かに建物から離れた。ポケットからスマホを取り出して通話ボタンを押した。

「レイラを見つけたわよ。私、こんな真似はしたくなかったのに。でもレイラを引き渡せばリュウジは不問にするのよね。その約束だけは守って」

 アンの言葉に、電話の向こうにいる男はにやりと笑って頷く。

『分かっているって』

「それにしてもあんたが一枚噛んでいたなんてね。レイラは何者なの?」

『それは知らなくていい。早くレイラを連れてきて。リュウジに見つかる前に』

「そう急かさないで。あんたもこっちに来ればいいでしょ」

 アンは不機嫌な声で電話を切った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る