第14話 逃亡
その日のうちにマンションを出て、二人は県外に出た。ショウが連れてきたところは、ごく普通のワンルームだった。彼はレイラに黙って警察を去った後に、一人で住むつもりだったらしい。
「ええと、とりあえずお邪魔します」
「そんな、お邪魔しますって。今更、他人行儀だね」
ショウが苦笑する。
「そういうつもりじゃないけど、なんとなく」
レイラも苦笑を返し、玄関に足を踏み入れた。
無駄なものは置かれていない。あるのはパイプベッドが一つだけの部屋だった。
「ここが新しい部屋だよ。偽名で借りているから、数日なら大丈夫だと思うけど、警察が見つけるのは時間の問題だよね」ショウが困ったように微笑んだ。
「そうだね。全国の警察官があたしたちを探しているんだから、長居はできないね」
「これ、新しいスマホ。今までのは、電源を切っていても微弱な電波を感知されるから、捨てておいた」
ショウから受け取ったスマホの電源を入れる。テレビ画面のアプリを起動させると、ニュースが流れていた。
『なお二人は拳銃を所持し、現在も逃走中とのことです』
画面にはレイラとショウが映し出されていた。レイラはTNTを抜けたのだ。命を狙われると覚悟はしていたが、秘密裏に殺されるだろうと思っていた。公開手配されるのは予想外だった。
「レイラ、大丈夫?」
ショウが心配そうに顔を覗き込む。
「ええと、大丈夫だよ。でも、これからどうなるんだろうって思ったら、ちょっとだけ不安かな」
「不安か。僕もそうだよ」
困った顔の彼を見て、いたたまれない気持ちになり、レイラはとりあえず微笑んでみる。すると、戸惑いがちに身体ごと抱き寄せられた。
「きみにこんな決断をさせてよかったのか、とか、不安と後悔の連続さ」
「えっ」
顔を上げ、ショウの顔を見ると、彼は悲し気な表情でレイラを見つめていた。
「それでも僕は、レイラがまたこの腕の中からいなくなったら耐えられない。十年前と同じ気持ちは、もう二度と味わいたくないんだ」
ショウが耳元で囁いた。彼は続ける。
「レイラが笑っていてくれるだけでいいなんて言ったけれど、あれは嘘だ。僕はずっとレイラと共にいたい。二度と失いたくない。10年間、僕たちは逢うことはかなわなかった。けれど、レイラのぬくもりを忘れたことなんて、一度もなかった。積み重ねたぶんだけ想いが強くなるというのなら、僕はリュウジくんに負ける気はしない」
「ショウ……」
彼の指先が肩に回される。彼はレイラを軽々と抱き上げた。
「新居にようこそ。お姫様」
「ショウは王子様のつもり? そんなキャラじゃないでしょ。あたしも王子様を待つお姫様じゃないし」
「確かにそうだね。ねぇ、僕たち前にもこんな会話した?」
「たぶん」思わず苦笑いをした。
彼はレイラの身体を優しくベッドに下ろした。
「でもいつか、レイラの王子様になりたいと、ずっと思っていたよ」
幼い頃、ショウと一緒に読んだ本を思い出す。王子様がお姫様を迎えに来るシーンに感動したのは、レイラよりもショウだった。ごっこ遊びをするときも、彼は事あるごとに王子役をやりたがった。レイラは一緒に戦う戦士役が良かったのに、彼の熱意に負けて、お姫様役をやらされのだ。
ショウは悪戯っぽく笑いながら、指先を絡めてくる。
「レイラの記憶が戻った時は、本当に嬉しかった。このまま僕が分からなかったら、どうしようかと思ったよ」
顔を近づけて、彼がふわっと微笑む。
「あたしね。記憶が戻って、本当は不安だった」
レイラは素直に零した。記憶が戻ったとき、彼との距離間に悩んだ。一緒にいるべきなのか、どうなのか。本当は、触れることも、近付くことも、怖かった。大切な何かが壊れていくようで怖かった。いっそのこと、記憶が戻らないままでいた方が、楽だったかもしれないとも思った。けれど、やっぱり、彼を一人にはできなかった。ずっとあたしを探してくれていた彼と、共にいたいと思った。
「不安なんて、何もないよ」
ショウが優しく頭を撫でてくる。
「レイラを傷つけるすべてのものから、僕が守るから」
「守るんじゃない。あたしたちは共に戦うんだよ」
レイラの言葉にショウは「あ、そうか」と笑った。慈しむように口づけられていく。彼のキスを受け止めながら祈った。これ以上、辛い事が起こりませんようにと。
薄暗い室内に自分以外の呼吸が聞こえる。そっと首を動かすと、隣に眠るショウが視界に入った。彼はすやすやと眠ったままぴくりとも動かない。それでも微かに上下するシーツが、彼が生身の人間であることを証明していた。
じっと見つめていると、ショウの瞳が薄く開いた。
「どうしたの? まだ、暗いよ」
「起こして、ごめん。眠れなくて」
謝るレイラを見て、ショウは急に真面目な顔をした。
「あのさ、レイラ。すべてが終わったら、二人で一からやり直そう。僕たちの仲間が殺されたのは、『僕たちにある特異な血を残すわけにはいかない』と考えた奴らがいたからだと思うんだ」
「ジェノサイドされたってこと?」
レイラの問いにショウは頷き、続ける。
「いくら僕らの先祖が放浪の民だからって、子孫をずっと一か所に集めて、周囲から隔離していたのは不自然だよ。きっと僕たちの特殊な能力を恐れていた奴がいたんじゃないかな。人間は自分達とは違う得体の知れない者が、力をもつことを嫌う。だから僕たちは狙われた。大きな力によって抹殺されたんだ。だからきっと、僕たちの血を残すことが、最大の復讐だよ」
「あたしたちは気づかないだけで、監視されて生きてきたのかもしれないね。周囲から隔離して、秀でた力を外の世界では決して使わないように見張られていた。けれども、何かが起こった。集落の全員を皆殺しにしなきゃいけないような、何かが。そしてあの惨劇は誰にも知られることなく葬られた。外の人たちに共有されることがなかった記憶は、簡単に歴史から忘却されてしまう。実際、あたしたちの存在はなかったものにされているし。ショウの言う通り、敵が恐れているのはあたしたちが生き残ること。みんなの意志を引き継いで、絶対に生き延びよう。あたしたちが存在していたと後世に残す。それが最大の復讐なのかもしれないね。それで、ショウは犯人たちの素性をどこまで知っているの?」
「犯人に警察官がいた事だけしか分からないんだ。だからまずは戻ってみよう。僕たちが暮らしていたあの場所に、何かヒントがあると思う」
「もう10年も経ったのに?」
「10年経った今だからこそ、見えることもあるよ。あの時は一人だったし、あまり長居はできないから早々に立ち去ったんだ。もしかしたら、当時の家は片付られているかもしれない。けれど、どうなっているのか行ってみたいんだ。これからの準備をして、数日したらここを出よう」
表情を緩め、ショウはふんわりと微笑んだ。そっとレイラを抱きしめる。
「だから今はゆっくり休んで」
レイラはショウの肩に頬をよせ、再び眠った。
町中にある防犯カメラや人の目を潜り抜けるのは、至難の業だ。それでも、カメラがない山奥や荒れ地を通りただ歩き続けた。
物心ついた時から住んでいた場所がおかしいなんて、疑ったことは一度もなかった。確かに携帯電話も、テレビもなかったし、おもちゃもゲームもなかった。けれども衣食住に困らなかったし、13歳になれば外の世界に出られると教えられたら、そんなものかと思っていた。特殊な能力のある子供にとって、外の世界は危険すぎるといつも言い聞かされていたのだ。
先に集落を出たお兄さん、お姉さんが帰ってくることはなかったが、外の世界がそれだけ楽しいからだと大人たちは言った。
憧れていたお姉さんが出て行ったきり戻って来ないのは寂しかったが、自分が外の世界に出れば、簡単に会えると思っていた。パパとママも13歳まではここで育った。
そして思う存分、外の世界を楽しんだから、戻って来たのだと教えてくれた。他の大人たちも同じだった。
ただ、外の世界の人はこの集落に入れないらしく、集落以外の人と結婚すれば、二度と戻って来られないとも教えてくれた。集落全体が完全に外の世界と一線を画していて、濃い血で繋がった、大きな家族のようだった。
レイラの中では、まだ見ぬ外の世界は楽園だった。有名なテーマパークがあると教えてくれたのはママだった。早く大人になって、ショウと行きたいと話すとママは『それは素敵ね』と穏やかな顔で微笑んだ。
ちょとした諍いや問題が起こると、いつも長老が諌めてくれた。集落は平和で秩序が守られていた。
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