そして、逃避行

第13話 覚悟の逃避行

 翌朝、レイラはのっそりとベッドから這い出た。結局一睡もできなかった。それでものんびりと寝てるわけにもいかない。


「よし、気合を入れて頑張ろう」

 独り言を言いながら、制服に着替える。今日は警務部に顔を出そうと、正面玄関に向かった。警務部は3階。エレベーターは混んでいるから階段を使う。出勤時間、階段を使う人も多い。

 2階の交通部フロアと交わる踊り場に着いた時、廊下を歩いてくる人影が見えた。制服姿のリュウジだった。速足で駆け上がろうとした時、彼と目が合った。彼は何も言わなかった。レイラの胸がちくりと痛んだ。


「白兎さん、ちょっと」

 警務部のフロアに着くと、噂好きの先輩に呼び止められた。

「あなた、秘書なのにこんなところにいて良いの? 高垣管理官、昨夜刺されて入院しているんでしょ?」

「え?」

「もしかして、何も聞いていないの? 管理官、重症らしいよ。女遊びが過ぎて、トラブルになったんじゃないかって話」

 深刻な顔をするレイラを見て、先輩は嬉しそうに喋り続ける。

「白兎さんって管理官と付き合っていたのよね。知らないってことは捨てられた? でも良かったじゃない。刃傷沙汰のトラブルに巻き込まれなくて」

「あたしと管理官はそんな関係じゃありません!」

 レイラは思わず声を荒げて、その場を離れた。


 レイラの脳裏にはショウとの記憶が蘇ってきた。小さい頃からいつも一緒だった。一緒に勉強して、くだらない事で笑いあった。告白された時は嬉しかったし、ずっと一緒だと思っていた。

 あたしはショウを失いたくない。ショウのいない人生なんて無理だ。


 レイラは覚悟を決めた。


 先輩から聞いた病院にも、住所として登録している警察官舎にも彼の姿はなかった。嫌な予感がしたレイラが向かった先は、もう一つの住所。ショウが借りているマンションだ。チャイムを押して、ノックをしても応答はない。外にある電気メーターを見上げると、世話しなく動いていた。居留守を使っていることは明白だった。

 こうなったら、ベランダから入ってやる。そう思った時、ガチャと控えめに玄関のドアが開いた。

「だから、ここに来ちゃいけないって言っただろう」

 咎めるような口調で、ショウがドアから顔を出す。

「刺されたって聞いて。とりあえず、入れて」

 

 レイラは半ば強引に部屋の中へ押し入った。部屋の中は以前よりもっと殺風景だ。いや、物がほとんどない。

「これは、どういうこと? ショウは犯人を知っているんでしょ。だから、昨夜そんな怪我を……」

「ごめん。刺されたのは嘘だよ。ちょっと芝居をしただけ。上手く騙せたと思ったのにな。今日、返事をするって言った手前ね、レイラと顔を合わせたくないからさ」

 彼は気まずさそうに「この通り、かすり傷一つないよ」と言って腕をブンブンと振った。

「そんな、子供みたいな嘘ついて。あたしがどれだけ心配したと思っているの?」

「心配してくれたんだ。嬉しいよ」

「まずは昨日の返事を聞かせて」

 レイラは単刀直入に尋ねた。

「僕を手伝いたいと言ってくれたのは素直に嬉しいよ。でもね、レイラを危険な目に遭わせるわけにはいかない。それに、きみの傍にいると辛い。だから、近いうちにレイラの前からいなくなるよ」


 彼の口から出る言葉はなんとなく予想できた。病院や官舎にいなかった時、黙って姿を消すつもりだろうと脳裏に浮かんだのだ。実際、もう少し後に来たら、彼はここにいなかったのだろう。

「いなくなれば、僕の存在は次第に忘れるよ。レイラはリュウジくんと幸せになればいい」

 ショウは曖昧な笑顔を浮かべている。


 レイラは真っ直ぐに彼を見て、一気にまくし立てた。

「あたし、全部捨てる。ここに来るとき覚悟を決めたの。急に現れてあたしの記憶を戻して、それでいなくなるなんて許さない。ショウが刺されたって聞いて、気が気じゃなかった。あたしだって大切な家族を奪ったやつらを許さない。一人で戦うなんて絶対にさせない。だからお願い。何処にも行かないで」

「本当にそれでいいの?」

 ショウは短く息を吐いて真顔でレイラを見つめた。

「だって、私たちはあの日、大切な人を失って。その想いは同じはずでしょう。だから、一人で行かないで。お願い」

 彼は優しくレイラを抱き寄せた。

「少しだけこうしていいかな」

「あたし、この10年間で得たものを全て捨てる」

 彼の胸の中にいるレイラの声がくぐもる。

「リュウジくんはどうするの? ちゃんと説明できるの?」

 レイラは顔を上げショウを見た。彼はまた曖昧な笑みを浮かべていた。

「あたしを助けてくれたリュウさんには感謝しても感謝しきれない。リュウさんはあたしを絶対に赦さないと思う。ううん、赦してもらおうと思わない。だから」


 結局、黙って姿を消すことにした。我ながら卑怯だと思う。最後に見たリュウジの顔を思い出し、レイラはなんとも言えない不安感に襲われた。


 白兎レイラが職務を放棄し、忽然と消えた。彼女は、警察から与えらていたエアウェイトとコンバットマグナムを持ち出したまま姿を消していた。 

 入院中だったはずの警備部管理官、高垣翔も行方不明だ。

 彼女のロッカーには、辞表が残されていた。交際相手と噂される高垣翔を男女関係のもつれから殺害し、逃走しているのではと囁かれたが、街の防犯カメラには二人が連れ立って歩く姿が映っていた。

 警察官が拳銃を携帯したまま所在不明になっている事案だけに、直ちに緊急配備が発令された。


 白兎レイラはともに姿を消した高垣翔と共に、全国に指名手配された。

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