第12話 仲間の気遣い
とりあえず家に帰ろうと、レイラはのろのろと歩いた。家までの道のりが、とても遠く感じた。
「レイラ」
背後から名前を呼ぶ声に振り向けば、トウリが立っていた。買い物帰りだろうか、両手にスーパーの袋を下げている。
「どうしたの? 元気ないね。あ、リュウジと喧嘩でもした?」
「ううん、違うよ」
「あ、そうだ。高垣翔の正体、分かった?」
レイラは黙って首を横に振った。
「俺も手伝うから何でも言って。あいつ、あんまり良い噂を聞かないし、気を付けた方がいいよ」
レイラは曖昧な表情で「うん」と頷いてから、トウリの両手を見る。彼が持つ袋には見える限り、全て食糧が入っていた。
「ねぇ、トウリって何人家族なの?」
「え? 一人暮らしだけど」
トウリは首を傾げる。
「その量、一人で食べるの? てっきり両親とか兄弟とかいるのかと思った」
レイラは目を丸くして彼を見る。ニコニコと笑っていたトウリの表情が微かに曇った。
「俺は一人っ子だよ。母さんは俺が15の時に亡くなったんだ。父はいるけれど、ずっと会っていない」
トウリはフッと短い息を吐いた。彼は続ける。
「父は仕事一筋で、母さんを見殺しにしたんだ。まぁ、あの人が母さんを殺したようなものだから」
スーパーの袋を下げたトウリの手が小刻みに震えていた。
「お父さんには会わないの? トウリの気持ちを話してみたら? 家族なのに」
「家族だからって何でも許されるものじゃない。あの人のしたことは、決して許される事じゃないんだ。母さんは身体が弱っていた。それなのにあいつは……」
トウリの辛そうな顔を見て、レイラは思わず両手を合わせて、詫びた。
「ごめんね。嫌な事を思い出させて」
トウリは弱弱しく微笑んで、首を横に振る。
「早くレイラの記憶が戻るといいね。家族のことを思い出して、逢えるといいね」
「うん……」今度はレイラが弱弱しく微笑んだ。二人はしばらく無言で歩いた。
トウリは突きあたりの道を右に曲がり、レイラは左に曲がった。トウリと別れ、またレイラは一人、とぼとぼと歩いた。彼女の脳裏には様々な思いが巡っていた。
家族、あたしの家族はみんな殺された。私の目の前で殺された。そしてショウは一人で復讐をしようとしている。あたしがリュウさんと別れたら、チームを抜けたら、共に戦ってくれるのだろうか。あたしだって記憶が戻ったからには、家族を殺した奴らを見つけて復讐したい。となると、もうTNTにはいられない。個人的な事情で、勝手な捜査をすることは許されないのだ。アンだって好きな人がいたけれど彼を諦めたと言っていた。記憶が戻り、対象者になっているショウと通じているとみんなに話したところで、あたしの過去を信じてくれるだろうか。だいたい、誰も知らない、どこにも記録がない事件なのだ。それに、ショウと恋愛関係だったのは事実だ。ショウと一緒にいたいから、記憶が戻ったあたしが話しをでっちあげ、班を抜けようとしていると思われるかもしれない。そうなると余計にみんなを傷つけるだろうな。殺された家族、友人、一緒に任務をこなしてきたチームのみんな、一人でも戦おうとしているショウ、そしてリュウさん。
やっぱり、リュウさんに正直に言おう。
そう思ったレイラは鞄からスマホを取り出し、リュウジの番号をコールした。
『どうした』
「ちょっと会って話がしたいんだけど」
『話ってなんだ』
「いや、ええと。とりあえずゴハンでも一緒にどうかなって」
突然別れたいと言ったら彼はどんな言葉を返すだろうか。そう思いながら言葉を選ぶ。
『今日は行けない。話があるならチームの部屋に来い。夜十時ごろなら会える』
腕時計を見ると、午後8時だった。
「分かった。待っているね」そう答えて電話を切った。
午後10時。ドアが開き、リュウジが入って来た。彼は制服ではなく、黒のスーツ姿だ。入って来るなり上着を脱ぎネクタイを緩めた。
「仕事、忙しいの?」
「班長が話した件を掘り下げている」
リュウジはパイプ椅子に座りながら言った。リュウジは何事にも真面目だ。仕事も絶対に手を抜かない。いつもストイックにトレーニングして、自分自身をも追い込んでいた。
「無人島で行われている違法薬物の製造の件か。それで何か分かったの?」
今回の任務も、まだ班長から具体的な指示は出ていない。それでも、彼はいつもできる限りの事をする。だからこそ、レイラは彼に嘘をつくことが心苦しかった。
「無人島の目星がついた。現在の所有者は外国人。偽名で国籍も不明。前の所有者に聞いたところ、『穏やかな海が気に入った。この島を別荘として使いたい』と破格の金額で購入を提示されたらしい。今は島に侵入する経路を探っている。それより、お前の話はなんだ」
「あのね、もしもあたしの記憶が戻ったらどうする? リュウさんに出会う前のあたしが、どうしてもやりたいことがあって、別れたいって言ったら……」
「それは仮定の話か、それとも現実の話か」
話を遮り、彼はレイラを見つめた。
「え、ええと。現実、いや仮定の話かな?」
「お前の話はそれだけか」
しどろもどろに答えるレイラを、リュウジは鋭い目で見つめていた。
「いや、今日リュウさん変だったでしょ。ほら、本部内で声をかけることなんて、なかったのに。何でかなぁって思って」
レイラの質問には答えず、彼の右手がそっと動いて指鉄砲を作った。指先はレイラに向けられている。
「もしも裏切ったら……たとえお前であろうと俺は許さない。それだけだ。忙しいから戻るぞ」
リュウジはレイラに背を向けて部屋を出て行った。彼との距離がとても遠く感じたレイラは重い足取りで部屋を出る。
夜の本部内は静かだった。廊下を歩いていると、ひたひたと足音が聞こえる。巡回の人だろうか、とレイラは前から歩いてくる人影を見つめた。
「どうした。定時に帰れるお前が、こんな時間に何をしているんだ?」
「エイジ班長は何をしているんですか?」
レイラは質問を質問で返した。
「やっと帰るところだよ。任務が忙しかったから会計課の仕事が溜まっていてな。途中まで一緒に帰るか」
「はぁ」
「ああ、そうだ。これをお前に」
班長は鞄からカードらしきものを二枚差しだした。一枚は保険証で、もう一枚は脳神経外科の診察券だった。
「あ、もう頭痛はすっかり治りました。大丈夫です。睡眠不足だったのかな」
レイラは努めて明るく言った。
「いや、念のために行っておけ。頭痛は記憶喪失に関係しているかもしれん。もしかしたら、何か思い出すきっかけになることもあるだろう」
その記憶を思い出してから、頭痛はすっかり治っていたのだ。心配そうにレイラを見る班長に、何一つ本当の事は言えなかった。レイラの心がチクリと痛む。
「本当に、今は大丈夫です。また調子が悪くなったら使わせて下さい」
「そうか」
班長は渋々と言った様子で、保険証と診察券をしまった。
「ところで、リュウジとは仲良くやっているか」
「ええ、まぁ」レイラは曖昧に微笑んだ。
「どうした? 痴話喧嘩でもしたか。あいつは昔から頑固だからなぁ。まぁ、レイラが相手でも遠慮はなしってところか」
「リュウさんは何も悪くない……です。あたしが、はっきりしないから……」
「それはどう言う意味だ?」
班長は怪訝そうにレイラを見た。これ以上何か聞かれるとすべて話しそうで、レイラは慌てて話題を変えた。
「いえ、なんでもないです。それよりも、班長はどうしてペットを飼わないんですか? あんなに動物が好きなのに」
ああ、と班長は何かを思い出すようにゆっくりと目を瞑った。
「好きだから、飼わないんだ。こんな仕事をしていると、いつ命を落とすかもわからない。そうしたら誰が世話をする? 全国を飛び回っているのに、留守の時はどうする? 俺がまだ中学の時にな、課外授業で市内にある『県動物センター』へ行ったんだ。市内と言っても、市街地から離れた山あいにある建物だ。そこで、年間数千頭の犬猫が殺処分されると知った。それでも職員の人は、最期の瞬間まで世話をする。殺処分されるまでは生きているんだから、餌をやり、糞尿の始末をするんだ。そして、世話をした動物の命を自らで絶たせなきゃいけない。本当に酷な仕事だった。俺には到底できないと思った。でも、誰かがやらなきゃいけない。そういった仕事が世の中には多数存在するって、身をもって知ったよ。そして、追い打ちをかけるように、働いている職員に心無い言葉かける人間がいることも知った。誰が悪いって、職員じゃない。少し考えればわかることだ。悪いのは飼えなくなったからなどと簡単にペットを捨てた人間だ。俺は当時、それほど動物に愛着はなかった。殺処分という単語は知っていたが、全く無知だったんだ。いや、無知というよりも無関心だな。無関心ほど恐ろしいものはないと、あの時に知ったよ。だからあの日から、自分ができることをしようと決めたんだ。だから、飼わない。何事も現実を知ること、やれることをやること、当たり前だがこれが俺のモットーなんだ。まぁ、仕事も一緒だ。なんてちょっとカッコつけすぎたか」
「いえ、そうですよね」
「レイラは時々、警察本部に来た小学生を案内しているんだろう。子供たちはこの国の宝だ。いろんなことに触れさせて、いろんなことを考えさせてやってくれ。俺も、中学生の記憶が今でも残っているんだ。そして、それが今の俺に何かしらの影響を与えている。子供だからって侮らないで真剣に向き合ってくれよ」
「はい……」
レイラは先日の社会科見学で熱心に話を聞いてくれた彼女を姿を思い出した。
あたしのような警察官になりたいと言って、握手をしてくれた女の子。あたしがみんなを捨ててここから逃げ出したら、彼女の夢まで奪ってしまうのかもしれない。そう思うといたたまれない気持ちになった。
班長はアパートで一人暮らしをしている。アパートの方角は、レイラが住む警察官舎とは別方向だ。
「またな」
「さようなら」
班長と別れて、レイラはまたとぼとぼと歩いた。官舎まではあと数百メートルなのに、とても遠く感じた。
部屋に戻り、とりあえずシャワーを浴びた。何も食べる気が起きない。とにかく寝ようとベッドに横になった。
けれども眠れなかった。明日の夜、ショウから連絡がある。彼が共に戦ってくれるなら、班のみんなには何て言えばいいのか考える。
『現実を知ること。今、やれることをやること』
ふと、エイジ班長の言葉が脳裏を過った。あたしの家族が、見知らぬ誰かに殺された現実。何故、集落が襲われたのか、誰が何のためにあんな惨いことをしたのか。それを知るために生き残ったあたしが今、やれること。
10年間傍にいてくれたリュウさんやみんなを裏切るのは辛いけれど、あたしにはやるべきことがある。記憶が戻ったからには戦うべき相手がいるのだ。
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