第11話 秘密と罪悪感
こう続けて呼び出されると、気が重い。
「高垣管理官の身辺調査と並行して、もう一つ事件の協力要請があった」
エイジ班長がホワイトボードに日本地図を張り出した。海上の至る所に赤い印が付けてある。どうやらショウの話ではなさそうだと思ったレイラは、ほっと胸をなでおろした。
「日本のどこかの無人島で違法薬物を栽培、製造している奴らがいる。現在マトリと生安、捜査二課が合同で捜査が行っている。場所は現在不明。この赤い印がある全国の島を一つずつ洗っているところだ。奴らの国籍、身元も調査中。万が一の場合、こっちでも応援に向かうから、そのつもりでな」
班長は数枚の写真をデスクに並べた。様々な植物が写されている。
「ああ、なるほどな。この花は『ケシ』、この実はアヘンの材料だ。この化合物がモルヒネ、それがヘロインになる。こっちは『カンビナス・サティヴァ・エル』、大麻草だ。そしてこれは『コカノキ』この葉はコカインの原料になる」
リュウジが写真を指さしながら淡々と説明を始めた。
「リュウジの言う通りだ。あと、ここではアンフェタミン・メタンフェタミンも製造されているという噂だ」
班長が付け加える。
「かなりヤバい組織が背後についているね。早く場所を特定したほうが良いよ。目星はついているんでしょ」
トウリがふっと息を吐く。
「おい、レイラ」
突然リュウジに名を呼ばれ、レイラは我に返った。
「あんた、聞いてた?」アンが怪訝そうにレイラを見ている。
「え? あ、うん」
「レイラ、最近変だぞ。ずっと頭痛がするって言っていただろう。一度病院に行ったほうがいい。保険証はこっちで用意するから」
班長は心配そうな顔でレイラを見ている。
「ええと、頭痛は大丈夫ですよ。いや、平和だなぁって思って」
「この任務のどこが平和なのよ」
レイラの答えにアンが口を尖らせた。
「高垣管理官はどうなった。あいつの正体は掴めたのか」
班長の問いにレイラは「ああ」とぎこちなく口を開いた。
「あれはただの軽い男じゃないかな。今朝も受付の女の子に話しかけてたし。あの人の身辺調査はもういいんじゃないですか? 見たままの人間だと思うし」
ゆっくりと言葉を選びながら答えた。
「あっさりと引くなんて、レイラらしくもないよ。レイラはいつも、しつこいくらい対象者を疑っていたじゃないか」
トウリがメロンパンを頬張りながら怪訝な顔をする。
「そ、そうだね。やっぱり、もうちょっとあいつの周辺を調べてみるよ」
レイラは何とか取り繕った。
「よし、今日はもう解散だ。レイラ、ちゃんと病院に行けよ」
班長は険しい顔でレイラを見ている。
「はぁい」とレイラは渋々頷いて、部屋を出た。
「レイラ、ちょっと」
レイラが勤務するフロアに戻ろうとすると、リュウジが背後から彼女を呼び止めた。彼は顎で合図する。どうやら、ついて来いと言っているようだ。レイラは黙って彼の後に続いた。
暫く歩いた後、リュウジが止まったのは頑丈そうなドアの前だった。ドアの前には赤字で『書庫・関係者以外立ち入り禁止』と記されている。彼は慣れた手つきでパスを入力してロックを解除すると、レイラの手を掴んで中に入りドアを閉じた。
ドアを閉じた途端、レイラの背中が壁に当たった。彼の左手は肘まで壁に付いていて、レイラの頬を包んだ。
壁とリュウジの身体に挟まれた空間は驚くほどかった。頬を包んでいた彼の手が滑り、顎に添えられる。くいと顎を上げられると、彼の鋭く真っ黒な瞳に捕られた。
「レイラ、分かっているだろうが」レイラの耳の低い声が鼓膜に響く。
「え、何? リュウさん、なんか変だよ」
レイラは思わずとぼける。庁舎内で彼の方から接触するなんて初めてだった。
「俺たちを裏切れば、お前に残されるのは『死』のみだ。何か困っているなら、俺に話せ」
「あたし、何も困っていないよ。あるわけないじゃん。一体どうしたの?」
レイラは精いっぱいのつくり笑顔で言った。こんなことで彼を騙せるはずはないが、彼を巻き込みたくはなかった。
「そうか……。わかっているならいい。突然、悪かったな」
ポツリと零すと、リュウジはレイラから離れて書庫から出て行った。
レイラはその場にへたり込んだ。いつもは単刀直入に聞いてくる彼のらしくない態度が、胸に刺さった。リュウジを裏切ることはできない。それでも、家族を殺したやつらは許せない。そいつらが、この世界のどこかで生きているのは絶対に許せなかった。
数日後、レイラの足はショウの家へと向かった。この時間、彼がいるのは警察官舎。チャイムを鳴らすと『はい』と短い返事が帰って来た。
「高垣管理官。白兎です。ちょっといいですか。スケジュール調整の件で、見て頂きたいものがあったので。すみません、家にまで押しかけまして」
官舎に住んでいる他の住人に怪しまれないよう、あくまでも秘書の態度で呼びかける。ショウはレイラの下手な演技に苦笑いしながら、ドアを開けた。彼は赤いチェックのシャツにブラックデニムというカジュアルな格好だった。もともと童顔なので、実年齢もずっと若く見える。
「どうぞ。話なら中で聞こう。ちょうど僕も、頼みたい警備部のファイルイングがあったんだ」
部屋に通されたレイラはソファに座る。ショウが出してくれたハーブティーを口に含むといい香りがして緊張がほどけた。
「今日は飲んでくれるんだ」ショウが悪戯っぽく笑った。
「この前はあまりにも怪しかったから。それよりショウはみんなを殺したやつらのこと、どこまで知っているの?」
レイラが身を乗り出して聞くと、ショウは少し困った顔をした。
「うーん。その話はしないって決めたんだ。レイラには幸せになって欲しいし」
レイラは手を伸ばし、ショウの手を握りしめた。彼は驚いた顔で、レイラを見つめた。
「あたしも大切な人たちを殺した犯人に復讐する。お願い、みんなを殺した敵の話を教えて」
「レイラ……」
ショウは目を見張り、レイラが握る手に力を込めた。
「それから」
レイラは唇を噛んで、一息ついた。
「ショウとは、共に戦う仲間として生きていきたい。あたしも一緒に復讐を果たしたい。でも、あなたの気持ちには応えられない」
「そう……か。分かった」
ショウがそっと手を離し、乗り出しかけていた身を引く。
「一緒に戦わせて。お願い。あなたの恋人にはなれないけれど」
「レイラ、僕はきみが幸せならそれでいいんだ。無理して僕と一緒に戦う事はない。もしかしたら、敵は警察組織にいるかもしれない。そうなればきみは、警察と僕との間で二重スパイになる。鋭いリュウジくんを騙せるとは、到底思えないよ」
「でも……」
レイラが何も言えないでいると、ショウはレイラとの距離を縮めた。
「僕の初恋はレイラだった」
「は? 何の話?」
「もう一度、告白なんてものをしてみたんだ」
「いや待って。だからそれは」
「できればこのまま帰したくないとか、正直、思わなくもないんだけど」
「ちょ、ちょっと待って」
少しずつ距離を詰める彼をレイラは両手で押しとどめる。
「そうだな。僕も恋人でも作ろうかな。こう見えても僕、結構モテるんだよ」
「あのさ、いい加減にして」
「じゃあ、レイラに一つだけ教えてあげる」
ショウは諦めたような微笑みを浮かべ、シャツのポケットから一枚の写真を撮りだした。
「これは、僕たちが襲われた現場に落ちていたものだよ。何か分かるよね」
写真に写っていたのは長さが8センチほどで、レイラが良く知っているものだった。
「警察官の階級章。階級は巡査部長」
戸惑いながら答えるレイラに、ショウは頷いた。
「あの集落に警察は常駐していなかった。僕も外の世界に出るまで、警察官に会ったことはなかったからね。でも、これが落ちていたんだ」
確かにあの集落に警察官はいなかった。会った事もなかった。レイラが初めて会った警察官はリュウジだった。彼女はそれまで『けいさつかん』の単語すら知らなかったのだ。
「この階級章、いつ見つけたの?」
「事件の後、しばらく経ってだよ。いなくなったレイラを探しに、こっそりと集落まで戻ったんだ。海に浮かぶ島にあったし、高い塀の囲まれていたから、外から侵入するのは容易じゃなかったよ。集落は無人で、血しぶきも壊された家屋もそのままだった。遺体だけは全て片付けられていた。僕が持っていた写真は、その時に見つけた。レイラが住んでいた家に落ちていたんだ。その後、色々と調べて分かったんだけど、あの事件は誰も知らないんだ。当時の新聞を調べたけれど、どこにも載っていなかった。集落を襲ったやつらは極秘裏に遺体を始末した」
「それって、あたし達を襲った犯人の中に警察官がいたってこと?」
ショウは険しい顔で頷く。
「最初はこれが何か分からなかった。ある日、警察官の階級章だとわかったけれど、どうすることもできなかった。そしてしばらくしてから、僕は高垣翔という他人に成りすましたんだ。経歴をいろいろと詐称し、ハッキングをしたり身上データを改ざんしたりして、キャリアの警察官として警察内部に入ることが出来た。警察内部に入って色々調べたけれど、あの事件はどこにも捜査された形跡がなかった。事件が存在していないんだ。40人もの人間が一斉に惨殺されたというのにだよ。捜査もしない、ニュースにもならないっておかしいだろう? 階級章の識別番号も調べたけれど、該当者は誰もいなかった。いや、いたはずなのに、所持していた人間の形跡を消されていたんだ」
「その本人が自らの存在を消したの? あたしたちの家族を殺したやつは、今でも警察内部にいるの?」
レイラは矢継ぎ早に質問して、彼に詰め寄った。
「そこまでは分からないよ。階級章の持ち主が、事件にかかわったのかも含めてね。でも、僕だってここまで来れたんだ。元々警察内部にいた人間が、その存在を消すことだってできるだろう」
「ねぇ、やっぱりあたしも一緒に手伝わせて。警務部の資料を見れば何か分かるかもしれないし」
「いや、でも」
「お願い、ショウ」
レイラがどんなに懇願しても彼は首を縦にはふらなかった。ショウはフッと溜息をつく。
「レイラの気持ちは分かったよ。一晩考えさせてほしい。明日は秘書の仕事も休みにしよう。明日の夜、僕から連絡するから、今日はもう帰ってくれるかな」
半ば追い出されるように、レイラはショウの部屋を後にした。
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