第10話 仲間には秘密
招集がかかれば、拒否するわけにはいかない。重い足取りで部屋に向かい、指紋と網膜をスキャンしドアを開ける。部屋にはすでにみんなが集まっていた。平静を装い席に着く。
「レイラ、あいつの正体を掴めたか」
席に着いた途端、エイジ班長が徐に切り出した。レイラは言葉を選びながら慎重に答える。
「女好きで軽いノリの上司って事だけだよ。あたしの正体も最初から知っているみたいだったし、警察庁からあたしたちがきちんと任務をこなすか、命令でもされているんじゃない? おちょくっているだけだよ、きっと。あの人が何か大きな組織と繋がっていて事件を起こすとは到底思えない。あたし、もう秘書を辞めてもいいかな」
「レイラが弱音吐くなんて珍しいじゃない。セクハラでもされた? 私が代わってあげようか。あの坊や、ちょっと興味あるし」
「やめとけアン。お前が関わるとややこしくなる」
班長が釘を刺し、アンは頬を膨らませた。
「あいつは何かを企んでいる。写真の件はどうなったんだ」
リュウジがレイラを見る。何かを見透かされているようで、レイラは嫌な汗をかいた。
「そ、そうだ。写真ね。なんか彼女の写真だったよ。それもたくさん。一人じゃなかった。お気に入りの子の写真をスクラップしている感じ。だから、あいつはただの女たらしだと思う。やっぱりあたし、もう少し頑張るよ。叩けば埃の出る身体だとは思うから」
とりあえず、頭に浮かんだ単語を早口でまくし立てる。
「あんなのがいずれ組織のトップに立つなんて不安だな。その前に尻尾を捕まえないと」
やれやれとトウリが首を振る。彼はスナック菓子の大袋を片手に持ち、もぐもぐと食べ始めた。
「あんたねぇ、いつも何か食べ続けるの止めなさいよ。病気になってロクな死に方しないよ」
アンが呆れた顔でトウリを睨む。
「ほおっておけ。こいつは、食べ物につられてここのコックに転職したんだ。厨房でも味見ばっかりしてやがる」
エイジ班長が苦笑いをした。
「確かに食堂のコックって、本部内で一番、トウリにぴったりな仕事だよね」
レイラは出来るだけの笑顔を作り、リュウジに話しかけた。
「ああ、そうだな。こいつに警察官は無理だよ」
リュウジは、冷ややかな目でトウリを見る。
「そんなことないよ。でも、確かにコックの方が向いているかなぁ」
口の中にお菓子を放り込みながら、トウリは笑った。
レイラは夕方、アンに声をかけられた。
「レイラ、ジムに行かない? 最近疲れているみたいだし。汗を流して、思いっきり筋肉を動かした方が良いよ」
警察本部近くにあるスポーツジムは、仕事帰りの人たちでそれなりに賑わっていた。アンと二人で一通りマシンを使い、空いているベンチに座る。
「あんた、髪の色変わったね。出会ったときは真っ黒だったのに」
レイラの両親は黒髪だった。でもここ最近、髪の色素が少しずつ薄くなっている。今は見事な栗色だ。
「なんだろう。遺伝だとすれば、レイラはクォーターとかなのかもね。瞳の色も薄いし」
アンはレイラの顔を覗き込んで髪を一房手に取った。
レイラは一度も祖父母に会ったことがない。集落に長老はいたけれど、あの人は違った。長老はいつも穏やかで、にこにこしていた。話し相手になってくれる、優しいおじいちゃんだった。彼もあの日に殺されたのだ。
あの日の惨劇を思い出して、レイラは思わず目を瞑った。
そういえば以前、両親ともに短命な家系だと話してくれた。レイラが産まれる前にはみんな亡くなっていたようで、祖父母には会えないねとママは言っていたのだ。先祖の誰かが、こんな栗色の髪なのだろうかと思いを馳せる。
どんな顔だったのだろう。目の色は、肌の色は、声はどうだったのだろうか。会った事もないので、どうしても顔が思い浮かばない。なぜかショウの顔が浮かんで、慌ててかき消した。
アンはくるくると表情を変えるレイラを、不思議そうに見つめていた。視線を感じたレイラは慌てて話題を変えた。
「あ、そうだ。アンは今までに班を出たいって思った事はないの?」
アンは何かを思い出すように遠い目をした。
「あるよ。一度だけね。入ってすぐに好きな男が出来て、それが対象者だったんだ。あの頃は若かったからなぁ。でも簡単に抜けられないでしょ。もしも男と逃げたりしたら殺されるって班長に言われたんだ。この仕事は誰にも喋っちゃいけないから、口封じなんだろうね。私は班長に無理を言って仲間にしてもらった。だからあの時は色々悩んで諦めたんだ」
「そんなことがあったんだ。大変だったね」
「あんたさ、それってもしかして」
アンがぐっと顔を近づける。
「レイラ、私達を裏切ったら許さないよ。助けてもらったリュウジの恩をあだで返すことは……」
「嫌だなぁ。そんなの分かってるって」
「高垣翔」
アンが鋭い視線を寄越した。彼女の口から出た名前にレイラの心臓が早鐘を打つ。
「え?」
「レイラ、私達に隠していることない? さっきも言ったけど、もしも裏切ったら容赦なく殺されるんだよ」
それは知っている。レイラがこのチームに入った時に班長から聞かされていた。対象者に情報を漏らしたり、仲間を裏切って逃げ出したり、TNTの存在を外部に漏らしたりすれば容赦なく殺される、と。
また、任務で死亡しても、事故や自殺に偽装されるとも言われた。どの任務にも公権力は一切関っていない、班はあくまでも私的もので、もしも存在が表に出れば、班長以下班員が勝手にやったこととして扱われるようだ。
エイジ班長はレイラに、それでも班に入るか確認した。どうやら、リュウジたちには詳しく伝えないまま仲間にしたようで、彼はそれを後悔していた。とはいえ、リュウジもアンもそれを聞いたところで、気持ちが変わることはなかっただろう。
裏切れば殺されるなんて、レイラだって百も承知だ。
「あのねぇ、あたしはみんなを裏切らないよ。それより、アンに家族はいないの? 滅多に連絡も取れないから心配しているんじゃないの?」
記憶が戻ってからのレイラは時々、家族とのことを思い出した。優しかったパパとママ。可愛くてちょっと生意気な2人の妹。たしか、ショウには弟がいたはずだ。
あの事件さえ無ければ、みんな平和に暮らしているはずだった。レイラは思わず拳を握りしめる。アンは硬い表情のレイラに微笑みかけた。
「家族はいないよ。この世にだけど。両親は私が幼い頃、殺されたんだ。家族3人で出かけた先でね。通り魔による無差別殺人ってやつ。私の両親は犯人にめった刺しにされて亡くなって、他にも大勢の人が怪我をした。一人になった私を引き取ってくれる親戚もいなくて、それからは児童養護施設で育ったんだ。その頃、リュウジに会ったんだけど、怖かったなぁ。5歳も離れていたのに、優しいお兄ちゃんって感じじゃなかった。他のみんなは多少私に気を遣ってくれたけれど、リュウジには初対面で睨まれて、無視されて。あいつ、いつも無口で喧嘩が強くて、何考えてるか分からなかったな。ああ、今も変わらないけど」
苦笑いするアンにつられて、レイラも微笑む。
レイラはふと、気になることを聞いた。
「アンは両親を殺したやつに、復讐したいとか思わないの? もし助けが必要なら、力を貸すよ。そいつが今どこにいて何をしているとか調べる? アンがこんなに辛い思いしたのに、どこかでのうのうと生きているんでしょ? アンの両親が受けた苦しさを分からせてやろうよ」
両親を殺されたのなら、同じ気持ちじゃないかとレイラは思った。アンは『ああ』と言って遠くを見つめる。
「そいつはもう死刑になったから、この世にはいないんだ。でも、なんとなくやりきれなくてね。色々思うところもあって、ここに入ったの。私みたいな子供を作りたくなかったし。でも訓練はきつかったな。あれ、人間がする事じゃないって。何度も死にそうになったし。精神的にも肉体的にも限界まで追いつめられてさ。その点、レイラはすごかったよ。あっという間に何でもこなしてSクラスに合格してさ。ただ世間知らずでびっくりはしたけれど」
「あはは、そうだったね」
確か、電話や自動販売機の使い方さえ知らずに驚かれたことがあった。集落には、そういった類のものはなかったのだ。
「まぁ、私は他に生きる道がなかったから頑張ったけど、レイラは最初からこの仕事が天職みたいだったね。外国語もすぐに喋れるようになったし、運動神経は化け物並だし」
「そうかなぁ。あたしも苦労したよ」
アンはレイラが加入する2年前に班のメンバーになっていた。
確かに訓練は厳しかった。B、A、Sの3段階に分かれていて、合格しなければ次のクラスには進めなかった。
途中でリタイヤはできたが、その場合は行える任務が限られていた。今の班は全員Sクラスの訓練を合格している。アンがSクラスに合格したのはレイラよりも後だった。
Sクラスの訓練は人気のない山奥で数か月にわたって行われた。実戦さながらで軍事的なトレーニングをさせられたり、かと思えば何日間も窓のない部屋に閉じ込められたり、人間の持っている力を限界まで引き出そうとするような訓練だった。どんな状況下に置かれても、身体が対処できるようにと、肉体も精神もとことん酷使された。いつ、どこから、どんなふうに襲われるかも分からない。襲ってきたのは飢えた獣や軍事用ロボット。常に緊張感を味わい、飲まず食わずの日もあった。
ただ、その後の任務を考えるとあの訓練は当然の事だったんだろう。
レイラは訓練後初めて人を撃った光景を思い出した。そして、今は何の躊躇なく撃っていることも。
「アンは両親の顔とか覚えているの?」
「ああ、うん。写真とかも残っているよ。こう見えても、一人っ子で大切に育てられた箱入り娘だったんだから。事件の時、両親は逃げ遅れた私を抱きかかえて、盾になってくれた。二人が私に覆いかぶさって決して離れなかった。命が尽きても私を抱きしめた手を緩める事はなかったんだ。その感触は今でもはっきりと覚えているよ」
「そっか……辛いことを思い出させてゴメンね」
「私、レイラを本当の妹みたいに思っているよ。それは班長もトウリも同じだと思う。私達ってほら、家族みたいなものでしょ」
微笑みかけるアンは優しい姉のようだった。けれど。
「家族か……」とレイラは呟いていみる。
アンにも家族はいない。こんなに辛いことがあったのに、前を向いて生きていく彼女を尊敬した。アンは尊敬の眼差しで見ているレイラに向かって、照れくさそうに微笑んだ。と、思ったら少し意地の悪い笑みに変わった。
「まぁ、でもさ。リュウジは家族と言うよりアレでしょ」
「アレって?」
「過保護すぎる旦那」
「ははは」
「ほら、噂をすれば」
アンが指さした先にはリュウジがいた。レイラは立ち上がりリュウジに歩み寄る。
「リュウさんもトレーニング?」
「ああ」
それだけ答えて、彼は黙々とマシンを動かし始めた。
「あいつ、興味ないふりして、いつもレイラのことを気にかけているよね。面白いからつい、いじりたくなるんだけど、あんまりやるとマジで切れるからさ。めんどくさい奴だよ」
アンが嬉しそうに笑った。
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