第8話 河童

「で、警察の取り調べやらなんやらで、昨日は休んでた訳ね」

「うん。お父さんと警察は泥棒だと思ってるみたい」

「そりゃねえ。河童とか言われたって、見えない人にとっちゃ、ただの妄言だもの」


 昼休み、加奈は学校の図書室で、佐藤が自宅で河童に襲われたという話を聞いていた。

 佐藤が河童に襲われた時、河童は何か理由があって逃亡したが、駆けつけた父親は泥棒だと思ったらしく、警察まで出張ってお世話になったという話。

 警察での取り調べに、病院での診察、父親が佐藤のことを気遣った結果、昨日は学校を休ませられたそうだ。


「河童が逃げた理由に、心当たりはあんの?」


 昼休みの図書室ということで、加奈は声を抑え気味に話していた。


「うーん。このキーホルダーを掴んだら、逃げ出したんだけど……、関係あるかな?」


 佐藤が見せてきたのは、小さなひょうたんの形をしたお守りだった。


「ああ、これ水天宮すいてんぐうのひょうたん守だ」

「水天宮……、ってどこの神社?」

「福岡県にある神社。私もこの間、じいちゃんから農協の旅行のお土産でもらったなぁ」

「水天宮……」と佐藤はスマホで調べだした。「出てきた。あめのみなかぬしのかみ? とか祀ってるみたい」


「ひょうたんのお守りって、確か水難除けのじゃない? 誰が買ってきたの?」

「……多分、お母さんだ。社員旅行のお土産でもらったんだ」

「結構前のだけど、まだ御利益あったんだねぇ」


 加奈は先日から借りていた本を見返して、水天宮の一文を見つけた。


「そうだそうだ。平家と河童の話で見たんだ。水天宮は河童調伏の機能を発揮してるって」

「水難除けは全然だったのに、そっちはちゃんと利くんだね……」

「川遊びの時に持って行かなかったんでしょ」

「……そうかも」


 指先でひょうたんをテーブルの上で転がしながら、佐藤は物憂げに呟いた。


「生きてる内は効果を発揮しないで、河童になってからこれのせいで逃げなきゃいけないなんて、可哀想なお母さん……」


 菜々美のそんな呟きを聞きながら、加奈は妙な不安を覚えた。


「あんたさ、母親に同情するのはいいけど、狙われてるのは自分だって分かってる?」

「……結局は、私のせいだから……。お母さんに川に引きずり込まれるなら、それはそれで良い……かも、ね……」

「……うざっ。何? 私、あんたが殺される手伝いでもさせられてるの? だったらもう手伝わないけど?」


 佐藤はぼんやりと、どこを見ているのか分からないおぼろな眼差しのまま、ひょうたんを指で弾いた。

 こちらの話を聞いているのか聞いていないのか不安になる顔だった。


「お母さんが死んだ時ね、親戚の人とか、学校の先生とか、クラスの友達とか、みんなすごく優しくなったんだよ。『辛かったね』とか『泣きたかったら泣いて良いからね』とか、そんな風に何度も言われてさ、まるで、期待されてるみたいだったから、泣いた」


 突然、佐藤の顔が、くしゃくしゃになった紙くずみたいになって、歪んだ。


「そしたら……、自分のせいで死んだお母さんを悲しむなんて、すごく、嫌な子供だなあって、思って、惨めさと罪悪感で、涙が止まらなくなった……」


 佐藤の顔は、泣いている訳でも、悲しんでいる訳でもなく、ただ苦しそうに歪み、加奈の目には……、


「私……、お母さんに殺されたいよ……」


 佐藤の頭に、皿が乗っているように見えた。


 河童――――!!


 加奈は気がついたら、佐藤の頬を引っぱたいていた。

 バチン――ッ!

 と小粋の良い音が図書室いっぱいに響いた。


「は……? なんで……、叩いたの……?」

「……さ、皿が乗ってたから……」


 加奈自身、自分は何を言っているのだと思ったが、核心を突いているという心があったため、そのまま口に出した。


「意味分かんないけど」


 だが、当然のことながら、佐藤にはまったく伝わらなかった。

 その結果、佐藤から報復を受けた。

 もう一度、図書室に頬を叩く音が響いた。

 じんじんと加奈の頬が痛んだ。


「お返し」と佐藤がふくれっ面で言った。


 加奈は自分の行為を棚に上げて、この野郎! と苛立ちを覚えた。

 加奈は再び、佐藤の頬を引っぱたいた。


「なにすんの!」

「うっさい!」


 再報復とばかりに佐藤の手が振り上げられると同時にその腕を掴み取り、加奈は今一度、佐藤の頬を張った。

 佐藤は負けじと加奈のおでこに頭突きを食らわせて、怯んだ隙に手を振りほどいた。


 すると、すかさず佐藤の張り手が加奈の頬を打った。

 もはや何のための喧嘩か分からなくなるくらい、余計にヒートアップした結果、体育教師と生活指導の教師が出張って来て喧嘩を止められるレベルにまで発展し、加奈は佐藤と二人して教師のきつい雷を落とされることとなった。

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