第6話 あずきバー

 菜々美の目の前で、台風が巻き起こっていた。


「早速約束破ってんじゃん!」


 菜々美の自宅のリビング。

 父方の実家である河之辺町の自宅は数年前にリフォームしたばかりであり、全室フローリング貼り、リビングには対面式キッチンが付いていた。

 そのキッチンの冷凍庫から取り出したものが、問題になっていた。


「お、落ちついて加奈ちゃん」

「うるさい! 『ちゃん』付けで呼ぶな!」


 加奈は乱心していた。

 それもそのはず。菜々美は加奈と交わした三つの約束の内、一つを早々に破ってしまっていたのだ。


「なんで、どうして……、どうして、ハーゲンダッツじゃなくて、あずきバーなんだよ!!」


 菜々美が冷凍庫から出したアイスは、あずきバー。

 リビングのテーブルに箱買いしていたあずきバーを置いた瞬間、加奈は風神となったのだ。


「よく考えたんだけど、こんな田舎じゃハーゲンダッツどころか、お店自体が通学路にないんだよね。ごめん。引っ越してくる前の感覚でいたから」


 学校が終わったらコンビニで買えばいいやと思っていたのだが、コンビニなんて車で行かないと寄ることができない町なのだと失念していたのだ。


「いや、うちの方角にはあるよ! スーパーと駄菓子屋が一軒ずつ! あと地味に都会風吹かすの止めろ! 出戻りのくせに!」

「どうする? 今から買いに行く? うち、あずきバーの買い置きしかないんだ」

「いや、いいわ。次来る時までに買い置きしといて」


 加奈は渋々といった様子で、あずきバーを一本口に咥えつつ、放課後の学校の図書室から借りてきた本をリビングのテーブルに置いた。


「とりあえず、ちょっと調べた感じだと、亡霊が河童になったって話は……、まあ、あることはある」


 加奈は文庫本を一冊手に取り、パラパラと捲った。


「あるって言っても、平家の亡霊が河童になったって話だけど」

「平家って……、平家物語とか壇ノ浦の戦いとかの、あの平家?」

「そっ、あの平家。壇ノ浦で生き残った平家一門が、筑後の高良山で最後の決戦に挑んだけど、やっぱり負けて、みんな筑後川で溺死したんだって。その霊が河童になって、それを鎮めるために雲八幡宮の筑後楽が始まったって話」


「筑後楽……って何?」

「河童踊りってやつ。平家の亡霊と河童を結びつけるのは、九州には割とある伝説らしんだけど、あんまり一般的じゃないね」

「も、もしかして、うちの家系は平家一門の生き残り……!」

「あー、はいはい、そうかもね」

「流さないでよ!」


 加奈は渋々協力してくれている割には、かなり真剣に調べてくれているようだった。

 ハーゲンダッツの一つや二つ程度のお礼では、不足しているのかもしれない。


「でさ、あー……、聞かなきゃいけないことあるんだけど」


 加奈は聞きにくそうに言葉を濁して言った。


「……お母さんのこと?」

「……あんたの母親が化けて出るような心当たり、あるって話だったじゃん。それ教えてもらわないと、調査も進展しない。だから、教えて」


 菜々美はテーブルに出しっぱなしだったあずきバーの箱を冷凍庫に戻して、棚からコップを取り出した。

 冷蔵庫の麦茶を注いで、一息に飲み干した。


「まあ、あんまり、大した話じゃないけど……」


 菜々美はそう前置きしつつ、俯き加減に話し始めた。


「小学校三年生の夏休みに、家族で山にある川に遊びに行ったんだ。そこで、私が川遊びしてたら、深いところにはまっちゃって……、お母さんが助けようとして川の中に入ってきたんだけど、一緒になって溺れたんだ……。遅れてお父さんが助けにきてくれたんだけど、私を先に助けてたら……、お母さんは、手遅れになった」

「……救助死ってやつか。それで、自分が溺れたせいで母親が死んだって思ってる訳だ。だから、母親の幽霊が自分の前に現れる?」


「だって……、溺れた時、お母さん……言ってたもの……。『どうして?』って」

「何それ。どゆこと?」

「分かんないけど……、お母さんが私を助けようとして一緒に溺れた時、『どうして?』って言ったんだよ」


「……今更、あんたの母親が何を言おうとしたかなんて分かんないだから、気にしたって仕方ないじゃん」

「そうだけど……」


 菜々美は思う。

 もしも、母親が菜々美を恨んで化けて出たのであれば、母親を成仏させてあげる必要があるのではないのか。

 それこそが、自分の義務なのではないのかと。


 加奈に協力を頼んだのは、彼女なら成仏させる方法を知っているのではないか、知らずとも調べる手立てがあるのではないか、と考えたからだ。

 少なくとも、素人の菜々美が手探りで調べるよりは、よっぽど良いはずだ。


「母親に関することは、それで全部?」

「うーん。もう一つあるけど……、関係あるかなあ」

「一応、気になってることは全部教えて」

「ええっとね、私がこの町から引っ越す直前に、お父さんと……なんか、白い紙の人形?を川に流したんだよ。当時、お母さんの事故のことで思い悩んでたから、そのモヤモヤを人形に移して川に流そうって話して」


「形代流しか。確か、少し前までこの辺でも毎年町ぐるみでやってたって、じいちゃんが言ってたなぁ」

「町ぐるみで毎年って、そんなに大っきなイベントあったけ?」

「河之辺神社が主催してたイベントだったんだけど、私らが小さい頃に、大雨で神社が土砂で潰れてからやらなくなったみたい。神社建て直す金もないし、少子高齢化が進んで町の人口も減ってたから」

「だから、お父さんは形代なんてもの知ってたんだ」

「罪や穢れを人形……形代に移して、川に流す儀式か……。まあ、河童とは関係ないかな」


 結局、この日は大した進展も見られずに、加奈は一時間かそこらで帰って行った。

 加奈を見送りながら、そういえば、今日の帰り道は河童に出会わなかったなと思った。

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