第4話 見鬼
綾野加奈は、人には見えないものが見えるタチだった。
見えるだけで何ができるということもなく、ただただ、見えるだけ。
小さい頃は、自分が見えるタチだということに気がつかなかった。
自分が見えるものは他の人にも見えるものだと、当たり前に信じ切っていた小さな時分、加奈は大いに傷ついた。
親からも、先生からも、クラスメイトからも「そんなものはいない」と否定され、それでも見えてしまうズレは、幼い加奈の心をすり減らした。
結果として――、加奈は明るくなった。
元気のある、明るい性格であるかのように振る舞うことで、うっかり
そうした巫山戯たような態度が常態化していくと、次第に加奈は、自分が自分に対して嘘を吐いているかのような気分になっていった。
本当の自分は傷つきやすく、落ち込みやすく、怖がりな弱虫だと知っているから。
だからこそ、彼岸のものを見ることができると、人には知られたくない。
知られれば、傷つけられる。
人と違うということが、怖い。
見えないものは、見たくない。
だというのに……、
「加奈さん、加奈さん。お話ししましょ」
幽霊だなんだと騒ぐ空気の読めないおかしな子にからまれていた。
名前は、佐藤菜々美。
小学校こそ違うが同じ町内出身の子だと、佐藤と同じ小学校だったクラスメイトから教えてもらった。
A組では、佐藤が心の病で長期間入院していたと噂が流れているようだが、空気を読むというコミュニケーション能力が欠如しているのは、長期間入院していたためなのかと、加奈は一人納得した。
「昼休みはごめんね、急に訪ねていって。少し聞きたいことがあって……」
「……なあにぃ?」
放課後の帰宅途中、傘を差すべきか悩む程度の霧雨の中、加奈は隣に並んだ佐藤を横目で見やった。
背は加奈よりも数センチ低く、真っ黒な長髪は二つに結んでいる。
丸っこい顔の中には、これまた丸く愛嬌のある目。ただし、瞳の中にはどんよりと濁った泥のようなものを感じる。
「あのね、昨日……、橋から落ちかけてた私を、助けてくれたでしょ?」
「……あー、あれね、あれ」
加奈は一先ず認めることにした。
ただし、一線は引く。
「ほら、私みたいなキャラが人助けってガラじゃないじゃん? だから、教室じゃ否定しちゃったんだよねえ。ごめんねえ」
「それは別にいいんだけど」
少しは気にしろよ、と口からでかかった。
「昨日ね、私が橋から落ちかけてた時……、何か見なかった?」
「何かって?」
「ええっと……、女性の、幽霊とか」
「あははははっ! あんた、面白いこと言うねえ!」
加奈は自分自身、少し大げさかと思うほどに笑い声を上げた。
「いいよ、そのキャラ。もうそのキャラ押してけば?」
「加奈さんって、そういうことに詳しかったりするんじゃないの?」
「なーんでそう思うのよ」
苛立ちを隠しつつ、佐藤の肩を軽く叩きながら言った。
「だって、藤原君から幽霊が見えるって言われてたし」
思わず舌打ちしそうになった。
秀樹には明日強く言っておく必要があると思った。
「あんなの子供の頃の冗談だって。真に受けんなよぉ」
急勾配な短い坂道を登り、昨日、佐藤が落ちかけていた橋まで出た。
対面から橋へ向かってくる軽トラックが見えた。ツバの付いた帽子を被った老人が、煙草を呑みながら運転しているのが見える。
加奈と佐藤が軽トラックを避けて橋の端っこ寄ると、向かい合わせになる形で、それの姿が目に入った。
「ちっ……」
今度は、抑えられずに舌打ちしてしまった。
何故ならそこに、彼岸のものが立っていたからだった。
河童だ。
背は小さく、佐藤と同じほど。頭に皿が見える。体は鮮やかな濃い緑。
異様なのは、顔が三十路過ぎの女性であることだった。
髪は黒く、胸元にかかるほど長い。眼は大きく見開かれ、爛爛と輝いている。口元がニタニタと意地汚く歪み、何か不気味なものを感じた。
軽トラックはその横を通り過ぎ、丁度、河童が立っている辺りに、運転手の老人が煙草を投げ捨てた。
老人は河童に対して何の反応も見せず、河童もまた、近くに落ちた煙草に反応を見せなかった。
走り去った軽トラックの音が聞こえなくなると、河童は動いた。
ぺたり。
ぺたり。
ぺたり。
こちらにゆっくりと近づいてくる。
「……お母さん……」
端っこに避けていた佐藤が加奈の隣に立って、そう呟いた。
見えている。
つまりそれは、佐藤も加奈と同じく見える側であるか、もしくは、この河童と佐藤が何らかの関わり合いを持っているか。
先の佐藤の発言から考えれば、恐らくは後者であろう。
「……ああ、もう……! どうして、私を巻き込む……!」
腹が立った。
この場で一番関係ないのが自分であるのに、見えるという一点で、巻き込まれている。
「私は、関係ない! 私を巻き込むな!」
加奈は一歩前へと足を突き出し、憎々しく目の前の河童を睨みつけると、口を開いた。
「いにしへの、約束せしを、忘るなよ。
川だち男、氏は……菅原」
加奈がそう呟くと、河童は気圧されたように後ずさり、橋から川へと飛び込んだ。
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