第3話 再会

 奈々美は昨日の帰り道で自分を引っ張ったものの正体を知りたかったが、それは好奇心からではなく、当所あてどない不安からだった。

 また引っ張られる、あるいは襲われるのではないかという不安……ではなく、どちらかというと、自分が何か大切なことを忘れているかのような不安だった。


 に引っ張られた時、恐怖は確かにあったが、同時に自分は安心していた。

 恐怖と安心が同居し得ることに、何か決定的な矛盾があるような気がしたが、その正体までは分からなかった。


 あれにはまた会わなければならないと、初恋のように惹かれる心が動く。

 もっとも、そこにあるのは甘酸っぱさではなく、霧のように立ち込める苦々しさなのだが……。


「彩花、うちの学年に茶色っぽい髪した背の高い女子いない?」


 あれに会った翌日、朝の会が始まるまでの間に、校内で唯一頼れる友達に質問をしていた。


「いっぱいいるねえ。バレないくらいに髪染めてる子なんて結構いるし」

「いっぱいいるか」

「いっぱいおるよ」


 クラスメイトへの聞き込み調査は早々に諦めて、菜々美はお昼休みを待った。

 待望のお昼休みは、単純に足を使った調査に頼ることにした。


 ひとクラスずつ覗き込んで、昨日見た女子の顔と同じ顔を探した。

 制服のリボンの色が菜々美と同じだったため、きっと同じ学年のはずだという考えは、果たして正しかった。


 隣のB組の一際目立つ三人グループの中に彼女はいた。

 机に腰掛け、両隣の女子の会話に相槌を打ちつつ、笑っていた。

 奈々美はズカズカとB組の教室に入り込んで、楽しそうに談笑するその女子の目の前に立って話しかけた。


「ねえ、話ししていいかな?」


 奈々美が話しかけると、目的の彼女だけではなく、両隣の二人もきょとんとした顔になった。

 しかし、両隣の女子は直ぐに調子を取り戻してくすくすと笑った。


「え? 誰、この子」

「加奈の友達ぃ?」


 加奈と呼ばれた目標の女子は、奈々美を一瞬睨み、直ぐに表情を崩して笑った。


「……知らないー。どちら様?」


 彼女が首を傾げると、校則をぎりぎり越えてそうな長さの髪が肩口で揺れた。


「あれ? 分からないの?」


 奈々美は困惑した。

 橋から落ちかけた人を助けるというイベントは、印象としては小さなものではないはずだが、それを忘れるとは、不思議なことだと思った。

 加奈は奈々美の言葉を受けて、また瞬間的に眉をしかめて、やはり直ぐに表情を戻した。


「マジごめん。覚えてないわ」

「ほら、昨日、私が橋から落ちそうになってたの助けてくれたでしょ?」

「えー、何それ? マジ加奈レスキュー隊じゃん」

「初ちゅーが人工呼吸とか、マジ萎えん」

「人工呼吸はされてないけど」


 変な冗談を言う子たちだなと奈々美は思った。


「いや、知らんし。何この子。怖っ。夢とごっちゃになってんじゃない?」


 加奈は一向に知らぬ存ぜぬの態度で、奈々美は思わずかっとなって、冷静さを失った。


「なんで知らないふりするの? 昨日、助けてくれたでしょ! 幽霊から川に引き摺り込まれそうになってた私を、引き揚げてくれたでしょ?」

「は?」と加奈は怒った顔をした。「何それ、幽霊とかイミフなんだけど……」

「おいおーい、加奈」


 加奈の言葉を遮って、近くの席に座っていた男子が茶化すような声を挙げた。


「なになに、まだ幽霊とか見えるわけぇ。しかも今度は、お仲間まで作っちゃったの? あいたたたぁ! 中学生にもなって、痛いよぉ!」


 明らかに馬鹿にするような口調で貶す尖り頭の少年に、加奈は怒った顔で立ち上がった。


「そんなの子供の頃の話でしょ! いつまで引きずってんの? 子供の頃の話をいつまでも持ち出してくるアンタが一番恥ずかしいつーの!」


 菜々美が外から観察するに、どうやら彼と加奈は幼い頃からの付き合いのようだった。

 加奈の熱くなった様子を見て、菜々美は逆に冷静さを取り戻した。


「あなた、誰?」


 菜々美は尖り頭の少年に尋ねた。


「はあ? お前が誰だっつーの」

「私は佐藤菜々美。昨日、A組に転校してきた。それで、あなたは?」

「……藤原秀樹だよ」


「そう。じゃあ、藤原君。先に加奈さんと話しているのは私だから、加奈さんと話したいなら順番守ってくれない?」

「は、はあ? 別に話したいわけじゃねえし?」

「そうなの? それなら、どうして私たちが話している間に割り込んで、加奈さんに話しかけたの? 藤原君が加奈さんのこと気にかけているからじゃないの?」


 菜々美があっけからんとした口調で指摘すると、藤原はわなわなと体を震わせて顔を真っ赤にさせた。


「ひゅー、マジ? 秀樹そうなのー?」


 教室のどこからか、からかうような声が届くと、藤原は勢いよく立ち上がった。


「そ、そんなんじゃねえし!」

「あれー? どこ行くんですかー?」

「トイレだよ!」


 藤原はクラスの男子陣からはやし立てられながら、逃げるように教室を出て行った。

 と、同時に予鈴が鳴った。


「あ……。ごめん、加奈さん。また今度、ゆっくり話そうね」

「え……。いや、もう来なくていい……」

「それじゃ、またね」

「いや、またねじゃなく!」


 菜々美は急いでB組を出て自分の教室へ戻った。

 また、放課後尋ねてみようと思った。

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