Bacchus

 自分が一番好きなのは、この瞬間。先輩の笑顔が一番とろける宴の時間。

「ライ、本当によくやった。今宵は楽しみながら俺以上に自分のことを褒めてあげろよ?」

「あの、先輩。それって自分がナルシストっぽく見えません?」

 柔和な眼差しがこちらを捉えた。祝杯が脇にあることを忘れさせるほど、真っ直ぐな気持ちが込められている。

「頑張って掴んだものがあるだろ。ならば上滑りの自画自賛じゃない。だからライはナルシストじゃなくて、褒めニストになるんだ」

 思わず笑いがこぼれたのは、言うまでもない。

「何ですか褒めニストって?」

「褒めるのが上手い人。まあ、あからさまに声に出さずとも、胸の中で表彰台を独占したらいいよ」

 また先輩の笑顔がとけた。褒めニストとして言わせてもらうと、その表情は全宇宙を相手取ったとしても、表彰台の中央に躍り出るのは確実です。

「じゃあ今宵の先輩は、お酒 つよニストです」

 笑いながら説明を促されたけれど、本人も恐らく気づいていると思う。その証拠に、グラスを満たす金色が、また静かに減っている。

「お酒強ニストは、美味しいお酒を嗜みながら、このお疲れ様会を心ゆくまで楽しんでくれる人です」

「なるほどな。任せろ。とことんまで付き合うぞ。遠慮は不要だ。そのために個室予約したわけだし」

「それって先輩はセーブするってことです? 先輩こそ遠慮しなくても」

「いいから黙って楽しめ主賓。大丈夫、案ずるな。俺はバッカスに愛された男だからな、酒は飲んでも飲まれない」

 見事な得意顔が妙に真実味をはらむものだから、にやけるなと言う方が無理というもの。

「な、なるほどですね。お酒の神様に、先輩が――――――ふふふっ」

「今に見てろよ」

 何とも軽快な滑り出しに、期待が膨らむ祝賀会。とびきり満たされた時間になるに違いない。そんな確信と共に、二杯目の乾杯をした。


 自分が成果を上げられたのは、日々励まし続けてくれた先輩のおかけでもある。その感謝を伝えるチャンスを伺ううちに、アルコールに陽気さと素直さをほだされていく先輩。はしゃぐ調子ではないものの、褒めスキルと肯定力が格段にアップしていた。


 そんな流れに乗じて、いつもの三倍甘えてしまうのが自分の悪いクセ。感謝を伝えるミッションを忘れ、気づけばお願いごとばかり。

 自分のエライところ五つ教えてください。

 自分に伸び代があれば、どんなところか教えてください。

 隣の席移っていいですか?

 そのお酒ひとくちもらっていいですか?

 ケーキを一緒に食べたいです。あーんしてください。


 最後の一文は却下されたけど、それ以外は全て受け入れてもらえた。そんな優しさに触れてしまったなら、疼き始める独占欲。慌ててケーキを口に含んで、音になるのを堰き止めた。


 自分だけのせんぱいになってください。


 そんなの、叶うはずないのに。


「ライ、ケーキ美味しくなかった?」

 フォークを舐めたまま動きを止めた様子が気になったらしい。彼の注目を一身に浴びていた。急いでフォークを引き抜き紛らわすものの、口内のケーキが邪魔をする。

「いや、あのっ、ケーキッコホッ!」

「ハハハハッ。落ち着け」

 渡された水で喉を落ち着けたら、心も落ち着くかと思ったけれど、予想通り熱は冷めない。

「せんぱい……あの……」

「うん?」

 優しい目元で続きを促してくれたのに、自分は応えることが出来なかった。こたえたら、もう二度と褒めニストになれない気がした。やっぱり何でもないです。いつもの諦念を口にする瞬前、彼に先を越された。

「あ、わかった。新しいお願いごとだろ」

 グラスを置き、空いた両手が忍び寄る。そして静かに両脇をすり抜けてぎゅっと背中を包み込んだ。しばらくして、ゆっくりと頭をひと撫で。温かい腕の中で、泣きそうになった。

「遠慮は要らないって、言っただろ」

 吐息の聞こえるこの場所で呼べるのが、先輩なんて肩書きでなく、貴方の名前であったなら。

「ライ」

 はい、じゃなくて、うんって、返せたらいいのに。

「よく頑張ったな」

 小声で紡がれる労い。彼にしては珍しく、まるでその場しのぎのような語気だった。何か別の言葉を浮かべていたんじゃないか、なんて、都合の良い思い込みを許してください。今だけは。



 そして翌朝。正確には翌日の昼下がり。休日の醍醐味である「目覚めたままベッドの上でゴロゴロ」を開始。フル充電になったスマホに手を伸ばすと、メッセージが一通。先輩からだった。無事に帰れたかと気遣う文に続けて、ひとこと。


「お願いだから、遠慮しないで」


 圧倒的に言葉が足りない。

 わざとかもしれない。

 それはこちらも同じかもしれない。

 そんなときは、こちらで補完するしかないので、勝手に解釈しちゃいますからね。


 これは、心の距離に対する遠慮だって。

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