今日のサンデビ〜前向きな日常〜
木之下ゆうり
二月十四日
ふとカレンダーを見やる。寒さの厳しい二月、週末にある十四日。
今でも気になる日だなんて言ったら、先輩に笑われるかな。
大人なんだから、そんな日に頼らなくても済む勇気が欲しい。
でも大人だから、貴方に近づく架け橋的な日がありがたい。
けれど結局今年もきっと、普通の日として終わるに違いない。せんぱいの横で過ごしたいなんて、夢のまた夢。
叶う兆しのない夢を持ち続けてもがき苦しむくらいなら、いっそ見切りをつけてさよなら。一瞬の苦しみを乗り越えればいい。別のルートを探るがいい。未来が明るいのはどちらだ。
そう理性に説得しておきながら、期待を手放しきれずにいる幼い自分の胸の内。諦めの悪いところが、本当に好きになれない。自分の言葉の辞書には、未練が最初に載っているはずだ。
「どうした?」
向かいから、こちらを心配する視線が刺さる。逃げるように俯いた。特に今は、受け止めきれないです先輩。
「すみません。ちゃんと仕事に集中します」
軽く笑う音がした。怒られるわけではないとわかり安心した。
「そうか。ちなみに俺は集中力切れ。カフェ行ってくるけど、何か要る?」
「行くます」
「んん?」
また笑う音が聞こえた。変な言い間違いをしたけれど、カフェまでご一緒出来ることになった。
こうやって隣を歩きたかったのに、急に何を話していいか分からなくなった。互いに無言のままエレベーターを待ち、地上階に降りて、奥のカフェを目指す。先輩と過ごす無言には慣れている。だけど今日はなんだか心地が違う。聞きたいことがたくさんあって、もどかしくて仕方がない。気持ちが言葉にうまく乗らずに、形に成れないまま喉元で溶け落ちる。
「ライ」
「はいっ?!」
先輩が指差す先にはメニュー表。その瞳は何かを言いたそう。
「いつものやつ?」
「あいっ、あ、えっと、はい!」
「大丈夫か? 落ち着け」
そうやって穏やかに笑う声が大好きです。十四日に、そう伝えられたら。
オーダーを終え、すぐにサーブされるいつものホットチョコレート。ビッグサイズ。隣からは濃いめブラックコーヒーの香りが漂ってくる。いつもの香りだ。
「先輩」
チョコレートで解れた心がほんの少しの勇気を出した。
「ん?」
「あの、少しゆっくり歩いて、ください」
「うん」
せんぱいの時間を、少しでも長くください。
「あの」
「うん?」
「先輩は、週末何処か出かけるんですか?」
「今週? いや、特に予定ないけど。何で?」
そして口に含まれるブラックコーヒー。
たくさん飲んでください。答えを告げる自信がまだ溜まっていませんので。
もちろん、テレパシーが通じるはずもなく、首を傾げる彼がいる。
「いえ、なんとなくです」
「そう? なんだ、バレンタインのことかと思った」
「えっ?!」
「一人寂しく過ごすんでしょって、言われるかと思って」
「そんなこと言うわけないじゃないですか! だって」
危ない、口が滑べるところだった。
「だって何?」
いや、既に滑っていた。先輩の興味津々の視線が注がれる。
「いやあ、あのー、ですね」
つまらない言い訳ならいくらだって思いつくのに。
貴方との間に、言い訳を作って逃げたくない。
だけどそうしないと、この関係が、壊れそうで。
あの笑い声は、自分が部下で貴方が上司だから響く音色なのに_____。
「せんぱい。あの、十四日、チョコ……」
声が小さすぎたらしい。彼は小首を傾げこちらを見つめるばかり。
喉元まで出かかった覚悟が一気に失速。覚悟は意気地なしに名前を変えて、次の言葉を書き換えた。
「やっぱり、何でもないです」
「十四日なら空いてるって言ったじゃん」
「え?」
「美味しいチョコを一緒に買いに行って欲しいっていうお誘いかと思ったんだけど、違うのか? チョコのためなら何処へでも行きそうなのにな。さすがのライも、バレンタインチョコは物怖じするんだな」
「え?」
先輩には天然気質なところがある。それはそこはかとなく気づいていた。けれどこんなにも良いように受け取めてくれるなんて、もはやテレパシーが通じてもおかしくない先読み能力の持ち主。遥か彼方から、覚悟と勇気が猛ダッシュで心に戻ってきた。
「せんぱいっ! 十四日、朝七時にお迎えにあがりますね!」
「はえーよ! 俺んちで購入戦略でも立てるつもりか」
「はあい」
「はあい、じゃねーよ。と言うか何で俺んち知ってんだ」
そうやって穏やかに笑う声が大好きです。
十四日に、全てを変えられるとは思いません。だけど、期待を手放さないことに決めました。自分の言葉の辞書の最初には、大好きがある。そう貴方に教えてもらえましたから。
「ライ」
「はい?」
「楽しみにしてるからな」
せんぱい。やっぱり十四日に、全部変えていいですか?
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