第29話
裕作は紐付け針の説明書を戻して木箱を閉じ丁寧に紐でくくると、元あった場所に隠すようにそっと木箱を置いて倉庫を後にした。
ビールのお供に簡単なつまみを作り、居間でつつきながら、裕作は紐付け針の説明書に書いてあった一文に考えを巡らせた。
紐付け針に身体が接していれば、縁切りハサミで切った縁の切れ端が見える——それが本当ならば、紐付け針を身につけて萩野のおっさんの縁を確認すれば遠藤さんとの縁の切れ端が見えるのだろう。
切った直後には縁切りハサミでも見ることができるが、時間が経過すると紐付け針でないと見れなくなるということだろうか。
その辺りの詳しい仕組みは分からないが、縁の切れ端を見るためには縁切りハサミではなく紐付け針が必要なのだとすれば、このまえ縁切りハサミを身につけていてもおっさんと遠藤さんの縁の切れ端が見えなかったことにも納得はいく。
そして、紐付け針の説明書にはこうも書かれていた。
互いに忘れて自然消滅してしまった縁は紐付け針を使っても可視化できない、と。
どちらにも当てはまらない亜由美のケースはどうなるのだろう。
——あれこれ悩んでいても仕方ないか。
裕作は冷蔵庫から二本目のビールを取り出してプルタブを開けた。
プシュっという小気味良い音と共に缶の中で泡が弾ける。
どうせ他に思い付く手段もないのだ。
今は紐付け針に掛けてみるしかない。
そのためにはまず、紐付け針で本当に縁の切れ端が見えるのか、それを確認する必要がありそうだ。
翌日、裕作はおっさんが経営する時計店を訪れた。
スーパーのサービスカウンターのおっさんで確認しても良かったのだけど、サービスカウンターのおっさんの場合は縁切り相手の名前すら知らないし、念のため自分で切った縁でちゃんと確認したかった。
いくつかあるおっさんの店舗の中でとりあえず本店に来てみたが、店内におっさんの姿は無さそうだった。
そりゃそうだよな、と裕作は溜め息をついた。
他店にいる可能性ももちろんあるが、そもそも経営者なんて普段からずっと店にいるとは限らない。
今日だって、もしも会えればラッキーぐらいの気持ちで足を運んだのだ。
さて、どうしようか。
他店に行ってみても良いが結果は変わらない気がするし、いっそのこと何か口実を作って事務所に呼び出してしまおうか。
裕作が時計を物色するフリをしつつ顎をさすりながら考えていると、店の奥の方から聞き覚えのある偉そげな声が聞こえてきた。
とっさに棚の影に隠れた裕作は、心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返し、落ち着いたところで鞄から木箱を取り出すと、紐付け針を手に取った。
ズボンのポケットに入れようとしたところで、ふと針の先端が自分の太ももに刺さる図を想像し、結局手に握りしめておくことにした。
次からは先端にキャップでもつけなきゃな、とどうでも良いことを考えながら声が聞こえた方に目をやると、バックヤードから出てくるおっさんの姿が見えた。
裕作は、おっさんから死角になるように上手く移動しながらできるだけおっさんに近づくと、おっさんの縁の切れ端を確認した。
紐付け針を握る手に自然と力がこもる。
縁切りハサミで縁を見る時と比べて、紐付け針で縁の切れ端を確認するのはあっけないほど簡単だった。
縁切りハサミで切断された縁しか見えないからだ。
おっさんからただ一つだけ伸びている電源コードのような縁には間違いなく遠藤さんの名前が刻まれていた。
説明書の通りの現実に改めて衝撃を受ける自分を嘲笑しながら、裕作は静かに店を後にした。
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