第14話
「——きおくそうしつ」
裕作はオウム返しにぽつりと呟いた。
ようやく追いついて来た思考で次の言葉を探してみたけれど、簡単には見つかりそうになかった。
気まずい沈黙が流れる。しかし、この空白の時間を気まずいと感じているのも自分だけなのかもしれないな、と裕作は思った。
女性は真っ直ぐな瞳を逸そうともせず、相変わらずピンとそこに立っていた。
冗談、——ではなさそうだよな。
裕作は半ばそうであってくれと願いながら、その可能性が限りなくゼロに近いことも分かっていた。
わざわざ事務所をノックして、ガラスのようにニコリともせずピンとして記憶喪失なんです、なんて笑えない冗談を飛ばす人がいるだろうか。
残念ながら、目の前の女性がそんなユーモア溢れるタイプには見えなかった。
「——記憶喪失、ということは何も覚えていないのですか?」
と、とりあえず当たり障りの無さそうなことを聞いてみる。
「はい、何も覚えていないのです。ある日目が覚めたら病院のベットの上でした。ポケットに入っていた財布の中に免許証があったので名前は分かったそうですが、それ以外のことは何も。——あ、すみません申し遅れました、私は只野亜由美と申します」
一息に話すと、亜由美は少し疲れたようにコーヒーカップに手を伸ばした。
ようやく人間らしさが垣間見えて、裕作は思わず微笑んだ。
無意識のうちに裕作の顔もこわばってしまっていたらしい、少し動いた頬からギギギと音が聞こえそうな気がした。
「私の方こそ自己紹介が遅れまして申し訳ありません。神田裕作と申します。ご存知の通り、縁切り屋をしております」
うんうん、と頷きながら聞いている亜由美を見て、ああこの人は本当に笑い方を忘れてしまっただけなんだな、と裕作は思った。
詳しい事情は知らないけれど、記憶喪失になったというからには余程の事があったに違いない。
彼女が研ぎ澄まされたガラスになってしまった原因は何なのだろう。
「あの、それで、縁を調べて欲しいと仰ってましたよね?」
「はい。記憶を失くしてしまってから、どんなに些細なことでもいいから思い出せないかと頑張ってみたのですが、やっぱり思い出せなくて。これまで自分がどんな人とどんな生活をしていたのかを忘れてしまったままというのは、何だかすごく寂しくて心許ないのです。そんな時に縁切り屋さんの噂を耳にして、縁切りのお仕事をされている方に相談すれば何か分かるのではないかと思いまして——すみません、よく考えたら図々しいお願いですね」
裕作は、表情をぴくりとも変えずに淡々と血の通った言葉を話す亜由美に興味を持ち始めた自分に気がついた。
それに、ちょうど縁切り屋という仕事に嫌気が差していたところに、この依頼はとても魅力的でやり甲斐を感じられそうだ。
「いえいえ、とんでもありません。そういうご事情でしたら、私でお力になれることは是非やらせて頂きます」
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