第7話

そしてほんの数十秒程で歩みを止めた。自宅は事務所と同じ敷地内にある。

スープの冷めない距離、依頼のほとぼりも冷めない距離だ。



砂利道と低い生垣を隔ててすぐそばに存在する縁切り事務所の存在は、祐作が自宅でくつろいでいる時でさえも時折どことなく非現実的な、言い知れぬ不安に駆られるような、身体中を掻きむしりたくなるような、なんとも形容しがたい気持ちを湧きあがらせた。

精神衛生上、仕事場と自宅にはある程度物理的な距離があった方が良いと思う。もしもこれから縁切り屋の仕事を始める人がいたら、祐作は第一にこのアドバイスをするつもりだ。

そのもしもが訪れることは、きっと無いのだろうけど。



縁切り屋という職業は日本全国どこを探してもここにしか無いのだ、と物心ついた頃から何度も聞かされてきた。

この話をする父はいつもどこか得意気で、縁切り屋はさぞ立派な職業なのだ、僕も大きくなったら縁切り屋になるんだと憧れと期待に胸を膨らませていた。

しかし、小学生になり、中学生になり、高校生になるにつれて、胸いっぱいの希望は徐々にしぼんでいった。



中学校に入学したばかりの頃、父の縁切りの現場に連れて行って貰ったことがある。

自宅の2階にある倉庫から取り出した高級そうな木箱を鞄に入れた父は、興味津々に目を輝かせる祐作を引き連れて、依頼人の待つ現場へと向かった。



そこは隣町の少し寂れたスーパーマーケットで、お世辞にも繁盛しているとは言い難いけれど、どの売り場にもちらほら買い物客がいて、依頼をこなすにはもってこいの場所だった。

「ちょっとここで待ってろ」

と祐作をお菓子売り場に置いた父は、野菜売り場にいる依頼人と一言二言言葉を交わしながら、縁切り相手なのだろうサービスカウンターでパイプ椅子に腰かけた男性——そういえば、確か太った禿げヅラのおっさんだった気がする。偉そげだったかどうかは覚えていないけれど——の方をちらりと確認すると、買い物カゴを片手にお菓子売り場に戻ってきた。



「好きなの買っていいぞ。カゴ半分ぐらいな。ただし、早く決めろよ」

といってお菓子を選ばせてくれたのだけど、縁切りの方が気になってそれどころではなかった祐作は、目の前にあったチョコチップクッキーやらポテトチップスやらをさっと掴んでカゴに放り込んだ。



父と一緒にレジで会計を済ませてサッカー台で袋詰めしていると、父は高級そうな箱からおもむろにハサミを取り出した。

思ったより小さく、その辺のホームセンターで簡単に手に入りそうな普通のハサミだった。

いよいよだぞと身を乗り出した祐作の期待をよそに、父はハサミの切れ味を確かめるようにその場で一度だけチョキンと空を切ると、ポロシャツの胸ポケットにハサミをしまった。

何かを引っ張るような動きをしたり結ぶような動きをしたり、いつもより余分な動きが多い父を不審に思いながら袋詰めを終えると、袋を片手にいつもよりのんびり歩く父とともに店を後にした。



今日は偵察だったのかな、本番はいつだろう、と早く聞きたい気持ちを抑えて5分ぐらい歩いたところで我慢の限界を迎えた祐作は、ここまで来ればそろそろいいよね、と思い口を開いた。

「ねえ、本番はいつなの?」

「本番?」

「うん、縁切りの本番だよ。今日のは偵察だったんでしょ?」

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