第6話
目の前の太った禿げヅラのやたら偉そげなおっさんは相変わらずやたら偉そげなままソファに身を預けている。
どうやら契約成立のようだ。それならそれで裕作は依頼を全うするのみだ。
裕作はデスクの引き出しから書類を取り出すと、3枚つづりの書類をおっさんの前に差し出した。
1枚目の1番上には契約書兼同意書と書かれている。
「こちらが契約書兼同意書になります。先程ご説明した事項が明記されていますので、ご面倒かとは思いますが今一度内容をご確認下さい。」
おっさんは契約内容が細かくびっしりと書かれた書類にうんざりしたような顔をして、本当に面倒臭そうに書類に目を落とした。
おっさんの目線が左から右へと書類の上を繰り返し滑っていくのを眺めながら、裕作はふと
「俺は一体いつまでこの仕事を続けるんだろうな」と思った。
父から受け継いだこの縁切り屋の仕事が自分に合っているのか、これが本当に自分のやりたいことなのか、何も分からないまま気が付けば30歳の一歩手前まできていた。
最近の裕作は『つつがなく』依頼を終えることだけを考えて仕事をこなしていた。そういう意味では、今回も目標を達成できそうだった。
「一度切った緑は元には戻せません——」
書類を最後まで読み終えたようだ。 契約内容の最後に太字で書かれた一文を声に出して読み上げたおっさんは、しつこい念押しに面倒臭いを通り越してしまったらしく、何やら不快なにやにや笑いを浮かべていた。
裕作が今日何度目とも知れない溜息を漏らしながらおっさんに署名を促し、ボールペン講座のお手本のような署名をしたおっさんに契約書のコピーを渡して、縁切りの当日の段取りについてはまた打ち合わせしましょう、と伝えておっさんを見送った時、開いた扉の向こうから楽しそうに笑う子どもの声が聞こえた。
16時を15分ほど過ぎたところだった。
住宅街の端っこの方にポツンと建っている事務所の近くには公園があり、毎日この時間になると公園で遊ぶ子ども達の声が届く。
依頼人の話を聞くのに騒がしく感じる時も確かにあるのだけど、裕作はこの騒がしさも案外悪くないよなと感じていた。
縁切りなんて現実感のない話の中に入り込んでくる子ども達の声は、時に依頼人を現実世界に引き戻してくれる。
そう、これは夢でも物語でもないのですよ、本当にあなたは縁切りをしてしまって良いのですか、と。
今日もやりとりがもう少し長引いていれば、この喧騒の中で考え直してくれた可能性もあったかもしれないな、と考えて裕作は苦笑いを噛み締めた。
いや、ないな。ないない、ありえない。そもそも全然聞く耳持たなかったもんな。
こんなにあっさりと縁切りの契約が成立したのは初めてかもしれない。
普段はこちらから促すまでもなくもっと悩むもので、なんなら日を改めて何度かやりとりを重ねた末に結局契約に至らないケースだって多々あるのだ。
まあ縁切り契約に二の足を踏む依頼人の多くは費用をネックにしていることも事実なので、お金の心配がないおっさんがあっさりと契約を決めてしまうのも当然といえば当然なのかもしれない。
裕作は机の上のペン立てをガサガサと探って底の方から小さな鍵を取り出すと、机の一番上の引き出しの鍵を開け、おっさんの署名入りの契約書を入れた。
事務所はだいたい17時頃まで開けるようにしているのだけど、今日はもういいか、と裕作はクーラーと電気を切って入り口の扉を開けた。
ツクツクボウシの声が子ども達の声のBGMのようにじんじんと耳に響く。たった今外に出たばかりだというのに額には薄っすらと汗が滲む。9月に入ったとはいえ、まだまだ暑い日が続きそうだ。
裕作は事務所の扉に鍵をかけると大きく伸びをして、さあ帰ってビールを飲もう、と歩き出した。
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