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 突然現れたソニアは、ツェツィーリアが用意したグレージュのドレスを身に着けていた。グレーシェルお抱えのデザイナーが随分といい仕事をしてくれたようで、基本的な形はそのまま、ソニアの可憐な雰囲気に合わせるようにフリルなど装飾が追加されており、立っているだけでその場がパッと明るくなる、文句のつけようがない完璧な美少女がそこにいた。

 ソニアはゆっくりと、いくらか距離を空けてエリオットの隣に並ぶ。――ツェツィーリアの計画通り進んでいればエリオットはソニアと揃いのタキシードを着ていたはずで、さぞや絵になったことだろう。しかしなぜかエリオットはツェツィーリアのドレスに似た夜色のタキシードを着ているのだ。

 ――夜色のタキシード。CとEが刻まれた指輪。凛々しい表情でこちらを見つめるソニア。

 どれも計画外のことで、ツェツィーリアの頭はショートする寸前だった。




「まず、私の家族の話をしなければなりません。私の父は今から十年前、男爵の地位をはく奪された没落貴族です。名をジブリアン・ガヌルラン男爵といいます」




 そして突如として明かされた事実にますます混乱する。

 ――ソニアの父が没落貴族だった?

 驚いたのはもちろんのこと、ツェツィーリアはソニアの口から出てきた没落貴族の名に聞き覚えがあった。しかしどこで聞いたかがすぐに思い出せず、指先を顎に当てて考え込む。

 ガヌルラン、ガルヌラン、と記憶を掘り起こすように何度かその名を呟き、




「商人から貴族になりあがったガヌルラン男爵は、グレーシェルにも商人として度々やってきていた。ツェツィーリアも名前ぐらいは聞いた覚えがあるかもしれない」




 エリオットの過不足ない補足のおかげで、脳裏に一人の男性の顔がぼんやりと浮かび上がってきた。




「あ! 髭を蓄えたやせ型の……ルビーのおじさま!」




 ひょろりとしたシルエットに、目元の大きなほくろ。脂ぎった顔をしきりにハンカチで拭いて、その男はツェツィーリアに何度か宝石を“献上”した。

 幼いツェツィーリアは彼からもらった宝石をメイドに自慢したのだが、彼女は良い顔をしなかった。今思えば屋敷の令嬢に許可なく近づき、物で釣ろうとしていた卑しき商人を警戒してのことだったのだろうが、当のツェツィーリアにはメイドの険しい表情の訳が理解できなかったのだ。

 結局のところ、メイドからグレーシェル伯爵に報告が上がり、ガヌルラン男爵から“献上”された宝石は没収されてしまった。しかし一つ、特にお気に入りだった美しいルビーがあって、いけないことだと理解しつつも自室の机の引き出しに隠したのだ。その甲斐あってルビーだけは没収を免れたのだが――いったいどこにいってしまったのだろう。

 懐かしい思い出に浸るツェツィーリアを呼び戻すように、エリオットは硬い声で続ける。




「詳細は省くが、ガヌルラン男爵は奴隷売買や賄賂疑惑など、後ろ暗い人物だった。それをグレーシェル伯爵が暴き、爵位をはく奪されたんだ」




 次々明かされる衝撃の事実に、ツェツィーリアは言葉を失った。

 あのルビーのおじさまがソニアの父であったこと、そのガヌルラン男爵が不正をしていたこと、そして男爵の悪事をツェツィーリアの父であるグレーシェル伯爵が暴いたこと――。

そのとき、一際冷たい夜風が吹いた。おかげで驚愕のあまり思考停止していた頭が、徐々に冷静さを取り戻し動き始める。そして心中に湧いて出た“疑惑”にツェツィーリアは顔を青ざめさせた。

 ――ソニアはもしかしたら、父の爵位をはく奪したグレーシェルを恨んでいるのではないか、と。




「ガヌルラン男爵はグレーシェルを逆恨みして屋敷に押し入ってきた。すぐさま取り押さえられたが、魔法を使おうとして……彼の瞳が紫から青へ変わった」




 エリオットはそこで一度言葉を切り、ちらりとソニアを見た。




「始業式で出会ったソニアの瞳も、紫から青に変わった。それを見た瞬間、激しい既視感に襲われたんだ。……情けないことに、ガヌルラン男爵のことをすぐに思い出すことはできなかったがな」




 ツェツィーリアが抱いた“疑惑”をよそに、話は思わぬ方向へと進んでいく。




「とあるたれこみと、ソニアが持っていた染物のスカーフを見て記憶が繋がったんだ。あの珍しい染物でガヌルラン男爵は財を成した……いわば、彼の領地の特産品だったからな」




 過去ツェツィーリアが不審に思っていたエリオットの言動を、エリオット本人が種明かししてくれているような感覚だった。

 出会ってからソニアを気にかけていた理由も、ソニアのスカーフに大きな反応を示していた理由も、ツェツィーリアが勘違いしていたような甘美な理由ではなくて、深刻かつ真剣なものだったのだ。

 すべてを勘違いし勝手に浮かれ、ときには勝手に沈んでいた己がツェツィーリアは恥ずかしかった。




「俺はまず最初に、ソニアがグレーシェルへの復讐を考えているのではないかと疑った。そのためにツェツィーリアに近づいたのではないか、と」




 先ほどからツェツィーリアが抱いていた疑惑をズバリ言い当てられてどきりとする。

 ソニアは表情を変えず、ただ視線を足元に伏せて、エリオットの言葉の続きを待っているようだった。




「だが瞳の色だけでソニアをガヌルラン男爵の娘だと断定するのも決め手に欠けた。男爵に娘がいたという記録もなかったしな。だからキアランに相談し、彼女の家のことを調べ……」


「私がガヌルラン男爵の隠し子だということを突き止められたのです」




 ここで再び衝撃的な新事実が明かされる。ソニアはガヌルラン男爵の子は子でも、隠し子であったらしい。

 エリオットはソニアを一瞥し、身を引くように一歩下がった。彼女に話を譲ることにしたようだ。




「私の母は男爵の愛人でした。奥方と別れるという男爵の言葉を信じ、待ち続け、結局捨てられてしまったのですが」




 ソニアは自身の母のことを、感情のこもっていない声で躊躇うことなく「愚かなひとです」と切り捨てた。




「けれど実を言うと私も、自分の父がガヌルラン男爵だと知ったのはつい最近のことなのです。子を孕んだと知られれば男爵に捨てられるかもしれないと思った母は、私の存在を男爵に隠し続けていました。男爵が母の許を訪れるときは、近所の家に預けられていましたし」




 早口で一気に捲し立てた後、ふぅ、と一度息をつき、




「なんとなく、幼心に察するものはありましたが」




 苦笑した。

 ツェツィーリアはソニアの幼少期に想いを馳せる。愚かなひとだと言った母と彼女はどのように暮らしていたのだろう。

 友人の心中を慮る一方で、ツェツィーリアの心の奥底には安堵が滲み始めていた。ソニアは父・ガヌルラン男爵のことを最近まで知らなかったのだ。だとすれば、父から爵位をはく奪したグレーシェル家、ひいてはツェツィーリアに対し憎悪を抱いてはいないはず――そう信じたかった。




「ただ度々現れる男性が、男爵という地位の人間だったとは知らず……気が付いた頃には彼は訪れなくなり、母は精神的なショックからか塞ぎこむようになってしまって」




 もしかするとソニアが“主人公とは別に婚約者がいるロマンス小説のヒーロー”に強い嫌悪感を抱くのは、幼い頃に母を苦しめた名も立場も知らぬ男性――ガヌルラン男爵のせいなのかもしれなかった。思わせぶりな態度をとり、自分の母を破滅に追い込んだ父をヒーローに重ねていたのだろうか。

 ソニアの身の丈話が一段落したところで、エリオットが再び口を開いた。




「ソニア個人がガヌルラン男爵と繋がっていないことは分かったが、ソニアの入学にガヌルラン男爵が噛んでいないことの証明にはならない。彼女も意図しないところで男爵の計画に利用されている可能性が捨てきれず、俺は男爵を探すことにした」




 淡々と語られるツェツィーリアが知り得なかった“舞台裏”。




「ご一緒させてくださいと私が頼み込んだんです。もし私がツェツィの安全を脅かす存在になってしまっているのだとしたら、自分でケリをつけたくて……」




 俯いたソニアの横顔に影が落ちる。その表情に、最近彼女が良く見せていた憂い顔の訳が分かったような気がした。

 エリオットは最初、ソニアを疑っていたようだったから二人の間でひと悶着あったのは確かだろう。エリオットがソニアと二人きりになりたがったのは調査のためで、ソニアがその際暗い表情を見せていたのは、自分も知らない過去を暴かれることへの戸惑いや嫌悪感によるものだったのかもしれない。

 幸いにもその後誤解が解け、協力するようになった結果――二人だけで外出することが増えて“噂”が広まり出してしまったのだ。




「結果として、ガヌルラン男爵の墓を見つけた」




 エリオットは単刀直入に、感情のない声で告げた。

 反応する隙も与えないとばかりに彼は早口で続ける。




「爵位をはく奪された後、グレーシェルへの復讐を目論んだ男爵は、資金調達のため汚い金に手を出したらしい。しかし首が回らなくなり……因果応報だな」




 ふぅ、とため息をついてエリオットは口を閉ざした。彼としては全て報告を終えたつもりらしい。

 ツェツィーリアはなんと声をかければいいのか分からなかった。ありがとう? ごめんなさい? お疲れ様? そのどれもが相応しくないような気がして口を噤んでしまう。

 するとソニアが思い詰めた表情で勢いよく頭を下げた。




「申し訳ございません! エリオット様と二人で行動した私が軽率でした! そのせいでツェツィや多くの方々に勘違いをさせてしまって……」




 震える声が痛々しくて、ツェツィーリアの胸は締め付けられるようだった。彼女が学院内で囁かれている例の噂に胸を痛めているのは明らかだ。

 一向に顔を上げようとしないソニアに駆け寄り、ツェツィーリアは細い肩に手を置いた。そして顔を覗き込もうと身を屈めたが、ソニアが顔を見せまいと更に腰を折ったため、ツェツィーリアはドレスの裾が汚れるのも構わずその場にしゃがみ込む。――汚れの目立たない夜色のドレスを着てきてよかった、と思いながら。




「いいえ! ソニアはわたしのことを思って頑張ってくれたのでしょう? 本当にありがとう」




 ようやく覗き込めたソニアの顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。それでいて泣いてはいけないと自身に言い聞かせているのか、下唇を強く噛みしめている。

 突然自分の父の真実を知り、友人の婚約者からあらぬ疑いをかけられて、それでも友人のためにと奔走してくれたソニア。その気持ちがツェツィーリアには何よりも嬉しかったのだが、だからこそ自分がしていた“勘違い”にどんどん血の気が引いていく。

 エリオットもソニアも、ツェツィーリアのために協力し尽力してくれていたのだ。それなのに――




「……それで、あの、つまり、エリオットとソニアは……」


「全て貴様の勘違いだ」




 エリオットが強く言いきる。

 ――勘違い。

 ツェツィーリアを襲ったのはガツンと脳天を強く殴られたような衝撃と、全身が沸騰してしまいそうな激しい羞恥心。




「やけにソニアと二人にしようとしてくると思えば、そんな愚かなことを考えていたとは……全く」




 深々と肩を落としたエリオットに、ツェツィーリアは反射的に「だって!」と声を上げていた。

 言い訳をする暇があるのなら何よりも先に勘違いしたことを謝るべきだと分かっているのに、一度開いてしまったら最後、ツェツィーリアの口は止まらなかった。十年以上一人で抱えてきた思いが、腹の底に沈めていたはずの劣等感が、堰を切ったかのように溢れ出してしまったのだ。




「だって、わたしとエリオットの婚約は“尻拭い婚約”で、わたしは“加護無し”で、ずっと、昔から、エリオットは――」


「ずっと、昔から、好きだった」




 ――息が止まった。間違いなく、時も止まった。



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