28




 予想外の人物の登場にツェツィーリアは驚きを隠せない。エリオットは今頃、ソニアとオープニングセレモニーの準備に追われているとばかり思っていた。

 数秒まじまじと婚約者の姿を観察して、あれ、と思う。彼はツェツィーリアが着ているドレスに似た、紺色のタキシードを身に着けていた。ソニアと揃いで合わせたグレージュのタキシードではない。

 何もかもが分からないまま、ツェツィーリアは混乱した頭で矢継ぎ早に問いかける。




「ど、どうしてここにいるの? ソニアは? 用意してあったタキシードは? ……すごい汗ね」


「貴様においていかれたんだ!」


「え?」




 エリオットの言葉の意味が分からなかった。

 今日は元から別行動の予定だったはずだ。授業が終わってすぐエリオットはソニアと準備に取り掛かるためどこかへ消えてしまったし、パーティー会場で合流する予定もなかった。おいていかれた、という表現はどう考えても相応しくない。

 状況を飲み込めないでいるツェツィーリアをエリオットは恨めし気に睨む。




「ルイディナがもう少し待つよう言っていただろう」


「あ……そういえばそうね」




 脳裏に蘇ったのは馬車を見送るルイディナの姿だ。彼女はしきりに何かを気にしており、ツェツィーリアを引き留めようとしていたが――まさかエリオットに言われてのことだったのだろうか。しかし、だとしたらなぜ準備で忙しくしていたはずのエリオットがそんなことを?

 ツェツィーリアの脳内は疑問符で埋め尽くされていた。




「本来なら俺も同じ馬車で向かうつもりだった。ただ……少しトラブルがあってな」


「トラブル?」


「発注したのがギリギリで、つい先ほど届いた」




 そう言ってエリオットは内ポケットから手のひらサイズの高級感溢れる箱を取り出した。そしてツェツィーリアの目前に掲げ、ゆっくりと開く。

 ――現れたのは美しい指輪だった。

 とてもシンプルな造りだ。しかし輝くダイヤは小粒ながら眩しいぐらいの輝きで、知識のないツェツィーリアにも高価なものだと一目見て分かるほどだった。

 突然現れた指輪を前に、ツェツィーリアの心は凪いでいた。驚きのあまり感情が追い付かなかった、といった方が正しいかもしれない。まさかあの堅物婚約者が、告白も何もかもすっ飛ばしてプロポーズをするつもりだったなんて!

 確認の意味も込めてツェツィーリアは問いかける。




「……ソニアに渡す指輪よね?」


「はぁ!?」




 近くにいた全員が驚きに振り返るほどの大声でエリオットは叫んだ。

 すぐ近くで聞いてしまったツェツィーリアは耳鳴りに顔を顰め、耳を庇うように手のひらで覆った。そして口元を戦慄かせるエリオットに苦言を呈する。




「び、びっくりした。急に大声で叫ばないでちょうだい」


「貴様が突拍子もないことを言うからだろう! なぜ俺がソニアに指輪を渡さなければならん!」




 エリオットは口元どころか全身を震わせて、血走った目でツェツィーリアを問い詰めた。

 ――彼がソニアに指輪を渡す理由。

 よりによってそれを言わせるのか、とツェツィーリアは憎らしく思った。しかしもしかするとツェツィーリア自身の口から言わせることで、諦めるよう言外に伝えようとしているのかもしれないと思い直す。

 エリオットが余計な罪悪感を抱かないように、ケロッとした態度を装って口を開いた。




「だって、あなた、ソニアのことが好きでしょう」




 瞬間、見開かれる深紅の瞳。普段凛々しく吊り上がっている眉も意表を突かれたせいか緩やかなカーブを描き、半開きになった口は幼さを感じさせる。

 高等部に上がってからはほとんど隙を見せなかった幼馴染の間抜けな姿に、ツェツィーリアは気づけば笑っていた。




「ふ、ふふふ、そんな顔のエリオット、久しぶりに……ううん、初めて見たわ」




 これ以上なくエリオットは驚いているようだが、まさか自分の気持ちに気づかれているとは露ほども思っていなかったのだろうか。だとすると学院内で盛り上がっている噂も耳に入っていないかもしれない。

 ツェツィーリアはすっかり肩から力が抜けていた。今なら一切の躊躇いも憂いもなくエリオットとソニアを祝福できる。そう思った。

 笑顔で全てを受け入れ、彼の背中を押す――




「図星?」


「違う! 呆れて物も言えなかっただけだ!」




 ――つもりだっただけに、即座に否定されて今度はツェツィーリアが驚く番だった。

 エリオットはひどく鬼気迫った様子だ。顔を覆うように額に手を当て、はぁあ、と大きく長いため息をつく彼の肩はがっくりと下がっている。




「そうか、道理で……貴様の不可解な言動にようやく納得がいった」




 一人で何やらぶつぶつと呟くエリオット。

 ソニアへの想いを認めない彼に、ツェツィーリアは焦れったさを通り越して若干苛立ちを覚え始めていた。

 確かにエリオットからしてみれば今までの人生を否定するような大きな決断だろうが、ここはツェツィーリアを前にしっかりと認める場面シーンだろう。そして理解ある当て馬である婚約者ツェツィーリアを置いて、ソニアの許へ駆け出すのだ。

 ツェツィーリアは未だ肩を落としているエリオットに活を入れるべく、数歩歩み寄り、




「ちょっと、なにぶつぶつ呟いているの? 早くソニアに指輪を――」


「この指輪はツェツィーリアに渡すために作らせたものだ」




 再び目前に突き出された指輪に、言葉を失った。

 ――美しく輝く指輪が、想いを通わせた者同士が交わす愛の結晶とも言える存在が、自分とエリオットの間にあることがとても信じられなかった。

これは哀れな伯爵令嬢が見ている夢で、今この瞬間目が覚めて創立記念パーティー当日の朝を迎えるのではないかと、ツェツィーリアは本気で思った。

 ぎゅう、と震える拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込んで痛みを感じた。

 ――どうやら夢ではないらしい。




「……うそ」




 絡まる舌先でどうにか紡ぐことができたのはたったの二文字。

 何度も指輪とエリオットの顔を見比べる。彼は真剣な表情でツェツィーリアを見下ろしていて――その耳が僅かに赤らんでいることに気が付いた。

 瞬間、ツェツィーリアの脳裏に幼いエリオットの姿が浮かぶ。いつだったか、エリオットは庭園に咲いた美しい花々を摘んで、ツェツィーリアのために小さな花束を作ってくれたことがあった。あのとき花束を差し出してきた彼は、顔色こそ普段通りだったものの耳を真っ赤に染め上げていて――

 不意にエリオットが指輪の内側を指さした。




「嘘だと思うなら内側に刻まれた文字を見てみるんだな」




 ツェツィーリアは言われるまま震える手で指輪をつまみ、己の手のひらの上に置いた。そして内側を覗き見る。

 ――そこにはEとCの文字が少しの距離を空けて、しかし寄り添うように刻まれていた。

 EはおそらくエリオットのEだろう。だとすると、Cはソニアの名前に該当するはずだ。

 混乱を極めるツェツィーリアの頭はすぐさまソニアの名前のスペルを思い浮かべることができず、ゆっくりと口に出しながら確認する。




「C……ソ、ニ、ア……マ、ル、ティ、ン……」


「ソニアの名前にCはないぞ、ツェツィーリア」




 ため息交じりに指摘してくるエリオットの表情は、ツェツィーリアに心の底から呆れているようでいて、とても柔らかかった。深紅の瞳の奥に確かな情を感じる。

 しかしそれでもツェツィーリアは、指輪の内側に自分の名前――ツェツィーリアのCが刻まれている事実を受け止めることができずにいた。




「エ、リ、オ、ト……」


「俺の名前にもない! そもそもEの文字が刻まれているだろう!」




 足掻くツェツィーリアにぴしゃりと言い放つエリオット。その際力強く右肩を掴まれて、布越しに浸食してくる彼のぬくもりに、ツェツィーリアの頭は徐々に冷静さを取り戻していった。――それと同時に、自分はとんでもない“勘違い”をしていたのではないかという可能性が脳裏を過ぎ去り、ツェツィーリアは顔から血の気が引いていくのを自覚する。

 目の前でみるみる青ざめていく婚約者にエリオットは“誤解”が解けたことを察したのか、再び大きくため息をついた。




「なぜそんな勘違いをしたのかは甚だ疑問だが、俺は一度だってソニアに好意を寄せたことはないし、ツェツィーリアとの婚約を煩わしく思ったこともない」




 ――ソニアに好意を寄せたことも、ツェツィーリアとの婚約を煩わしく思ったことも、ない。

 婚約者本人の口から告げられた事実に、ツェツィーリアは喜ぶより先に大きく動揺した。世界が百八十度回転してしまったような衝撃だった。

 空は青く、雲は白い。太陽は東から登り、西に沈んでいく。そしてエリオットは“尻拭い結婚”を煩わしく思っており、解放されることが彼にとっての一番の幸せである。

 それらはツェツィーリアとって、並べることのできる“揺るぎない世界の常識”だった。それ故にエリオットの口から語られた事実は、本当の空は赤く、雲は黒いのだと教えられたようなものだった。

 ――つまり早い話、ツェツィーリアは信じることができなかった。




「初めてソニアと会ったとき、見惚れていたじゃない! 最近は二人でこそこそ出かけていたようだし、わたしはてっきり……」




 周囲から感じる視線に、ツェツィーリアはその先を口にすることを躊躇った。

 いつの間にか周りに人だかりができている。噂の渦中にあるツェツィーリアとエリオットが指輪を挟んで言いあっている様は注目を集めて当然で、中には喧嘩をしているのではと悪意たっぷりに囁く声もあった。

 恥じ入るように俯いてしまったツェツィーリアに、エリオットは本日何度目か分からないため息をつく。そして野次馬たちにも言い聞かせるようにゆっくりと語り出した。




「見惚れていたわけじゃない。ソニアの瞳の色の変化をどこかで見た気がして、それを思い出そうと観察していただけだ」


「……瞳の色の変化?」




 エリオットが何を言わんとしているのか分からず、ツェツィーリアは顔を上げる。すると視線が絡んだ深紅の瞳の奥に、紛れもない安堵が滲んでいることに気が付いた。

 顔を上げたツェツィーリアにエリオットはここぞとばかりに捲し立てる。




「ソニアは加護持ちで、魔法を使おうとすると瞳の色が紫から青へ変わる。幼い頃、その色の変化をどこかで見た覚えがあったんだ。それで――」


「――そこからは、私も一緒にお話しさせてください」




 突然割って入ってきた凛とした女性の声。

 今までどこに身を隠していたのやら、ツェツィーリアの背後に現れた人物は、ソニア・マルティンその人だった。



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