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 しばらくツェツィーリアは創立記念パーティー当日の段取りを考えるのに追われていた。――いや、当日の段取りというより、“台本”や“演出”と表現した方が近いかもしれない。

 目下の悩みは『エリオットとソニアが揃いのドレスとタキシードでやってきた際、どのような反応をとるのがベストなのか』だ。似合いの二人だと誉めそやし、さっさと白旗を上げてしまうべきなのか、それとも当て馬らしく主人公のソニア頬に張り手の一つでもするべきか――

 ツェツィーリア自身、そして実家・グレーシェルのことを考えると理解ある婚約者を装うのが最善の道だろう。しかし中途半端な立ち回りをしてしまってはエリオットたちに累が及ぶ可能性がある。それこそエリオットの実家であるベルトランに傷がつくようなことは避けなければならない。

 だとするとやはり、“嫌な当て馬”コース――?

 そこまで考えて、ツェツィーリアはキアランの許に頭を下げに行った。公務で欠席する彼が立ててくれた代理のパートナーを断るためだ。もしツェツィーリアが当日粗相をしたとして、全く関係ない代理パートナーに迷惑をかけてしまっては申し訳ない。それに王家の顔に泥を塗りかねないと判断してのことだった。

 誠心誠意謝罪し、自分でパートナーを見つけたと嘘をつけばキアランは疑うことなく頷いた。優しい幼馴染を騙すようでツェツィーリアの良心はじくじくと痛んだが、立ち止まっている暇はない。

役者は自分、そしてエリオットとソニア。どのような脚本なら、どのような演出なら、観客こくみんに受け入れられるか――

 悩み続けるツェツィーリアの許を、ある晩エリオットが訪れた。そして、




「すまない。ドレスの採寸の日だが、どうしても外せない用が入った」




 突然深々と頭を下げたのだ。

 ――ソニアのドレスの採寸ならとっくに終わっているわよ。

 ツェツィーリアはそう言いかけて、寸でのところで飲み込んだ。エリオットが言う“ドレスの採寸”が、自分のウェディングドレスの採寸のことを指していると気づいたからだ。

 ここ最近はソニアとエリオットのことに気を取られていて、自身のウェディングドレスのことなんてすっかり失念していた。できれば採寸までに婚約破棄の話を具体的なものにしておきたかったが、現状では婚約云々を理由に採寸を中止にできるほどではない。

 紛れもない失態にツェツィーリアは心の内で嘆きつつ、依然頭を下げたままであるエリオットに声をかけた。




「いいのよ、気にしないで」




 エリオットはゆっくりと顔を上げる。

 元々ツェツィーリアは婚約者が採寸の場に来るかどうかすら把握していなかったのだ。ドレスの採寸なんてエリオットはただ横で付き添っているだけだろうし、時間を有意義に使ってほしかった。

 そう思い微笑んで答えたのだが、なぜかエリオットの方が納得していない様子だった。しかしそれ以上口を開くことはなく、彼はもう一度頭を下げて退室する。

 部屋の前から離れていくエリオットの後ろ姿を、ツェツィーリアはしばらく眺めていた。――どこに行くの、と問いかけそうになる己の体を必死に抑えつけながら。




(……ソニアと一緒に、オープニングセレモニーの準備をするのかしら)




 ロマンス小説の当て馬は離れていく婚約者を見て悲しみ嘆き、婚約者を誑かした主人公に怒りを募らせていた。そして怒りのあまり我を失い、些細な嫌がらせから国を巻き込みかねない大悪事まで、バリエーション溢れる“悪行”を披露してくれるのだ。

 ツェツィーリアは“悪行”に手を染める当て馬に自身を投影しつつも、彼女たちの気持ちは一切分からなかった。そんなことをすれば婚約者はますます離れていくのに、と。その思いは今も変わらない。けれど――彼女たちの悲しみが今なら分かるような気がした。

 沈みそうになった心に気が付き、ツェツィーリアは慌てて自分を叱咤する。




(これはわたしが望んだこと。わたしが始めたこと。最後までしっかりやり遂げなくては)




 婚約者エリオットの恋を応援すると決めたのはツェツィーリアだ。キアランの制止を振り切ったのはツェツィーリアだ。執拗にエリオットとソニアを近づけようとしたのはツェツィーリアだ。

 望んでおきながら、いざ目標が達成されそうになった途端悲しみに暮れるなんて身勝手すぎる。

 ツェツィーリアはつくづく自分が嫌になった。そしてそんな嫌な自分を振り払うように、その日は夜通し創立記念パーティー当日のシミュレーションを幾度となく繰り返した。




(頬を叩くのはソニアに痛い思いをさせてしまうし、ドレスにジュースをかけるのも……すぐに乾かせる水ならまだいいかしら?)




 ロマンス小説を読み返しながら、当て馬令嬢たちの立ち振る舞いを復習する。

 彼女たちの悪行は漏れなくヒーローに目撃されていた。そしてここぞというタイミングでヒーローが助けに入り、運命の恋人たちの愛と絆がいっそう深まるという訳だ。

 まずソニアとエリオットをそれぞれ別々に、会場の裏など人気のない場所に呼び出すのがいいだろう。先にソニアを、数分遅くエリオットを。そしてエリオットが姿を現した瞬間に、当て馬として何らかの悪行を披露するのだ。

 そんな小細工が必要なければそれが一番いい。似合いの二人に盛り上がる他の生徒たちを見て己の敗北を悟り、一人無様に帰路につくのが理想的な流れだ。しかしエリオットとソニアがどう動くかまるで読めないため、様々なパターンを想定し、考えておく必要がある。

 一通りの流れはイメージできたものの、ツェツィーリアの作戦はなかなか具体的な形にならずにいた。




「ツェツィーリア様、先日お送りしたドレスのデザインはどれがお好みでしたか?」




 ――翌週のウェディングドレスの採寸時も、うんうんと頭を悩ませているぐらいには。

 ツェツィーリアの体のあちこちを採寸しながら、国内一有名なデザイナー・ダヌシエが問いかけてくる。




「どのデザインも本当に素敵でした。それだけに、一つを選ぶことができなくて……」




 大まかなデザインが決まってしまえばダヌシエは作製に取り掛かるだろう。少しでも先延ばしにしたくて――このウェディングドレスにツェツィーリアが腕を通すことはないのだから――ツェツィーリアは迷っている振りをした。

 すると乙女の心は熟知していると言わんばかりにダヌシエは深く頷く。




「結婚式は一生に一度ですものね。まだいくつかアイディアがありますから、スケッチが完成したらお送りいたしますね。どうぞ、存分に悩まれてください」




 美しい曲線を描いた真っ赤なルージュに、ツェツィーリアは罪悪感に駆り立てられるようだった。

 デザイナー・ダヌシエが多くの時間をツェツィーリアのウェディングドレスに割いてくれていることは明らかだ。これ以上彼女の時間を無駄にしないためにも、できるだけ早く決着をつけようと心に決める。

 夢見がちなツェツィーリアも全てが一度で片付くとは思っていない。しかし創立記念パーティーが大きな分岐点になるのは明らかだった。




「この前、エリオット様がソニアさんと汽車に乗られるところを見た人がいるそうよ」


「まぁ! どこに行かれたのかしら」


「それが西の方みたいで……なんの御用だったのかしら?」


「まさか、逃避行の……」


「きゃー!」




 学院内ではもう、エリオットとソニアの噂は抑えつけられないほど大きく広まっている。ツェツィーリアが近くにいようと多くの生徒はお構いなしだ。それどころか、ツェツィーリアにわざと聞かせているきらいがある。

 噂が学院内から飛び出して、グレーシェル、ベルトラン両家の耳に入るのも時間の問題だろう。




(お父様と、ベルトランのおじさまと、陛下へのご説明を……いいえ、まずはお母様とおばさまにお話しを聞いてもらうのがいいかしら)




 ツェツィーリアは事情説明のための手紙をしたため始めた。

 誰も悪くはない。被害者も加害者もいない。ただ歪だった結びつきが解かれて、運命の元結びなおされただけ。正しい形に戻るだけ。

 グレーシェルもベルトランも、再び国中を巻き込んでの醜聞スキャンダルを起こしたくはないだろう。双方にとって良い落としどころを見つけるはずだ。世間の同情の声がエリオットへの処罰を許さないだろうし、ツェツィーリアの決断も一定の支持を得るに違いない。

 エリオットとソニアには心からの祝福を、そしてツェツィーリア・グレーシェルにはほんの少しの哀れみを。それ以上望むことは何もない。

 まずは創立記念パーティーでどう転ぶかだ。

 学院内で囁かれる噂に心を痛めていたツェツィーリア・グレーシェル伯爵令嬢は、パーティーに揃いの衣装で現れたソニアとエリオットを見て、敗北感に打ちひしがれてしまった――それが当日の理想的な粗筋だ。

 その後は早々に屋敷に戻りまず母親に事情を報告。そしてベルトラン伯爵夫人、つまりはエリオットの母とも連絡を取る。まずは気持ちを汲んでくれそうな女性陣を味方につけ、次に実父、ベルトラン伯爵、そして最後は仲人を務めてくれた王家を説得する――。

 これこそまさに言うは易く行うは難し。しかし長年に及ぶグレーシェルとベルトランの婚約は、力技で押し通さなければ破棄することは難しい。

 とにかくエリオットとソニアが責を問われないことを第一に、そのためなら惨めで愚かな当て馬を演じきる。当て馬令嬢(自称)は己の人生をかけて、婚約者の恋を成就させるつもりだった。

 ――決戦の日は、もう目の前に迫っていた。



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