25
次の休日、屋敷を訪れたソニアとメイドのルイディナ、そして毎回ツェツィーリアのドレスをお願いしているお抱えデザイナーで、衣裳部屋はたいそう賑やかだった。衣裳部屋には今までツェツィーリアのために拵えられたドレスが保存されており、ソニア用に仕立てるドレスの大まかなイメージを掴むために、“下地”となるドレスを探しているのだ。
幸いなことにツェツィーリアとソニアの体型はよく似ていた。女性にしてはすらっと長身で首が長く、シンプルなデザインのドレスが良く映える。先ほどからソニアにいくつかめぼしいドレスを試着してもらっているが、このままツェツィーリアのお下がりを着ても全く問題がなさそうだ。
「ソニア様は腕が長くていらっしゃるから、どのドレスも似合いますね」
手早くドレスを着付けながら、ルイディナが満足げに微笑む。その様子を横目に眺めつつ、ツェツィーリアはドレスの山を掻き分けていた。
エリオットの好みである“明るい色のドレス”を探しているのだが、悲しいかな、なかなか見つからないのだ。右を見ても左を見ても暗い色のドレスで、いかに自分がエリオットの好みから外れたドレスばかり着ていたかを思い知らされるようだった。
ツェツィーリアは夜色のドレスを乱暴に押しのけて、ようやく現れたグレージュのドレスを手に取る。
「あぁ、これはどうかしら?」
披露するように高く掲げれば、ルイディナの顔がぱっと輝いた。そして素早い動きでツェツィーリアの手からドレスを受け取ったかと思うと、ドレスに付けられた小さな札を確認し、奥の方へ走っていく。
ルイディナの後姿を眺めながら、このドレスはいつ着たものだっただろうか、とツェツィーリアは記憶を掘り起こす。
生憎とどのパーティーに着て行ったかは思い出せなかったが、自分の隣に立っていたエリオットの姿が脳裏に蘇ってきた。同じ色、同じ素材で作られたタキシードを着ていたはずだ。
「同じ色のタキシードもあったような……」
「はい、こちらに」
ぱっと顔を上げると、まさしく今思い返していたエリオットのタキシードを持ったルイディナが奥の方から戻ってきたところだった。彼女の優秀さに感嘆しつつ、グレージュのドレスをソニアに着てみるよう勧める。
「ソニア、着てみてください。きっと似合います」
朝からお着替え人形になっているソニアはすっかり魂の抜けた表情で差し出されたドレスを手に取った。そしてカーテンで仕切られた小さな個室の中へ消えていく。
すぐさまルイディナも中へ入り、着付けを手伝ってくれているようだった。ツェツィーリアは若干冷めてしまった紅茶を片手にのんびりと待つ。
あちこちに散らかったドレスがいつ、どのパーティーで身に着けたものなのか、情けない話だがほとんど思い出せない。名家グレーシェル伯爵家の令嬢として一度着たドレスをそのまま着まわすことは滅多になく、こんもりと積み重なったドレスの山を後目に、国民から恨まれるのも無理はないと苦笑した。
ガードナー王国は世界的に見ても豊かな先進国で生活水準は高い方であるが、ツェツィーリアのドレスは国民の血税によって仕立てられたものだ。国民の生活を守るためグレーシェル家当主も尽力しているものの、宰相という役職はエリオットの実家・ベルトラン家のような目に見える“功績”を上げるのは難しい。
エリオットとの婚約を破棄した後、手元に最低限のものだけ残して、後は全て寄付しようか――
ぼんやりと考えていたツェツィーリアの目の前で、閉まっていたカーテンが勢いよく開いた。着替えが終わったのかと顔を上げたツェツィーリアは瞬間、息を飲む。
グレージュのドレスを身に纏ったソニアは神々しさすら感じる美しさだった。
「よくお似合いですわ!」
興奮気味に声を上げるルイディナ。紅潮した頬を見るに、お世辞ではなく心からの賛辞だろう。
ツェツィーリアも同性でありながらソニアの美しさにしばし言葉を失った。
ドレス自体はかなりシンプルなつくりだ。それが一層ソニアの長い手足を引き立てている。若干首元が寂しく感じられたが、大ぶりのネックレスで美しくカバーできるだろう。
お抱えのデザイナーとも相談し、一から仕立てるのではなく、このドレスを下地にしてよりソニアに似合うよう仕立て直すことにした。創立記念パーティーまで時間もあまりないため、それが一番現実的な案であった。
「アクセサリーも決めなくてはいけませんね」
上機嫌でソニアの胸元にネックレスをあてるルイディナ。彼女は美しいものを飾るのが好きだといって憚らず、ツェツィーリアがパーティーに出席する際も誰よりも気合を入れて手伝ってくれるのだ。
ドレス、アクセサリー、そして当日の髪形を決め終わった頃には、すっかり西の空が赤く染まっていた。仕立て直すドレスを持って早速工房へと戻るお抱えのデザイナーを見送って、ルイディナを中心に後片付けを始める。
まさしく着せ替え人形と化していたソニアは慣れないことをして心身ともに疲労しているのは明らかで、片づけを手伝おうと虚ろな目で立ち上がったのをツェツィーリアが制止した。ドレスを所定の位置に戻すだけであるから、人手も時間もそこまでかかるわけではない。
「お嬢様はいかがなさいます?」
片付けの最中、不意にルイディナが尋ねてきた。
今日一日ツェツィーリアはソニアに付きっ切りで自分のことまで頭が回らなかった。しかしパーティーの身支度は普段からルイディナに任せており、ツェツィーリアが口を挟んだことはない。お抱えデザイナーへの発注もとっくに済んでいるのだろう。
形式的なお伺いだと理解した上でツェツィーリアは口を開いた。
「わたしはいつも通りに。ルイディナ、任せていい?」
「はい、お任せください」
恭しく頭を下げたルイディナは、散らかしたドレスを元の位置に戻すべく部屋の奥へと引っ込んだ。
残されたのはソニアが着る予定のグレージュのドレスと同じ素材で作られた、エリオット用のタキシード。そして疲れ切った表情でぐったりと椅子に腰かけるソニア。
(エリオットと並べば、似合いの一対に見えるはずだわ)
揃いのドレスとタキシードを着て並んだソニアとエリオットの姿は、どんな言葉よりも説得力があるはずだ。一目見ただけでこの二人が運命の恋人なのだと誰もが納得するだろう。
手の甲でそっとタキシードの表面を撫ぜる。肌触りの良い、とてもいい生地だ。瞬間、このタキシードに袖を通したエリオットに力強く支えられたことを思い出した。
招かれたパーティーはとあるご令嬢の誕生日会だった。そこでツェツィーリアの不注意が原因で人とぶつかってしまったのだ。するとエリオットは慌ててツェツィーリアの腰に腕を回し、力強く抱き止めた。そのとき素肌に触れた生地の感触をよく覚えている。
「本当にいいんですか? あんな素敵なツェツィのドレスを……」
疲れているせいか掠れた声で問いかけてきたソニアにはっと我に返る。見れば、彼女は眉間に深い皺を刻んでツェツィーリアを見上げていた。
ツェツィーリアは彼女のドレス姿を思い出す。とてもよく似合っていた。きっとエリオットも二度目の“一目惚れ”をするに違いない。
その日が待ち遠しかった。しかし同時に恐ろしくもあった。
「わたしがしたくてやっていることですから。……ソニア、どうかこれからも仲良くしてくださいね」
ツェツィーリアはソニアという友人を失うことを恐れていた。周りからどんな目で見られようと、蔑まれようと、できることならソニアとも友好な関係を続けていきたかった。――そしてもちろん、エリオットとも。
円満な婚約破棄。はたして本当に可能なのだろうか。グレーシェルとベルトランの楔をあと腐れなく断ち切ることはできるだろうか。
それを成し遂げたいと思う一方で、過ぎた願いなのかもしれないとも思い始めていた。
「何があっても……ずっと」
ロマンス小説は主人公とヒーローが結ばれて物語が終わる。めでたしめでたし、で本が閉じる。しかし現実はそうもいかない。エリオットとソニアの物語は、そしてツェツィーリアの物語はこれからも続いていくのだ。むしろ、これからが本番なのだ。
ロマンス小説の当て馬は途中で退場した後、どうなったか描写されることは少ない。作者によって救いの手が差し伸べられることもあるが、それは極めて少ない例だ。大抵は恋に破れ惨めに退場し、行方知れずになってしまう。
当て馬という立場を全うするなら、これからも友人でいたいなどという甘い考えは捨て去って、彼らの前から去るべきなのだ。分かっているのに、自分で決めたことなのに、ツェツィーリアは我儘な自身の心を醜く思った。
「……ツェツィ?」
怪訝な瞳でこちらを見るソニアに、ツェツィーリアは微笑む。
「エリオットをお願いしますね」
脳裏に浮かぶのは幸せそうに寄り添うエリオットとソニア。ツェツィーリアはその姿を遠くから眺めるのではなく、隣に立って祝福したかった。けれど――。
エリオットもソニアも、ツェツィーリアがいなくとも当然うまくやっていくだろう。むしろいない方が彼らも平穏な日々を送れるはずだ。過去の婚約者がいつまでも周囲をうろついていては、いつまでたっても新しい人生を始めることはできない。
ツェツィーリアは覚悟を決める。当て馬として彼らの前から惨めに退場するその瞬間をイメージする。
――ツェツィーリア・グレーシェルの物語は“めでたしめでたし”で終わらない。主人公にとってのハッピーエンドは、当て馬にとってのバッドエンドなのだから。
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