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「ソニア」




 早朝、ツェツィーリアは登校してきたばかりのソニアに声をかけた。

 ツェツィーリアもソニアも登校時間が元より早く、教室内に他の生徒は少ない。最近ソニアと話していると妙な視線を感じることが多いため――大方あの噂のせいだろう――この時間帯を選んだ。

 今回の話の内容を聞かれれば、またあらぬ噂が立ちかねないと考えてのことだった。ツェツィーリア自身は噂が盛り上がることを望んでいるのだが、噂の渦中にいるソニアに負担がかかっているのは明らかで――日に日に顔色が悪くなり、ツェツィーリアを前にすると恐縮するように身を縮こまらせる――彼女を慮った結果だ。

 噂になりそうな話題の内容。それは――創立記念パーティーでソニアが着るドレスについて。




「創立記念パーティーで着るドレスのことなのですが……」


「あ、それなら――」


「もしよろしければ、わたしの方で準備させていただけないでしょうか」




 ソニアはぎょっと目を見開く。それから大きく何度も首を振った。




「えぇ!? そ、そんな、さすがにそこまで甘えるわけには……!」


「気にしないでください。わたしが友人に贈り物をしたいだけですから」




 ツェツィーリアはソニアのために、エリオットと揃いのデザインのドレスを仕立てるつもりだった。さぞや絵になるだろう、と想像してはうっとり目を細める。

 しかしソニア本人は顔を顰め、硬い声できっぱりと言った。




「いいえ! 私はツェツィと対等な友人でいたいんです。それにドレスを頂いても、そうそう着る機会はありませんから、無駄にしてしまいます」




 恐縮しているというよりも、自分に施しをしようとするツェツィーリアを諌めるような声音と口調だった。まるで無駄遣いをする父親を叱る娘のようだ。

 しかし引き下がる訳にはいかず、ツェツィーリアも負けじと食い下がった。




「対等な友人だからこそ、贈りたいのです。施しではなく好意から」




 ラベンダー色の瞳を覗き込めば、ソニアは眉尻を下げて「ツェツィ……」と呟く。どうやらソニアはツェツィーリアからの“好意”を突っぱねる言葉を持ち得ていないようだった。

 すっかりしおらしくなってしまったソニアにツェツィーリアは微笑む。




「次のお休みの日、屋敷に来てください。ソニアに似合うドレスを選ばなければ」




 ね、と念を押すようにソニアの手を握った。すると彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げて、しかし確かに頷いた。

 次の休日が楽しみだと浮かれる心。“その日”が近づいているのだと焦りを感じる心。

 胸の内でぶつかり合う二つの心を持て余して、ツェツィーリアは己の頬が引きつるのを感じた。




 ***




 放課後、ツェツィーリアは教室で少々時間を潰した後、清掃委員の教室へ向かった。エリオットに用があるためだ。

 エリオットとソニアがオープニングセレモニーの打ち合わせのため、最近この教室をよく使用しているのは知っていた。様々な機材や道具を持ち込んでいるようで、普段より雑多な教室に何度か顔を出したことがある。

 ツェツィーリアはできる限り準備を行うエリオットたちに近づかなかった。二人の時間を邪魔したくなかったのはもちろん、自分が婚約者に近づかないことで“噂”がどんどん大きくなっていくのを感じたからだ。

 エリオットとソニア、そしてツェツィーリアの噂は日に日に大きくなっていき、今や生徒たちの中で一番の娯楽となっていた。エリオットとソニアは想いあっており、ツェツィーリアはそれを快く思っていない――というのが大方の見方のようで、ツェツィーリアが“悪事”に走るのを今か今かと待ちわびている者もいるようだ。

 ロマンス小説の当て馬はその多くが主人公に嫌がらせをしていた。であるからして、ツェツィーリアも偉大な先人たちに倣って“悪事”に手を染めるべきかと悩んでいたが、一歩を踏み出せないでいる。ただただ純粋に、ソニアという大切な友人を失いたくないからだ。

 扉の前に立ち、教室の中の様子を探る。どうやら幸運なことに、今教室内にいるのはエリオット一人のようだった。

 ソニアがどこにいるのかは気がかりだったが、この好機を逃してなるものかとツェツィーリアは素早く扉を開ける。




「エリオット」


「ツェツィーリアか」




 突然の訪問にも拘わらず、エリオットは落ち着き払っていた。ちらりと一瞬こちらを見た後、すぐに手元の紙束を捲って目を通す。

 オープニングセレモニーの準備で忙しいであろう彼に余計な時間をとらせないよう、ツェツィーリアは矢継ぎ早に尋ねた。




「どう? オープニングセレモニーの準備は順調?」


「あぁ」


「ワルツの練習は?」


「ソニアは飲み込みが早い」


「そう、それはよかったわ」




 素っ気ない返事も、冷たい声音も至っていつも通りのエリオットだ。それなのに彼との距離が遠く感じられる。それはいったいなぜだろうと考えて、深紅の瞳が一度もこちらを見ていないからだと“答え”に辿り着いた。それと同時に、今までどんなに興味がない話題でも、エリオットは自分の顔を見て話を聞いてくれていたのだと今更ながら気付く。

 寂しいと思う己の心を叱咤して、ツェツィーリアは本題を切り出した。




「ソニアのドレスをグレーシェルで用意することにしたの。どんなドレスがいいかしら?」




 数秒の沈黙。それからゆっくりと深紅の瞳がツェツィーリアを貫く。




「なぜ俺に聞く」




 吐息交じりに吐き出された声には困惑が滲んでいた。




「あなたの衣装とも合わせなくてはと思って。どんなドレスが好き? 色とか、デザインとか」




 エリオットはツェツィーリアの心の内を探るように訝しげな瞳を向けてくる。しかしツェツィーリアはそれ以上口を開かず、笑顔を顔面に貼り付けて椅子に座るエリオットを見下ろすこと数秒、彼は諦めたのか手に持っていた紙束を机の上に投げるように置いた。

 一番上の紙に書かれていたのは当日の段取りだった。何時に会場入りして、何時に準備に取り掛かるかといった簡単なタイムスケジュールで、なぜエリオットはこの紙を熱心に見つめていたのかと疑問に思う。

 考えること、更に十秒。ツェツィーリアが閃くより先に、エリオットが口を開いた。




「……明るい色のドレス」




 ――エリオットが明るい色のドレスを好むとは初耳だった。それと同時に、今まで自分は彼の好みから外れたドレスばかり着ていたようだと心の中で苦笑する。

 ツェツィーリアが身に着けてきたドレスの多くは夜色のものだ。それはエリオットの髪色に合わせてのことで、黒いタキシードを着た婚約者の隣に夜色のドレスを身に纏って立つ瞬間が、ツェツィーリアは嫌いではなかった。

 しかしどうやらエリオットは夜色のドレスは好みでなかったらしい。記憶を掘り返してみれば、確かに一度も褒められたことがなかった。




「ありがとう。参考にさせてもらうわ」




 運命の恋人たちが結ばれた暁には、ソニアに過去のドレスを譲ろうかとも考えていたが、売り払って彼らの財産にしてしまった方が有意義かもしれない。ドレスの処遇はあとで考えるとして、エリオットの好みはきちんとソニアのドレスに反映させるつもりだった。

 ツェツィーリアはソニアが帰ってくる前に慌てて退室する。その際、背中に突き刺さる鋭い視線に後ろ髪を引かれるような思いだった。しかし振り返ることなくツェツィーリアは廊下に出る。

 ――最近、エリオットと過ごす時間がめっきり減った。

 朝こそ一緒に登校しているものの、放課後はオープニングセレモニーの準備で忙しいエリオットを置いて一人で先に下校している。エリオット本人も、噂を意識してか準備にかかりきりなのか、はたまたソニアとの二人の時間を堪能しているのか、校内でも屋敷でもできる限り近づいて来ない。けれど時折、先ほどのように鋭い視線を向けてくるのだ。

 声をかけてくる訳でも、呼び止める訳でもない。ただじっとツェツィーリアを見つめる。いったい彼は何を訴えたいのか、ツェツィーリアは知りたいような知りたくないような、なんとも複雑な心境だった。




「ツェツィ」




 ふと背後から呼び止められた。

 振り返らずともツェツィーリアにはその声の持ち主分かる。足を止め、




「殿下」




 ゆっくりと振り返りながら名前を呼んだ。

ツェツィーリアを呼び止めた声の持ち主――キアランは小さく右手を上げて駆け寄ってくる。




「どうした、後ろ姿が随分と寂しげだったが」




 指摘されて、ツェツィーリアは知らず知らずのうちに背中を丸めていたことに気が付いた。慌てて背筋を伸ばし、何事もなかったかのように微笑む。




「いえ、作戦がうまく行きそうだと胸を弾ませておりました」


「そんな顔で、か」




 ――そんな顔とはどんな顔だろう。

 うまい返しが思いつかず、ツェツィーリアはただ笑顔が引きつらないように気を張ってキアランを見上げる。すると彼は小さくため息をついた後、




「そうだ、ツェツィ。悪いが創立記念パーティーの日に急な公務が入ってな、出られなくなりそうだ」




 突然そんなことを言い出した。




「えっ」


「俺のかわりの者を寄こすから、悪いがそいつと組んでくれ」




 驚くツェツィーリアをよそにキアランは一人で話を進めていく。

 公務が入ったのであれは致し方ない。学生である前に、彼は皇太子なのだ。しかし代わりをキアラン自ら立ててくれたことにツェツィーリアは驚いた。




「その方は……」


「グレーシェルの将来の婿殿に相応しい血を持った者だ」




 ニ、と歯を見せて笑ったキアランに、ツェツィーリアははっとする。




(新しい婚約者を探すのをすっかり忘れていたわ。きっと殿下が気を遣ってくださったのね)




 “加護持ち”の新たな婚約者を見つける。それはエリオットとソニアのためにも、高等部在学中に成し遂げなければならないことの一つだ。

 エリオット・ベルトランという婚約者はグレーシェル伯爵家にとってこれ以上ない婿だ。“加護持ち”の血と国民からの支持という、グレーシェルが喉から手が出るほど欲している要素を見事に持ち合わせている。そんな彼を失っても実家が納得し怒りをおさめてくれるような、立派な婿殿を探さなければならない。

 キアランからの思わぬアシストに、ツェツィーリアはしみじみありがたく思う。

 偉大な恋のキューピットであり、何よりガードナー王国皇太子である彼の紹介となれば、相手の素性や身分は間違いないはずだ。エリオットたちと同様に、ツェツィーリアも創立記念パーティーをきっかけにして新たな相手と歩み始めてもいいかもしれない。




「ありがとうございます、殿下」




 深々と頭を下げたツェツィーリアに「おう」と応えるキアラン。

 ツェツィーリアは腰を折ったまま、キアランが目の前から去るのを待っていたのだが、




「……なぁ、ツェツィ。なぜ俺が他人の恋路に首を突っ込み、更にはお前たちを巻き込み続けたか、知っているか」




 突然頭上から問を投げられて顔を上げた。するとなんとも形容し難い表情をしたキアランと目が合う。

 優しく微笑んでいるようでいて、喉に小骨が刺さったような表情にも見えて、瞳の奥で苛立ちと悲しみが衝突し合っているような、様々な感情が内包された複雑な表情。

 なぜ幼馴染がそのような表情を浮かべているのか分からず、ツェツィーリアは首を傾げながら答える。




「……人の恋路に首を突っ込むのは何よりの娯楽だと、以前仰っていたではありませんか」


「それはあくまで表向きの理由だ。俺は常に表と裏の顔を持つ二面性の男なんでな」


「ふふ、なんですか、それ」




 思わずツェツィーリアが笑えば、キアランの表情が和らいだ。同時に肩がすとんと落ちて、ツェツィーリアは自分の体が強張っていたことに今更気が付く。

 自然と緩んだ口元をそのままツェツィーリアは再度口を開いた。




「でしたら、そうですね……実は殿下の恋人探しのため、他の生徒と関わる場を求めていた、とか」


「なるほど、それらしい理由だな。だが違う」




 再びの不正解に、ツェツィーリアはお手上げとばかりに小さく首を振った。これ以上答えが思いつかない。

 そもそもなぜ突然こんなことを問いかけてきたのか、それが分からなかった。また新しく恋に悩める少年少女を保護したのだろうか。もしくは本腰を入れてツェツィーリアに協力してくれる気になったのか――自分で考えておいて、悲しいかな、それはないなとツェツィーリアは小さく首を振る。

 存外答えはすぐに与えられた。




「さっさとくっつけたい“本命カップル”がいたんだが、当時の俺ではうまく成就まで導けなくてな。他のカップルは……言葉は悪いが、俺のキューピット力を高めるための練習だ」




 与えられた答えはツェツィーリアの予想と大いに反するものであった。

 キアランがキューピット活動を始めたのは昨日今日の話ではない。それこそ初等部の頃からで、数多くのカップルを結び付けてきた。そんな彼の“本命カップル”とは、いったい――?

 驚きに固まるツェツィーリアに、何を思ったのかキアランは慌てて口を開く。




「もちろん、本気で彼らの幸せを願っていたぞ」


「それは存じております」




 ツェツィーリアはすかさず頷いた。

 いつだってキアランは本気だったのは、傍で見てきたツェツィーリアが誰よりも分かっているつもりだ。恋に悩める少年少女の話を親身に聞き、時間と手間を惜しまず作戦を考えて、いつだって最良の結果を手繰り寄せてきた。

 そんな偉大な恋のキューピットが頭を悩ませる“本命カップル”とはいったい誰と誰なのか。ツェツィーリアの好奇心は大いに刺激されたが、名前を聞くのはあまりに野次馬精神丸出しになってしまうため憚られた。それに必要であればキアランから明かしてくれるだろう。




「それで、その“本命カップル”の恋の行方はどうなっているのですか?」




 だから名前ではなく、恋の行方を尋ねた。

 するとキアランは顔から笑みを消す。そしてツェツィーリアと視線を合わせるように膝を折り、親指で己の顔を力強く指した。




「ハッピーエンドに導いてやるさ。このキアランがな」


「……ふふ、それは心強いお言葉ですね」




 強く言い切るキアランの姿に、ツェツィーリアは安心した。彼に任せればきっと“本命カップル”も最良の結果を得られるはずだ、と。

 エリオットとソニアも、キアランが言う“本命カップル”も、どうか幸せになって欲しいとツェツィーリアは心から願った。



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