21




 フィルマンのためを思い、キアランが作り出した“最高のシチュエーション”は夕暮れ時の庭園だった。もっと正確に言えば、花々に囲まれたガゼボの中だ。

 色鮮やかな花々と緑に囲まれている、高級感溢れる白いガゼボ。そのコントラストは美しく、夕暮れ時はカップルが多く訪れる人気のスポットであった。

 フィルマンの絵の完成を待つ間、キアランたち清掃委員はガゼボ周りの掃除に精を出した。そしてガゼボを訪れる生徒たちに事情を説明し、数日の間近づかないで欲しいと頭を下げた。

 ――そしてやってきた作戦決行日。フィルマンは拙い手紙でマルシアを呼び出し、夕日が差しこむガゼボの下、マルシアに渾身の一枚を贈ったのだ。




「マ、マルシアさん! いつも本当にありがとうございます! これ、僕からの感謝の気持ちです!」




 その様子をツェツィーリアたち清掃委員は低木の陰に隠れてじっと見守る。

 マルシアは茶髪を一つ結びにした、活発そうな少女だった。手足がすらっとしており小柄なフィルマンよりも長身だ。

 目の前に差し出されたキャンバスに、マルシアは目を丸くして数秒固まっていた。




「ご、ごめんなさい、気持ち悪いですよね、急に似顔絵なんて送られて……」




 大方マルシアは突然のことに驚いていたのだろうが、たっぷり十秒はあいた間にフィルマンは自信を無くして俯いてしまう。そして差し出していたキャンバスを引っ込めようとしたのだが、それをマルシアが引き留めるように掴んだ。

 はっと顔を上げたフィルマンに、マルシアは微笑む。



「ううん、違うの! 驚いちゃっただけで……まさかフィルマンくんに似顔絵を描いてもらえるなんて思ってもみなかったから!」




 そして半ば奪うようにキャンバスを受け取ると、胸元に抱えてまじまじと見つめた。




「うわぁ、これ、本当に私? フィルマンくん、ちょっと美化しすぎじゃない?」




 照れくさそうに頬をかくマルシアはとても嬉しそうで、赤らんだ頬は夕日のせいではないだろう。

 ツェツィーリアたちは計画の成功を悟り、ほっと息をついた。そして誰からともなく顔を見合わせ微笑み合う。「終わったら打ち上げだな」と呟いたキアランの声音は嬉しそうだった。




「ありがとう、大切にするね」




 ツェツィーリアはマルシアのことをフィルマンの話でしか知らないけれど、贈られた絵を大切そうに強く抱きしめるその姿に好感を抱いた。きっと多くの人々に愛され、素直にすくすく育ってきたのだろう。そして彼女の素直さがフィルマンを救ったのだ。

 ふと、フィルマンが何かを躊躇うように俯いた。かと思うと彼は体の横で拳を強く握りしめる。そして数秒の後顔を上げ、




「これからも、僕の友達でいてくれますか?」




 声を震わせながら、尋ねた。

 ――これからも友達でいて欲しい。

 それはマルシアに恋心を抱くフィルマンにとって、本当の望みではなかったはずだ。しかしその言葉を自分の口から発することで、彼は自身の恋心を昇華させようとしているのだと、ツェツィーリアは胸が締め付けられるような思いだった。

 改めて友達でいて欲しいという願いに、マルシアは面食らっているようだった。しかしその願いを笑うことも否定することもせず、彼女は笑顔で大きく頷いた。




「当たり前だよ。よろしくね、フィルマンくん」




 ――マルシアに微笑みかけられたフィルマンの表情が、ツェツィーリアの瞼の裏に焼き付いた。

 眉間に薄い皺を寄せ、眉尻を下げ、目を眇めているフィルマンは、まるで眩しい太陽を見つめているようだった。決して近づかず、手も伸ばさず、ただ焦がれるように太陽を見つめる。

 このとき、フィルマンの恋は一つの結末を迎えた。万人が喜ぶハッピーエンドではなかったけれど、フィルマン本人にとっては最善の結末だったとツェツィーリアは信じたかった。




 ***




 マルシアが庭園を後にしたのを確認してからフィルマンの許に駆け寄った。

 彼は清々しい表情でツェツィーリアたちを見回し、




「本当にありがとうございました」




 一人ずつ相手の目を見て頭を下げた。

 顔を上げたフィルマンが再びツェツィーリアを見る。そして胸元から手のひらサイズの小さなキャンバスを取り出したかと思うと、こちらに向かって差し出してきた。




「あの、ツェツィーリア様……気持ち悪いと思ったんですが、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたくて」




 受け取ったキャンバスを覗き込むと、そこに描かれていたのはツェツィーリアの横顔だった。透明感溢れる色使いが素晴らしく、自分の似顔絵だというのにしみじみと眺めてしまう。マルシアが「美化しすぎじゃない?」と照れ隠しに言いたくなった気持ちが分かった。

 しばらくその場の全員が美しいツェツィーリアの似顔絵に見入っていたのだが、突然キアランが大声を上げる。




「って、俺たちのは!?」


「す、すみません。時間がなくて……」




 どうやらフィルマンが描いた似顔絵はツェツィーリアのものだけらしい。一人だけもらうのは主にキアランに悪いような気がしたが、向けられた真心が嬉しくてツェツィーリアは素直に受け取ることにした。

 しかしここで一つの疑問が浮かんでくる。おそらく今回、一番フィルマンの世話を焼いたのはキアランだ。告白せずに感謝の気持ちを伝える、という作戦変更を後押ししたのはツェツィーリアだが、だからといってフィルマンと特別親しくなったわけではなかった。

 ――それなのに、なぜ自分の似顔絵を?

 その疑問に対する答えはフィルマン本人から与えられた。




「ツェツィーリア様が僕の気持ちを、一つの愛の形だと肯定してくださったこと……本当に嬉しかったです。ありがとうございました」




 そう言って笑ったフィルマンは出会ったときよりずっと凛々しく見えて。

 どうやら作戦変更に納得いかない様子のキアランを窘めるため、ツェツィーリアが放った言葉がフィルマンの胸に深く刺さったようだ。あくまでキアランに向けた言葉であって、フィルマンを励ます意図で発した言葉ではなかったのだが、どうであれ彼の心に響いたのであれば喜ばしいことだ。

 ツェツィーリアは先ほどのマルシアと同じように胸元にキャンバスを抱き込み、ゆっくりと頭を下げる。




「こちらこそ、ありがとうございました」




 キアランがフィルマンの頭を乱暴に撫ぜた。そして「打ち上げするぞ!」と肩に腕を回し、乱暴に引きずっていく。

 その後にエリオットか続き、ソニアが続き、ツェツィーリアも続く――と、ツェツィーリアはほんの一瞬足を止め振り返った。

 夕日に照らされた美しいガゼボ。先ほどまでそこに立っていたフィルマンとマルシアの姿は脳裏に焼き付いている。

 フィルマンは想い人の幸せを願った。その姿は誰よりも凛々しく、愛に満ちていた。




(これも一つの、愛の形……)




 ツェツィーリアは前を見る。夕日に照らされたエリオットとソニアの姿に目を眇める。

 ただ、幸せになって欲しいのだ。国民から後ろ指を指される“尻拭い婚約”から解放されて、真実の愛を見つけて、大好きなロマンス小説のように。彼らの物語の最後の頁に、いつまでも幸せに暮らしましたと綴られるように。

 ――しかし今ツェツィーリアがやろうとしていることは、本当に彼らの幸せを願ってのことなのだろうか? ツェツィーリアが本当に願っているのは、彼らの幸せではなく、自分の――




「ツェツィーリア!」




 エリオットの声にはっと我に返るツェツィーリア。気づけば開いてしまっていた距離に、ツェツィーリアは慌てて駆けだした。



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