20
翌日の放課後、再び偵察組と相談組に別れ、相談組であるツェツィーリアは暗い表情のフィルマンと向き合っていた。
昨日から取り掛かっていた恋文のお手本についてだが、完成したお手本はよく言えば綺麗にまとまった、悪く言えば無難過ぎて無味無臭になってしまい、キアランが完成して早々に破り捨てた。こんな誰に出しても通用する恋文に心を動かされるはずがない、フィルマン自身の言葉で語るべきだ――なんて、胸を打つそれらしい言葉と共に。
キアランの意見に概ね同意したツェツィーリアは、フィルマンに恋文を書かせるべくあの手この手で彼の背を押そうとしていた。しかし一向にペンは進まず、焦れたキアランが外の空気を吸ってくると出ていったのが今から十分ほど前。
どんどん萎縮していくフィルマンを前に、ツェツィーリアは努めて優しく語りかけた。
「ときに派手に飾った美しい文章より、拙いながらも真摯な言葉が胸を刺すこともあります。まずは素直にフィルマン様の心情を綴ってみてはいかがでしょうか」
「は、はい……」
ツェツィーリアの言葉に頷いたフィルマンの手は震えている。文字を書こうにも震えが大きすぎてペン先が紙にうまく着地せず、ミミズが這うような文字もどきが生成されるだけだ。
なぜフィルマンがここまで緊張しているのかは分からなかったが、とにかく震えを止めようとツェツィーリアは水筒を取り出した。中にはルイディナが淹れてくれた、心落ち着く香りのハーブティーが入っている。
いつの間にかキアランが教室内に持ち込んでいたカップを一つ拝借して、ツェツィーリアはフィルマンにハーブティーを振る舞った。
「フィルマン様、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたハーブティーをグイッと一気飲みするフィルマン。あったかい、と零した声は穏やかで、先ほどよりも明らかに肩の力が抜けていた。
「落ち着きましたか?」
「はい、ありがとうございます」
この穏やかな雰囲気を維持できている内に、とツェツィーリアは間髪入れずに問いかける。
「フィルマン様はどうしてマルシア様に心惹かれたのですか?」
一瞬フィルマンの瞳は動揺するように動いたが、ツェツィーリアは穏やかな笑みを浮かべたままじっと見つめる。すると彼は心を落ち着けるように大きく深呼吸した後、ゆっくりと語り出した。
「ぼ、僕、体も小さいし根暗だし、周りからずっとからかわれていたんです。けれどマルシアさんは僕をからかうクラスメイトたちを一喝してくれて、特別扱いをする訳でもなく、普通に接してくれるんです」
泳いでいた瞳は爛々と輝き、たどたどしかった口調は力強いものになり、俯いていた顔はしっかりと前を見据える。
その変化にはツェツィーリアも目を見張るものがあり、フィルマンが心から相手のことを好いているのは明らかだった。
「絵も褒めてくれました。フィルマンくんの描く絵はあたたかな感じがするって。ちょっとした賞を取ったときは自分のことのように喜んでくれて……」
頬を赤らめてフィルマンは視線を落とす。当時のことを思い出しているのか若干熱に浮かされたような表情で、まさしく恋を患う少年の姿だった。
――が、しかし、その顔に影が差した。彼が更に俯き、口元をぎゅっと引き結んだためだ。
「わ、分かっているんです。マルシアさんは僕を特別に思っている訳じゃない。彼女はあくまで普通に僕に接してくれているだけ。でも僕は、からかわれることでしかクラスメイトとコミュニケーションの取れない僕は……その“普通”が喉から手が出るほど欲しかった」
ツェツィーリアにはフィルマンの感情をすべて理解することはできなかった。しかしマルシアが与えてくれた“普通”がどれだけフィルマンにとって得難いものだったのか、それは彼の表情から察することができた。
眉尻を下げ、瞳を潤ませ、口元は震えながらも緩やかに微笑んでいる。泣きそうでいて、幸せを噛みしめているようにも見える、そんな表情。
「マルシアさんに告白したいとか、ましてや付き合いたいとか、そんな大それたことは考えていません。ただ、感謝を伝えたいんです」
フィルマンは顔を上げる。その瞳には憂いも迷いもなかった。
――確かに彼はマルシアに恋をしている。しかしその想いを告げることを彼は望んでいない。それはただ怖気づいているからではなく、マルシアのことを誰よりも想っているからこそ、辿り着いた答えのように思えて。
ツェツィーリアは恋の成就より、彼の想いを尊重するべきだと判断した。それが最善の道だ、と。
「でしたら恋文ではなく、感謝のお手紙に致しましょう」
「感謝のお手紙、ですか?」
「はい。マルシア様にして頂いて嬉しかったこと、どれだけフィルマン様がマルシア様に感謝しているか……」
フィルマンはツェツィーリアからの提案を咀嚼するように再度俯く。そして何を思いついたのか、ぱっと顔を上げた。
「あ、あの、手紙でないとだめでしょうか?」
「え?」
「そう! あ、いや、ではなくて、その……“絵”を描いてはだめでしょうか」
苦手な手紙ではなく、マルシアが褒めてくれた絵で気持ちを伝えたい。
そう訴えるフィルマンの姿はツェツィーリアの瞳には眩しく映って、思わず目を眇めた。
「とても素敵だと思います」
真っすぐに相手を思いやる気持ち。ただ、相手に幸せになって欲しいという想い。
フィルマンがマルシアに向けている感情は、ツェツィーリアがエリオットに向けている感情に酷似しているように思えた。
――幸せになって欲しい。けれどその相手は自分ではない。
酷似しているように思えるのに、なぜだろう、ツェツィーリアはフィルマンを真っすぐ見ることができなかった。彼の眩しさに抱えていないはずの後ろめたさを刺激され、思わず目を逸らしてしまいそうになるのだ。
自分とフィルマンの何が違うのか、結局ツェツィーリアには分からなかった。
***
外の空気を吸うと言って出ていったキアランが戻ってきたのは、フィルマンが絵を描き始めてほどなくしてのことだった。
机の上に放っておかれた恋文を見て、キアランは不思議そうな表情をする。彼が集中しているフィルマンに声をかける前にと、ツェツィーリアは素早く説明した。するとツェツィーリアの気遣いも虚しく、キアランはフィルマンの真後ろに立って彼が書いている絵を覗き込む。
「なんだ、恋の告白は諦めるのか?」
ずけずけとした物言いだが腹が立たないのはキアランの声音に揶揄うような響きがないからだろうか。疑問を投げ掛けられた当人も作業を邪魔されたというのに不快そうな素振りは一切見せず、それどころか手を止めてキアランを振り返った。
「僕に告白なんてはじめから無理な話だったんです。それに告白したところで、優しいマルシアさんを困らせるだけ……気を遣われたくないんです、マルシアさんだけには」
「いい子ぶっちゃってなぁ」
はぁ、とキアランはため息をつくが、散々フィルマンの愚痴を聞いてきた彼には彼で思うところがあるのだろう。フィルマンもキアランには多大な恩を感じているようで、ため息をつかれても「ご協力いただいたのにすみません」と誠心誠意謝っていた。
フィルマンが作業を再開する。その後ろでキアランはどこか納得していない表情を浮かべていたのを見て、ツェツィーリアは彼の隣に立った。
「これも一つの愛の形だとわたしは思いますよ」
ツェツィーリアは全面的にフィルマンの肩を持っていた。
ロマンス小説の主人公も度々恋に破れることがある。想いを告げられずに終わってしまう恋もある。けれど主人公たちはそれらの恋を無駄だと切り捨てることはしなかった。自分の成長の糧として、一皮むけたより魅力的なキャラクターへと成長するのだ。
そんな彼女たちをツェツィーリアは好ましく思い、創作上の人物ながら尊敬していた。そして同じような気持ちを今この時、フィルマンに抱いていた。
「相手のことを考え、相手を困らせたくないと願い、想いを告げず胸に秘める道を選ぶ……それも立派な一つの愛です」
フィルマンが描く絵を眺めながらツェツィーリアは微笑む。
キャンバスの上に姿を現しつつあるのは、笑顔がまぶしい一人の少女だった。きっと彼女こそフィルマンの想い人、マルシアなのだろう。少女を描くフィルマンの迷いのない指先が、彼の想いの深さを物語っているようだった。
「ツェツィの“それ”も愛の形の一つってことか?」
――瞬間、ツェツィーリアは己の心臓が跳ねたのを自覚した。
弾かれたようにキアランを見る。こちらに向けられた金の瞳はツェツィーリアの胸の内を見透かすように細められており、思わず目を逸らしてしまった。
(エリオットとソニアを結び付けることを仰っているんだわ)
キアランは言葉少なに問いかけてきているのだ。エリオットとソニアを結び付けることが、エリオットを“尻拭い婚約”から解放してやることが、ツェツィーリアの愛なのか、と。
もちろんその通りだった。その通りのはずだった。それなのにツェツィーリアの体は石にでもなってしまったかのように動かなかった。小さく頷くことすらできなかった。
いったいそれはなぜなのか。――キアランの声から、表情から、否定されているように感じたからだ。
お前のそれは愛ではない、と。エリオットを想っているふりをして、お前は自分のことしか――
それ以上考えてはいけない、とツェツィーリアは自分の思考にストップをかける。
「……なんのお話でしょう、殿下」
引きつる口元を髪で隠すように顎を引いて、ツェツィーリアはすっとぼけた。すると第三者がいる前でこれ以上踏み込んでくる気はなかったのか、キアランは「なんでもない」とすぐさま引く。幸いフィルマンは作業に集中していて、二人の会話は聞こえていなかったようだ。
落ちる沈黙にツェツィーリアは息が詰まりそうだった。ただ余計なことを考えないよう、フィルマンの指先を一心不乱に見つめ続けていた。
ややあって扉がノックされる。そして、
「戻ったぞ」
聞き込みを行っていたエリオットとソニアが戻ってきた。
ツェツィーリアは今二人の姿を見ることに後ろめたさにも似た感情を抱え、フィルマンが描く絵から目線を動かせずにいた。
「偵察隊! 作戦変更だ!」
「は?」
「フィルマンは愛の告白ではなく、マルシア嬢に感謝を伝えることにしたらしい。それなら俺たちは、最高のシチュエーションを作り出すことに心血を注ぐだけだ!」
キアランから突然告げられた作戦変更。
このときエリオットとソニアはそっくりな表情で驚いていて、昨日のツェツィーリアであればその事実に心を浮つかせていたはずだが、フィルマンの絵を見る振りをしていた彼女が気づくことはなかった。
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