19 ー 作戦6:少年の恋の結末




 ――ソニアがグレーシェルの屋敷を訪れた休日明け、エリオットに異変が現れた。

 エリオットは初等部の頃から学院内ではツェツィーリアに付きっきりだ。まるで護衛の騎士のような姿を意地の悪いクラスメイトに揶揄われたこともある。しかし今では多くの学生が見慣れてしまった光景で、ツェツィーリアとしても数歩後ろにエリオットが控えていることが当たり前になってしまっていた。

 今朝もエリオットはツェツィーリアについて歩いていた。ただ今までと違うのは――数歩後ろに下がるのではなく、ツェツィーリアのすぐ横に立ち、更にはツェツィーリアと別の生徒の間に物理的に割って入るようになったのだ。




「……エリオット? どうかした?」


「何がだ」




 さりげなく様子を窺おうにも取り付く島もない。エリオットは自身の“異変”について説明するつもりはないようで、放課後にはツェツィーリアも諦めていた。




「さて諸君、今日は恋に悩めるフィルマンの告白計画の発案と、マルシア嬢とその幼馴染トマスの関係の聞き込みを平行して行おうと思う」




 清掃委員の教室でキアランが高らかに宣言する。

 ソニアの件が落ち着いたこともあり、恋に悩めるフィルマンのキューピット活動を本格的に開始しようとしているのだ。若干キアランの顔が疲れているように見えるのは、今日まで一人でフィルマンの愚痴を聞いてきたからだろう。




「二手に分かれたいところだが――」


「俺とソニアで聞き込みを行おう」




 エリオットの言葉にツェツィーリアは目を見開いた。

 ――あの絵に描いたような堅物エリオットが! 婚約者であるツェツィーリア以外の異性と二人きりになることを頑なに避けてきたエリオットが! 自分からソニアと二人での行動を提案するなんて!

 今まで何度かエリオットはソニアを女子寮に送っているし、その際も二人きりになっていた。しかしそれと今回とでは訳が違う。

 寮へ送り届けたのは暗い中婦女子を一人で帰らせてはならない、という紳士的な理由からだ。致し方ない事情があった。しかし今回は避けようと思えば避けられる場面で、自分から二人で行動したいと言い出したのだ。

 しかし先日の思い詰めた様子、そして今朝からの異変を目の当たりにしているツェツィーリアは、素直に喜んでいいものかと一瞬思い悩む。そしてソニアの隣に並んだエリオットの姿を一瞥して――素直に浮足立つ己の心に苦笑した。




「そうだな、俺が下手に嗅ぎまわるとマルシア嬢に勘付かれかねない。エリオットとソニア嬢のコンビなら疑われにくいかもしれないな」




 キアランが背を押すようにそれらしい理由をつけて頷く。ツェツィーリアはキアランの素晴らしいアシストに心の中で拍手を送りながら、その凛々しい横顔を熱く見つめた。

 不意にキアランの金の瞳がこちらを向く。




「ツェツィは俺と作戦を一緒に考えてくれ」


「は、はい、もちろん」




 返答の声が若干上ずってしまったが、不信に思われた様子はない。

 ツェツィーリアはキアランの隣に並び立って、エリオットとソニアの二人に向き合う。相変わらず無表情のエリオットとどこか戸惑った様子のソニアに微笑みかけ、似合いの並びだとしみじみ思った。

 エリオットの持つ硬い雰囲気が、ソニアの可憐な雰囲気によって中和されている。黒と薄桃色という髪のコントラストも見栄えがよく、さながらロマンス小説の挿絵のようなゆめゆめしさだった。




「では、解散!」




 キアランの掛け声でエリオットは促すようにソニアを見た。視線を受け止めたソニアは慌てて扉へ向かったのだが、その際エリオットがエスコートするように扉を開けたのをツェツィーリアは見逃さなかった。

 廊下からすっかり足音が聞こえなくなったのを確認して、ツェツィーリアはキアランに詰め寄る。




「で、殿下! エリオットが自分からソニアと二人きりになりたいと言い出すなんて、これは……!」


「おっとツェツィ、些か意訳が過ぎるようだぞ。エリオットは二人きりになりたいとは言っていない」




 興奮するツェツィーリアの言葉をキアランは冷静に訂正する。




「いいえ、そう言っているようなものです!」




 尚言い募ったツェツィーリアだったが、キアランはちらりと廊下の方を一瞥するだけだった。呆れたように大きなため息をつくことすらせず、ただ一度、エリオットたちが消えていった扉を見ただけ。

 随分と冷めた様子のキアランにツェツィーリアは首を傾げる。彼はまだエリオットとソニアをくっつけることに反対なのだろうか。




「ツェツィ、フィルマンを迎えに行くぞ。今日は恋文の文章を考えてやる約束をしているんだ」


「は、はい、殿下」




 すぐさま話題を戻したキアランに、彼は今フィルマンの恋を第一に考えているのだろうと思い直し、ツェツィーリアはしっかりと頷いた。




 ***




「駄目です、恋文なんて書けません! ロマンチックな文章なんて、僕の頭じゃこれっぽっちも思い浮かばない!」




 清掃委員の教室で、恋に悩めるフィルマン少年は悲鳴にも似た声を上げた。

 二つの机を向き合う形でくっつけて、フィルマンの真正面にツェツィーリアが座っている。キアランはフィルマンの真横に椅子だけ持ってきて座ると、机の上に置かれたいくつかのロマンス小説に手を伸ばした。

 このロマンス小説はツェツィーリアのものだ。先日用途も告げられず何冊か持ってきて欲しいとキアランから依頼されたのだが、どうやら彼は恋愛相談で使用するつもりだったらしい。




「参考文献としてツェツィがロマンス小説を持ってきてくれたぞ。ほら、読んでみろ」




 真面目なフィルマンは言われたままにロマンス小説を手に取る。そして適当な頁を開き、数分じっくりと読み込んだ。

 ツェツィーリアの向かいでフィルマンは顔を赤らめたり、青ざめさせたりと大忙しだ。彼が手に取った小説のタイトルを確認して、そこまで感情を揺さぶられる台詞や展開があっただろうかと記憶を辿り――

 不意に、パン! と小気味いい音を立ててフィルマンが本を閉じた。そして涙目で主張する




「こ、こ、こんな歯の浮くような台詞! 僕には一生かかっても言えません!」




 どうやらロマンス小説はフィルマンにとって良い参考書にならなかったようだ。ツェツィーリアは自分の持ってきた小説はもう用済みだと思い、そそくさと鞄の中へしまい込んだ。

 キアランが机の上に頬杖をつく。そしてわざとらしい大きなため息を吐き出した。




「素直に書けばいいんだよ。ずっと前から好きでした、授業中あなたの横顔に見惚れてしまいます……とかな」


「うわぁあああ! どうしてキアラン殿下がそれを知っているんですか! もしかして魔法で僕の姿を見て……!?」


「適当言っただけだって」




 軽快な会話の応酬にツェツィーリアは口元を緩める。恋の進展はともかく、キアランとフィルマンは短い期間でかなり親しくなったようだ。

 その後、どういう流れかキアランとツェツィーリアが恋文の“お手本”を見せることになった。これが案外難しく、それ見たことかとどこか偉そうなフィルマンを横目に、二人でああでもないこうでもないとこねくり回していたのだが――

 完成を目前にして、教室の扉がノックされた。




「お、偵察隊が返ってきたみたいだ」




 フィルマンが顔を上げたタイミングでエリオットとソニアが入室してくる。




「どうだった、二人とも。マルシア嬢と幼馴染トマスの仲は探れたか?」




 すぐさま答えは返ってこなかった。一瞬落ちた沈黙はおそらく、エリオットとソニアが互いにどちらが答えるべきか迷ったからであろう。ツェツィーリアは深紅の瞳とラベンダー色の瞳が絡んだ数瞬を見逃さなかった。

 譲るようにラベンダー色の瞳が伏せられる。それを見てエリオットは口を開いた。




「多くのクラスメイトが二人の仲を疑っているようだが、決定的な場面は誰も見ていないらしい。付き合っているのかと聞いても幼馴染だと返されるそうだ」




 得られた答えは想定内のものだった。

 大抵こういう場合は本当に付き合っていなかったりするものなのだが――その“大抵”の前にロマンス小説なら、という枕詞がつくため、ツェツィーリアは口を挟まず頷くだけに留めた。現実の二人は本当に付き合っていて、何らかの理由で隠している可能性もある。

 再び落ちた沈黙は先ほどよりも重く感じられた。




「次あたるとしたら、部活や委員会が同じ生徒だな」




 重い空気を跳ね除けるように声を張ったキアランにツェツィーリアは頷いて応える。

どうしてもエリオットとソニアの様子が気になってしまうが、今はフィルマンの恋を優先するべきだと気合を入れなおし、お手本の恋文を完成させるべく再びペンを手にとった。



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