18
ツェツィーリアは思いもしなかった人物からの手紙に数秒固まってしまう。誰も悪くないことは重々承知の上で、つい先ほどまでロマンス小説を語り合い浮かれていた心に冷や水をかけられたような心境だった。
デザイナー・ダヌシエの名前に真っ先に反応したのはルイディナだ。
「まぁ! ツェツィーリア様のドレスの件ではありませんか?」
「そのようだ」
「お嬢様、見てみましょうよ!」
呼びかけられてツェツィーリアは我に返る。そして取り繕うように笑顔を顔面に貼り付けた。
国内一の有名デザイナーに特注でドレスをデザインしてもらうなんて、まさに乙女の夢だろう。嬉しくないなんてこぼせば世界中から反感を買ってしまいそうだ。
ドレスの採寸はまだ先だ。それまでにある程度、婚約破棄の話を現実的なものにしなければならない。デザイナー・ダヌシエにも折をみてきちんと事情を話し、キャンセル料を請求してもらわなくては。
夢の世界から現実に引き戻されたツェツィーリアは重い足取りで手紙を持つエリオットの許へ近づく。そして差し出された封筒の封を切り、中に入っていた手紙に目を通した。
どうやらデザイナー・ダヌシエはウェディングドレスのデザイン案をいくつか送ってくれたようだ。気に入ったものを教えて欲しい、という文で手紙は締めくくられており、手紙と一緒に何枚かデザインスケッチが同封されていた。
一枚目を開く。そこには美しい白鳥をモチーフにしたウェディングドレスが描かれていた。
「なんて素敵なんでしょう! きっとお似合いになりますわ」
感嘆の声を上げたルイディナの声がツェツィーリアには遠く感じられた。
確かに美しいウェディングドレスだ。鳥の羽を模したデザインは中々斬新だが奇抜ではなく、神々しさすら感じる。しかしツェツィーリアの胸が感動に震えることはなかった。
二枚目のデザインは体のラインが出るスマートなシルエットのウェディングドレスだ。繊細な刺繍があちこちに施され、大人っぽい印象を受けた。特筆すべきはトレーンの長さで、デザイン画の隅に五メートルとのメモ書きを見つける。
「御伽噺のお姫様みたい……! とっても素敵ですね、ツェツィ」
ツェツィーリアは話しかけられるまでソニアが傍に来ていたことに気づかなかった。気づけばルイディナの姿はなく――紅茶を淹れなおしに行ったのだろう――数歩後ろでエリオットがこちらの様子を窺っている。
ツェツィーリアは運命の恋人に挟まれて、着ることのないウェディングドレスのデザインを見ている自分がひどく惨めに思えた。そしていっそソニアの結婚式に譲ってしまおうか、なんて思う。身長も体型も似ているから――ツェツィーリアもソニアも女性にしては少しばかり長身で、すらっとしている――自分用に作られたドレスをそのままソニアに横流しできるかもしれなかった。
デザイン画を眺めながら、このウェディングドレスをソニアが着ている様を想像する。それは夢のような華々しい光景で、沈黙していた心が息が吹き返していくのを感じた。
美しい花嫁ソニア。そしてその隣に立つのは、白のタキシードを着こなしたエリオット――
「ツェツィ? 大丈夫ですか?」
ツェツィーリアの肩にソニアの手が触れる。彼女はラベンダー色の瞳を曇らせて、ツェツィーリアの顔を覗き込んでいた。
「ありがとう、ソニア。少し疲れただけで、大丈夫ですから」
デザイン画はまだ何枚かあるようだったがツェツィーリアはさっさと封筒にしまい込んだ。あとで一応は目を通すとして、デザイナー・ダヌシエには申し訳ないが返事はもう少し待ってもらおう。
ツェツィーリアは数歩離れた場所に立ったままのエリオットを見やる。そして帰宅早々手紙を届けてくれた彼にお礼を言わなければと声をかけた。
「エリオットもありがとう。わざわざ届けてくれて」
「いや」
よかったら一緒に紅茶をどうかと誘おうとしたのだが、驚くべきことにエリオットは何の断りもなくツェツィーリアの部屋に足を踏み入れた。婚約者であるしもう家族みたいなものだからエリオットの無礼を咎めようとは思わなかったが、珍しいな、とツェツィーリアは驚く。
彼はいつだって、使用人の部屋に入るときにだってノックをかかさない紳士だ。ましてや異性の部屋にはよほどの用事がなければ近づこうともしない徹底ぶりで、最近ではツェツィーリアが風邪をひいたときぐらいしかこの部屋に入ることもしなかったというのに。
エリオットは大股で歩みを進めたかと思うと、椅子にかけられた“それ”を見下ろした。
「――……このストール」
「え?」
「このストールはソニア嬢のものか」
エリオットが指さしたのは、今日ソニアが身に着けていたストールだった。
最初ツェツィーリアは王都近くではあまり見ない染物のストールに興味を示したのかと軽く考えたが、ソニアに問いかけるエリオットの横顔があまりに鬼気迫ったもので言葉を失う。なぜ彼がそんな表情をしているのか、ツェツィーリアにはまるで見当がつかなかった。
「は、はい。母から譲りうけたもので……あの?」
真正面からエリオットの鋭い視線を受け止めたソニアも当惑している様子だった。彼女も染物のストールについて何か“心当たり”がある訳ではないらしい。
これがロマンス小説なら、ソニアが持っている染物のストールは過去エリオットが彼女に贈ったもので、ソニアはそれをすっかり忘れている――なんて展開が王道だろう。エリオット側は幼い頃に出会った
しかしそんなふざけたことを考えていられるような雰囲気ではなかった。エリオットは剣呑な空気を纏い、じっとソニアのストールを見下ろしていた。
「エリオット、どうしたの?」
緊迫する部屋の空気に息苦しくなって、ツェツィーリアは控えめに声をかけた。するとエリオットはハッと我に返ったのか、ぎこちなく首を振って答える。
「いや……見事な染物だ」
それは明らかに誤魔化しの言葉だった。先ほどまでのエリオットはどう見ても、ストールの美しさに感動していた様子ではない。
しかしツェツィーリアは言及を避け、エリオットの誤魔化しの言葉に乗るようにして会話を続けた。
「確かに素晴らしいわね。あまり店でも見ない、自然の色だわ」
短い会話ではあるが先ほどまでの張り詰めた空気が緩む。――が、しかし、すぐにエリオットの硬い声によって緩んだ空気は元通りになってしまった。
「帰りは遅くなるのか」
真正面からソニアに問いかけるエリオット。ソニアはたじろぎつつも、ゆっくりと首を振った。
「ゆ、夕食前には失礼しようかと思っています」
「分かった。寮まで送ろう」
有無を言わせない物言いだった。
その後、紅茶を淹れなおしたルイディナと入れ替わるようにしてエリオットは部屋から出ていった。ツェツィーリアとソニアは似たような疑問を心の内に抱えつつも、それを口に出すことはしなかった。考え、話し合ったところで、エリオットの不可解な言動の理由を解明することはできないと分かっていたからだ。
香り高い紅茶と共に、ロマンス小説について再度語り始める。ソニアの好みを聞いて、ツェツィーリアとルイディナがそれぞれおすすめの小説を紹介する形で語らいは進み、定刻を告げる鐘の音が響くまで続いた。
「今日は本当にありがとうございました」
そして日が沈み始めた頃、ソニアはロマンス小説を数冊手に持ってグレーシェルの屋敷を出た。――エリオットと共に。
一瞬ツェツィーリアは自分もついていくと言い出そうか悩んだ。明らかにエリオットの様子はおかしいし、何より居心地が悪そうに背を丸めているソニアを哀れに思ってのことだった。
しかしエリオットはおそらく、ソニアと二人きりで話したいことがあるのだろう。それを邪魔するつもりはなく、二人の関係が良い方向へと発展してくれれば――と祈ることにした。
ガードナー王立魔法学院はグレーシェルの屋敷から徒歩で歩ける距離だ。ほどなくしてソニアを送り届けたエリオットが帰宅した。
ツェツィーリアはエリオットが帰ったと聞くなりエントランスへ急ぐ。すると丁度外套を脱ぎ、二階へと上がる途中の彼と鉢合わせした。
「お帰りなさい、エリオット」
「……あぁ、戻った」
そう答えたエリオットの表情は暗く、顔色も悪い。
ツェツィーリアは思わずエリオットに向かって手を伸ばしたのだが、
「どうしたの? 顔色がよくないわ」
「なんでもない」
吐き捨てるように呟いたエリオットは、ツェツィーリアの顔も見ずにその横を足早に通り抜けた。
伸ばした右手が空を切る。ツェツィーリアは慌てて振り返ったが、エリオットは乱暴な足取りで階段を上って行ってしまった。
エリオットはひどく思い詰めた表情をしていた。はたして彼にそんな表情をさせた原因は何なのだろう。彼はなぜソニアのストールに強い反応を示したのだろう。
どうであれ、今夜エリオットはソニアに何らかの目的で近づこうとした。それが純粋な恋心からだと言い切れるほどツェツィーリアは浮かれていなかったが、確実に縮まり始めている二人の距離に、とにかく今は喜ぼうと己に言い聞かせた。
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