17 ー 作戦5:屋敷へご招待
ソニアの一件が落ち着き、ロマンス小説の貸し出しを再開して数日経った頃、メイドのルイディナがソニアを屋敷に招いてはどうかと提案してきた。どうやら彼女も同士であるソニアと語り合いたいと考えているようだった。
ツェツィーリアは好機とばかりにメイドからの提案に頷いた。ルイディナには悪いが、“良い口実”を得られたと思ったのだ。
初めての友人に浮かれるツェツィーリアとしてもソニアを屋敷に招きたいと考えていた。しかし初めての友人故に距離感をうまく掴むことができず、友達になって早々に家へ誘うのはおかしいのではないかと悶々としていたのだ。
優秀なメイドであるルイディナはそんな主人の様子を見て背中を押そうとしたのか、はたまた本当に自分がソニアと会いたかっただけなのか、ツェツィーリアには分からなかったが、どちらにせよ心から感謝することに変わりはない。
翌日、ツェツィーリアはさっそくソニアに声をかけた。
「ソニア、良かったら今度、屋敷に遊びに来ませんか?」
「えぇ!? そ、そんな、よろしいのですか?」
「メイドのルイディナがぜひ一緒に話をしたいと言っているのです。もちろん、ソニアの都合がよければ、ですが……」
驚くソニアに“良い口実”をぶつければ、彼女は数秒考えた後、はにかんだ。
「ご迷惑でなければ、よろしくお願いします」
「よかった! でしたらさっそく次のお休みの日に……」
こうしてルイディナの素晴らしいアシストのおかげで、ツェツィーリアはソニアを屋敷に招くことに成功したのだった。
***
週末、グレーシェル伯爵家にソニアが訪れた。制服ではなく普段着のソニアはどこか普段より幼い印象で、淡い色のかわいらしいワンピースに大人っぽい染物のストールというちぐはぐさが、より彼女のかわいらしさを演出していた。
ツェツィーリアはエリオットを出迎えに引っ張ってこなかったことを後悔する。無理やりにでもその腕を引いて、制服姿とはまた違う魅力を醸し出す普段着のソニアを見せるべきだった。当の本人は調べものがあると言って、早朝から出かけてしまっているのだが。
「こ、こんにちは。お邪魔します」
「ようこそ、ソニア」
屋敷の中に招き入れたソニアの横顔が強張っている。あたりをしきりに見渡しては、豪華絢爛な調度品が目に入ったのか「わぁ」と感嘆の声を上げた。
グレーシェルの屋敷は当然のことながら豪勢だ。エントランスは吹き抜けで、有名な芸術家にオーダーした豪華なシャンデリアが客人を迎える。赤絨毯で彩られた階段は本調子でないときに見ると目がチカチカする眩しさで、正直なところツェツィーリアの好みではなかった。
二階の自室へ案内しようと歩き出したツェツィーリアだったが、すぐ横を歩くソニアの足元を見てくすりと笑う。
「緊張しているのですか? 右手と右足が一緒に出ていますよ」
「こ、こんな立派なお屋敷、写真ですら見たことがないので……」
ソニアも毎日通っているガードナー王立魔法学院の方がグレーシェルの屋敷より何倍も広く豪勢なのだから、そこまで驚くものだろうかとツェツィーリアは疑問に思う。しかしそう思うのもツェツィーリアが正真正銘の伯爵令嬢で、豪華絢爛な“実家”に慣れているからであり、悲しいかなこればかりは友人同士でも埋められない溝であった。
ツェツィーリアは二階の自室にソニアを招き入れた。そして自室の一角に置かれている大きく立派な本棚の許へ友人を案内する。
ソニアは自分の背よりもはるかに大きい本棚を見上げ、唖然と呟いた。
「これ全部ロマンス小説なんですか……!?」
はい、とツェツィーリアが頷けば、ソニアは食い入るようにして並べられた本の背表紙を辿り始める。
屋敷の中には大きな書斎があるが、流石にそこにロマンス小説を並べるわけにはいかなかった。そこでツェツィーリアは自室に持ち込んでいたのだが、どんどん増えていく本を見たメイドと執事がグレーシェル伯爵――つまりはツェツィーリアの父親――に本棚を買ってはどうかと進言してくれたのだ。結果として、ツェツィーリアは誕生日に立派な本棚を買い与えられた。
外からは嫌われがちなグレーシェルだが、使用人たちとの仲は良好であった。外から嫌われているからこそ、グレーシェルの人間は身近な関係の人々を大切にしているのだ。味方を一人でも増やすために、身近に危険分子を抱えないために。
「好きなだけ読んでください。もうすぐルイディナが紅茶を持ってきてくれるはず――」
「お嬢様、失礼いたします」
これ以上ないタイミングでメイド――ルイディナが入室してきた。サービングカートに香り高い紅茶と、最高級のスコーンを乗せて。
ツェツィーリアはルイディナに駆け寄ってソニアと向き合う。
「ソニア、こちらがメイドのルイディナ。わたしにロマンス小説を教えてくれたお師匠様で、ソニアに貸す小説も一緒に選んでくれています」
「お話はお嬢様から聞いております。お会いできて光栄です、ソニア様」
恭しく頭を下げるルイディナは黒髪の美しいメイドだ。年齢はツェツィーリアの三つ上なのだが、意志の強さを感じさせるキリッとした黒目と口元のほくろが艶やかで、年齢以上に大人びた印象を相手に与える。メイドとしても優秀でグレーシェル伯爵からの信頼も得ており、ツェツィーリアの身の周りの世話は彼女を含めた数名のメイドに一任されていた。
ソニアは見様見真似でルイディナと同じように頭を下げ、挨拶をする。
「こ、こちらこそ、ルイディナさんのおすすめの小説はどれも素晴らしくて……! いつも、お世話になってます……!」
最初はぎこちなかった会話も、共通の趣味を通せばすぐさま打ち解けた。
好きなロマンス小説の紹介から始まり、感想を語り合い、別の作品の話へ移り、再び感想を伝え合う――。
このときばかりは三人とも時間も身分も忘れて、存分に語り合った。
「――『皇女エリシア』! 名作ですよね!」
ふと、以前ソニアに貸して彼女がひどく気に入った作品の話になった。
『皇女エリシア』。記憶を失い皇女という己の身分すら忘れた主人公エリシアが、自分が何者か知るため世界中を旅する話だ。ヒーローは平民でありときには盗みも働く軽薄な男・アンドルー。ひょんなことからエリシアの旅に同行することになったアンドルーは、最初こそエリシアのことを馬鹿にしていたが次第に惹かれていく――。
「えぇ、えぇ。中でもヒーローのアンドルーが本当に魅力的ですわ。ロマンス小説には魅力的なヒーローが数多く登場しますが、わたくしはアンドルーが一番好きです」
「分かります! 主人公のエリシアも記憶喪失ながら、自分のルーツを辿ろうと強く生きていて――」
『皇女エリシア』はルイディナが持っていくよう強く勧めてくれたもので、彼女“イチオシ”の物語らしい。ツェツィーリアもお気に入りの小説の一つではあったが、ルイディナとソニアほどの熱量は持っていなかった。
そのためツェツィーリアはどこか他人事のようにしみじみと呟く。
「本当にソニアもルイディナも『皇女エリシア』が好きなのですね」
「あら! お嬢様もお好きじゃありませんか」
「えぇ。でも二人ほどじゃないわ」
ツェツィーリアの答えに、ルイディナの視線が本棚へ向かった。そして黒の瞳が素早く本の背表紙をなぞっていき、ある一点で止まる。
ルイディナの美しい指が本棚から取り出したのは、紺色の上品なハードカバーに金で『運命の恋人』と書かれた本だった。
「お嬢様の一番のお気に入りは『運命の恋人』ですものね」
そう言うルイディナの表情は心無しか曇っていた。彼女の表情の訳をツェツィーリアは知っている。
婚約者がいるヒーローと主人公が運命の出会いを果たし、運命の恋に落ちていく物語。ツェツィーリアからしてみればドラマティックだと思うのだが、ルイディナから賛同を得られたことは一度もなかった。
早い話、ルイディナは『運命の恋人』が好きではないのだ。
「確かに美しい物語ですけれど、わたくしはヒーローの優柔不断っぷりがあまり好きじゃありませんわ」
「ふふ、ルイディナはずっとそう言っているわね」
「婚約者がありながら他の女を抱きしめるような男を信じてはなりません! 主人公と結ばれた後も、この男は別の女に同じことをしますわ!」
力説するルイディナにツェツィーリアは苦笑することしかできない。
『運命の恋人』のヒーローが優柔不断か否か、また同じことを別の女性に繰り返すか否か、今まで散々議論してきた議題だ。しかし一度たりとも互いに納得する結論を出せたためしはなく、どこまでも議論は平行線上であった。
だから最近は話題に上げることを避けていたのだが、新たな同士・ソニアを前にルイディナは熱が上がってしまったらしい。しかしツェツィーリアとしてはソニアがルイディナ側につくのは明らかで――似たような設定であるロマンス小説に芳しくない反応を示していたのは記憶に新しい――負け試合に挑むつもりで控えめに主張する。
「そうかしら。ヒーローにとっての運命が婚約者のお嬢様じゃなかった、ってだけで、ヒーローは一度手にした運命を手放すことはないと思うのだけれど」
ちらり、と横目でソニアの様子を窺う。――彼女は何かに耐えるような表情で俯いていた。ぎゅっと、膝の上で拳を握りしめて。
やはりソニアは既に婚約者がいる相手との恋愛にひどく嫌悪感を抱くらしい。それが過去のトラブルに紐づいているものなのか、ただただ生理的に嫌悪しているのかは定かではなかったが、これ以上不快な思いをさせてしまう前に話を切り上げようとツェツィーリアはあたりを見渡した。何か話題にできそうなものを探すためだ。
ふと、放置されていたサービングカートを見つけた。瞬間、脳裏に浮かんだ休憩の二文字。
すかさずツェツィーリアは提案した。
「少しおしゃべりをしすぎましたね、休憩しましょうか」
ルイディナがはっとした表情をしてサービングカートへ駆け寄る。そしてロマンス小説に熱を上げる若い女性から優秀なメイドへ戻ったかと思うと、にこやかな笑顔を浮かべた。
「紅茶を淹れなおして参りますわ」
「お願い、ルイディナ」
ルイディナを見送りつつ、ソニアの表情を盗み見る。まだ若干表情は硬いものの、膝の上に置かれた拳は解けており、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
安堵に胸を撫で下したのも束の間、
「あら、エリオット様」
自室の入口の方から聞こえてきたルイディナの声に、ツェツィーリアは慌てて振り返った。すると丁度入口で鉢合わせしたらしいルイディナとエリオットの姿が視界に飛び込んでくる。
調べものがあるといって早朝から屋敷を出ていた彼が、こんな早く――とは言っても昼過ぎだが――帰ってくるのは予想外だった。今日ソニアが来ることは伝えていたから、一目見ようと早く切り上げてきたのだろうか。
じっとエリオットを見つめていると、彼の深紅の瞳と視線が絡んだ。かと思うとエリオットは一通の封筒を自身の顔の横に掲げる。そしてツェツィーリアに示すように数度小刻みに振って、
「デザイナーのダヌシエ殿からだ」
距離があるためか、普段より声を張って教えてくれた。
――デザイナーのダヌシエ。彼女は国内で最も有名なデザイナーであり、グレーシェルはダヌシエにツェツィーリアの結婚式のドレスを依頼していた。
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