15




 ソニアは自身が受けた嫌がらせについて多くを語らなかった。ただ物を盗まれたのは今回が初めてであること、そしてツェツィーリアが貸した本だけが盗まれたことを教えてくれた。




「今日はロマンス小説に精通しているメイドからアドバイスをもらっておすすめ作品を選んできました」


「いつもありがとうございます、ツェツィーリア様」




 だからクラスの中に潜んでいると思われる犯人にわざと見せつけるようにして、その日の朝、ツェツィーリアはソニアに数冊の本を貸した。犯人の目を意識するあまり若干芝居がかった物言いになってしまったが、別段おかしなところはなかったはずだ。至って普通の、友人同士の和やかな会話だった。

 ツェツィーリアはソニアに本を渡すと自席に付き、教室中に目を光らせた。怪しい動きをしている人物がいないか確かめるためだ。

 結論として犯人らしき人物の目星はつけられなかった。ツェツィーリアはおとなしく諦めて、犯人が動き出すときをただじっと待ち続けることにした。

 まず昼休み、ツェツィーリアは外に出る――と思わせて自分たちの教室が見える中庭の席を陣取り、ソニアの席をじっと観察する。しかし彼女の席に近づく怪しげな人影はない。




「引っかからないわね……」


「昼食時は他人の目があるだろう。放課後を待った方がいい」


「そうね」




 エリオットのもっともな言葉に頷き、監視の目は光らせつつもツェツィーリアは昼食を開始した。――と、自分たちの様子を不思議そうに見ているキアランの存在に気づき、彼に何も言っていなかったことを思い出す。

 ツェツィーリアは頼りになるキアランに相談することも一瞬考えたが、ソニアの『大事にしたくない』との思いを汲んで、内密に動いた方がいいだろう心の中で判断する。ちらりとエリオットを見れば、彼は口を噤んだ状態で頷いた。おそらくは同じ結論にたどり着いたのだろう。

 そう判断し、次の手を打つべく口を開いた。




「殿下、大変申し訳ございませんが、本日の委員会活動はわたしたち三人は欠席させていただけませんか」




 放課後、それは決戦の時だ。清掃委員――もとい、恋に悩めるフィルマンの話を聞いている時間は生憎とない。

 ツェツィーリアは伯爵家令嬢として度々家の用事が入る。そのため委員会を欠席することも珍しくはなかったし、欠席の理由を尋ねられたことも、ましてや引き留められたこともなかった。しかし無断で欠席する訳にはいかないと一言キアランに断りを入れるつもりだったのだが、




「……俺一人でフィルマンの話を聞くのか?」




 散々フィルマンの恋の悩みを聞いてきたキアランは思いのほか疲弊しているらしく、縋るような目を向けられてしまった。

 正直なところ、フィルマンの相手をキアランに任せきりにしている自覚があるため、今回ばかりはツェツィーリアも彼を気の毒に思うのと同時に罪悪感を抱く。しかし言葉に詰まったツェツィーリアに代わって、エリオットが慈悲を感じさせない声で答えた。




「どうしても外せない用事ができた。仕方あるまい」




 キアランには目もくれず――その深紅の瞳はひたすらソニアの席を見つめている――言い放ったエリオット。彼に縋っても無駄だと過去の経験からよく知っているキアランは食い下がることこそしなかったが、遠い目をしてぽつりと呟いた。




「夜寝るときもずーっとあいつの愚痴が頭ん中回ってるんだよ……」




 笑ってはいけないのだが、あまりに悲壮感溢れるキアランの姿にツェツィーリアは喉奥で笑いを噛み殺す。

 おそらくフィルマンは口にこそ出さないものの、いいや、口に出さないからこそ他人の数倍胸の内でぐるぐると考えるタイプだ。一度じっくり話を聞いてやると、普段内に秘めているたくさんの言葉たちが溢れて溢れてどうしようもなくなってしまって、初対面から一週間近く経つがまだ己の心中を語りつくせていないらしい。

 ソニアの一件が落ち着いたら自分もフィルマンの話を聞こうと心に誓い、ツェツィーリアはキアランに労いの意味を込めてハーブティーを差し出した。メイド長が直々に淹れてくれた王都で一、二位を争う美味しい紅茶だ。

 ハーブティーを口にするキアランに、無慈悲なエリオットは追撃する。




「貴様が連れてきた恋に悩める少年だろう。最後まで責任を持て」




 今度こそ撃沈したキアラン、そんな彼を一瞥もしないエリオット、慰めと謝罪の言葉をかけるツェツィーリア、申し訳なさそうに体を縮こまらせるソニア。

なんともちぐはぐな昼食会は間の抜けた鐘の音を合図に終了した。




 ***




 放課後、すっかり日も暮れた頃、決戦のときはやってきた。

 ツェツィーリアは教壇の下に隠れ、エリオットとソニアは魔法を使いカーテンの裏で姿を消していた。長い長い待機時間の末、欠伸を噛み殺すこともできなくなった頃、人気のない教室にその人物は現れたのだ。

 人影は顔を隠すように上等なストールを頭から被り、あたりを忙しなく見回していた。見るからに怪しいその人物はゆっくりとソニアの席に近づき、再度周りに人がいないことを確認してから地面にしゃがみ込む。

 ストールのせいで顔は分からなかったが制服は女子のものだ。目立った長身でも小柄でもない。ツェツィーリアは多くないクラスメイトの顔を脳裏に描くが、その人影に誰一人あてはめられずにいた。

 女子生徒はソニアの机に手を入れると、“それ”を胸元に抱えた。瞬間、ツェツィーリアは鋭く叫ぶ。




「何をしているのです!」




 人影ははっと弾かれたように顔を上げた。目元は相変わらず見えないものの、口元にほくろがあることに気が付いた。




「待ちなさい!」




 動揺してまごつく女子生徒にツェツィーリアは大股で近づく。そしてツェツィーリアが犯人の注意を引き付けている間、魔法で姿を消していたエリオットとソニアが捕獲する――という流れだったのだが。




「こ、来ないで!」




 果たしてそれは魔法だったのか隠し持っていた水筒をぶちまけたのか、ツェツィーリアの顔面に真正面から液体がかけられた。それに動揺したらしいエリオットは犯人の脇を通り抜けてツェツィーリアの腕を引く。




「ツェツィーリア!」




 何か危険な液体をかけられたのではないかと思ったらしい、顔面蒼白のエリオットがツェツィーリアの顔を覗き込んだ。そして液体の正体を確かめようと、自身の指の腹でツェツィーリアの頬を拭う。

 幸いにも、液体の正体は水だった。しかし思ったよりかけられた量が多く、顔だけでなく上半身がぐっしょりと濡れてしまった。




「大丈夫、ただの水よ。それより犯人は――っくしゅん!」




 エリオットの肩越しに犯人の姿を見ようとして、ツェツィーリアは教室に入ってきた風に身を震わせる。夜風が冷たく、あっという間に体が冷えてしまった。

 ツェツィーリアがエリオット越しに見たのは心配そうに瞳を揺らすソニアの姿だけ。犯人と思わしき人物は、水で大騒ぎしている間に逃げおおせてしまったようだ。

 思わずがっくりと落ちたツェツィーリアの肩にエリオットが着ていたブレザーがかけられる。そしてツェツィーリアの体を温めるように、ブレザーが熱を発した――のではなく、エリオットが魔法を使ったのだろう。

 ツェツィーリアの肩を抱き、半ば持ちあげるようにエリオットは歩き出した。




「目印を付けた、明日顔を合わせれば分かるはずだ。今日は帰るぞ」




 耳元で落とされた声に、つくづく優秀な婚約者だとツェツィーリアは感心する。魔法に関しては劣等生であるツェツィーリアは、エリオットが言う“目印”がどのようなものか脳裏にうまく思い描けなかったが、彼がそう言うなら大丈夫だろうと安心しきっていた。

 きっと明日全てが解決する。これなら水を被った甲斐もあるというものだ、とツェツィーリアは一人微笑んだ。

 ツェツィーリアが体の異変に気が付いたのはソニアと別れてすぐだった。ソニアの前では気丈に振る舞おうと気を張っていたのか、馬車に乗り込み彼女の姿が見えなくなった途端膝から崩れ落ちそうになったのだ。

 疲れもあるが、それだけではない。ぼうっとして定まらない意識に、熱がある、と他人事のように思った。

 時間が経てば経つほど熱は上がっていくようで、屋敷に着いた頃にはうまく歩けず、エリオットの手でベッドの上まで運ばれた。もしかすると今日ツェツィーリアはずっと本調子ではなくて、自分でも気づかないうちに無理をしていたのかもしれない。




「先日体調を崩されたばかりなのに……。こんな遅くに冷水を被れば、熱の一つや二つ出て当然です」


「すみません……」




 産まれたときから診てくれているかかりつけの医師にはため息をつかれる始末だ。




「一日安静にしていれば熱も下がるでしょう。お嬢様、無理は禁物ですからね」




 まるでベッドから出るなと言わんばかりに口元まで毛布を上げられて、ツェツィーリアは頷くことしかできなかった。

 ツェツィーリアの体調不良の始まりは、先日――下見中に資料室に閉じ込められた日まで遡る。あの日から回復しきっていない体で噴水に足を踏み入れたり、頭から大量の水を被ったり、と、確かに熱の一つや二つ出てもおかしくなかった。

 馴染みの医師を見送った後、ツェツィーリアの許にはエリオットが一人残った。どうやら彼はツェツィーリアが眠るそのときまで傍にいるつもりらしい。

 すっかり体も温まって今にも眠ってしまいそうなツェツィーリアは、意識を手放す前にとエリオットの名を呼ぶ。声は掠れていたが彼の耳に届いたようで、顔がぐっと近づいてきた気配がした。




「どうかソニアさんについていてあげて」




 もう目を開ける体力すら残っていないツェツィーリアは、自分の頼みにエリオットがどのような反応を示したか確認することはできなかった。しかし睡魔に飲み込まれる直前、頭に冷たい何かが乗せられたことは分かった。

 大きくて、かさついていて、冷たくて、それでいて懐かしさを感じる、何か。その正体を確かめることなく、ツェツィーリアの意識は深い眠りへと落ちていった。



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