14 ー 作戦4?:予想外のトラブル




 ――“それ”は唐突に訪れた。

 朝、挨拶がよそよそしくなった。昼食に誘っても断られるようになった。委員会活動には顔を出すが、目を合わせてくれなくなった。

 ツェツィーリアも最初は気のせいかと思ったのだ。“彼女”にも他に予定があるだろうし、ただ少し体調が優れなかっただけかもしれない。目が合わなかったのだってほんの思い過ごしで――何より、心当たりがないのだから。

 しかし三日目の朝、教室に入ってきたツェツィーリアの姿を見るなり、入れ違うように教室から出ていった“彼女”の背を目撃して確信に至った。




(ここ数日、ソニアさんに避けられている……)




 これはもう、紛れもない、誤魔化しようのない悲しい事実だった。

 ツェツィーリアは自身の行いを振り返る。何か嫌われるようなことをしただろうか。貴族らしい常識知らずの尊大な物言いをしてしまったのだろうか。しかしいくら振り返っても一切心当たりがない。そのことが余計にツェツィーリアを焦らせた。

 意識せず、ソニアを不快にさせてしまっていたとしたら、それはもう根本的に“合わない”ということになる。性格の不一致、価値観の違い――それらは一朝一夕に埋められるものではない。

 このときツェツィーリアはエリオットのことなど忘れて、せっかく得られた同士を失うかもしれないということに激しい焦りと悲しみを抱いていた。それと同時に、もし不快な思いをさせてしまったのなら謝らなくてはと思い、その一心で昼休み教室を一人出たソニアの後姿を追ったのだ。

 ――そこで、一人靴を脱ぎ噴水に入るソニアの姿を目撃した。




「ソ、ソニアさん!」




 驚きの光景にツェツィーリアは思わず声をかける。するとこちらに背を向けていたソニアが勢いよく振り向き――彼女がびしょ濡れの本を抱えていることに気が付いた。

 その本の表紙には覚えがある。数日前、ツェツィーリアがソニアに貸したロマンス小説だ。

 声をかけられたソニアは噴水から出ることなく、その場で大きく腰を折った。




「も、申し訳ありませんツェツィーリア様! 私の不注意で本を落としてしまい……!」




 誰の目から見ても、ソニアが嘘をついているのは明らかだった。

 今彼女が足を踏み入れているのは、裏庭にひっそりと設置されている古い噴水だ。人通りはほとんどなく、近くに落ち着いて本を読めるようなスペースもない。びしょ濡れの本は背表紙が破れているし、ただ不注意で落としただけでは説明がつかないほど痛んでいた。




(誰かがソニアさんに嫌がらせを……?)




 ツェツィーリアにはそうとしか思えなかった。それと同時に、ここ数日ソニアに避けられていた理由を悟る。

 おそらく彼女は、ツェツィーリアから借りた本を盗難されたことに気が付いたのだろう。そして全ての本を見つけ出すまで、一人で校内を探し回っていたのだ。よそよそしかったのも、借りた本を紛失したことに大きな罪悪感を抱いていたからに違いない。

 ツェツィーリアはふつふつと腹の底から怒りが湧いてくるのを感じた。どんな理由があれ、このような卑劣な真似が許されるはずもないし、顔も知らない誰かに友人との楽しいひとときを邪魔されたことにも腹が立った。

 気づけばツェツィーリアは靴を履いたまま噴水の中へ足を踏み入れていた。




「ツェ、ツェツィーリア様!」




 制止しようとしたのかソニアが駆け寄ってくる。

 彼女の驚きに見開かれた瞳を見て、また足の先からじわじわと浸食してくる冷たさに、ツェツィーリアの怒りに噴きあがった頭は徐々に冷静さを取り戻していった。

 決してあなたに対して怒っているのではない、という意思表示のために口元には笑みを敷いて、しかし普段よりはずっと硬い声で問いかける。




「心当たりはあるのですか?」


「え?」


「このような卑劣な真似をする者に、心当たりは?」




 ほんの一瞬、ソニアの瞳に躊躇いの色が浮かんだのをツェツィーリアは見逃さなかった。その鋭い観察眼は、あまり感情を表に出さない婚約者エリオットの心中を些細な表情の変化から推し量るために、自然と身についたものだった。

 ツェツィーリアは直感した。ソニアには“心当たり”がある、と。




「分かりません。ただ……私のような庶民がツェツィーリア様とお話すること自体、間違っていたのです。身分不相応でした」




 しかしソニアはすべてを微笑みで覆い隠してしまおうとする。それがひどく歯がゆくて、身分不相応という耳障りな単語にツェツィーリアの胸はざわついた。

 ツェツィーリアが気づかないところで、ソニアはその単語を何度も投げつけられたのだろう。硬い響きだ。冷たい響きだ。人と人の溝を広げるだけの、愚かな言葉だ。

 ソニアの細く長い指がツェツィーリアの手を取る。美しい彼女の指先は初めて握手したときと変わらず、硬く引きつっていた。

 恥ずかしい、とツェツィーリアは下唇を噛みしめる。なぜソニアの憂いに気づけなかったのだろう。なぜクラスメイトの愚行を止められなかったのだろう。自分が浮かれるその影で、ソニアは苦しんでいたのだ。

 ソニアに手を引かれ、ツェツィーリアは噴水から出た。




「御本は必ず新品を購入してお返し致します。申し訳ございません」




 再び頭を下げようとするソニアの肩を掴み、制止した。そして至近距離で目を見て叫ぶ。




「友人に相応も不相応もありません!」


「ツェ、ツェツィーリア様……」




 動きを止めたソニアの両肩から手を滑らせて、彼女の両手を上からぎゅっと握りこんだ。

 まだまだ肌寒い春先に噴水に入ったせいで芯まで冷え切っている。それはツェツィーリアも同じで、僅かな体温を分け合うように強く強く握りしめた。




「わたしはソニアさんと仲良くなりたいのです。その者の身分と、その者の実家と仲良くしたいのではありません」




 力が抜けきっていたソニアの手がピクリと動く。そしてむずむずと動いたかと思うと、片方の手がツェツィーリアの手の下から抜け出て、両手で握手を交わすような形に落ち着いた。

 ぎゅ、と手を握り返される。指先は相変わらず冷たいが、通じ合った心はこれ以上なく温かかった。




「絶対犯人を見つけ出しましょう!」




 ソニアは涙で瞳を潤ませつつ、大きく頷いてくれた。それが何よりツェツィーリアは嬉しかった。

 二人して足元を濡らしたまま教室へ戻ろうと裏庭を後にする。その道中、おそらくは途中までツェツィーリアを追ってきたのであろうエリオットと鉢合わせた。

 彼はツェツィーリアの姿を見るなり深紅の瞳をぎょっと見開く。そして大股で駆け寄ってきた。




「ツェツィーリア! なぜ濡れている!」




 すかさず魔法で足元を乾かそうとその場に傅く。その姿にソニアもはっとして、エリオットと同じようにその場にしゃがみ込んだ。





「わ、私が悪いんです。ツェツィーリア様に貸していただいた本を――」




 ツェツィーリアは言葉を続けようとしたソニアの口を物理的に封じるように手で遮る。そして足元を乾かしてもらっているのだからその体勢のままでいるべきだと思いつつ、エリオットと視線を合わせるために膝を折った。




「ソニアさんに嫌がらせをする不届き者がいるわ。見つけ出したいの」




 数秒の沈黙。エリオットはじっと上目遣いでツェツィーリアを見つめて、それからゆっくりと頷いた。




「分かった」




 なりふり構っている余裕はなかった。エリオットの手も借りて、一刻も早くソニアの安寧に満ちた学校生活を取り戻すのだ。

 ひとしきりツェツィーリアとソニアの足元が渇いたのを確認してからエリオットは立ち上がる。そして作戦を練るように腕を組んで考え込んだ彼に、ツェツィーリアは声をかけた。




「言い逃れができないよう、確たる証拠を掴めたらいいのだけれど……」


「校内には監視魔法がかけられている。教師に掛け合えば犯人はすぐ分かるはずだ」




 すぐさま明確かつ確実な答えがエリオットから返ってくる。

 ――が、しかし。




「お、お待ちください!」




 ソニアから待ったの声がかかった。

 ツェツィーリアとエリオットは全く同じタイミングでソニアを見る。声を上げたソニアはひどく恐縮した様子で、しかしはっきりと口にした。




「お力をお借りする身でありながら、このようなことを申し上げるのは大変心苦しいのですが、あまり大事にしたくはなくて……」




 ソニアの言葉を聞いてツェツィーリアは素直に疑問だった。大事にした方が他の者たちへのけん制にもなるし、何より生徒から生徒への加害問題はしっかりと学院側に報告するべきだ。

 どうして、と食い下がろうとしたツェツィーリアより数瞬早く、エリオットはソニアの言葉に隠された意図に気づいたようだった。




「特待生として、学院側からの心象が下がるようなトラブルは避けたいということか」


「申し訳ございません」




 特待生という単語にツェツィーリアもようやくソニアの憂いを悟る。

 一般家庭の出であるソニアは、特待生として学費の免除をはじめとした援助を学院から受けている。そもそも特待生の選別には明確な規定は設けられておらず、学院長をはじめとした教師の所感に左右される部分も大きい。つまり、教師たちからいかに好印象を勝ち取るかが肝となるのだ。

 優秀な成績を残せば当然それは好印象に繋がる一方で、貴族のクラスメイトと揉め事を起こしたと知れれば、面倒ごとを起こす生徒として悪印象を抱かれかねない。それをソニアは恐れているようだった。

 情けない話ではあるが、教師も所詮は雇われの身。商売相手である生徒の親の顔色を常に窺い、粗相をして怒りを買わないように必死なのだ。

 貴族の親――後ろ盾がないソニアは、学院を巻き込んでの大事になった際は立場がいっそう弱くなってしまう。

 正直な話、ツェツィーリアの実家であるグレーシェルとエリオットの実家であるベルトラン、そして何よりキアランの実家である王家がソニアに付けば怖いものなどなかったが、ここは彼女本人の意思を汲むことにした。




「でしたら犯人を誘い出して、現行犯で捕まえましょう!」




 ツェツィーリアは力強く拳を天に掲げる。それにソニア、エリオットが続き――エリオットは最小限の動きしかしなかったが――かくして犯人捜査大作戦が開始されたのであった。



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