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 昨晩遅くまで考え事をしていたせいか、翌日ツェツィーリアは寝覚めが悪かった。ソニアへ渡すおすすめ作品の選別も終わっておらず手あたり次第に鞄に詰め込んだところ、すごい量になってしまったのも災いして、支度を終えたのは屋敷を出る直前の時間だった。

 校門までは馬車で移動するため大荷物も気にならなかったが、校門から教室までは徒歩だ。普段の通学用鞄とは別に、大きな荷物を持っていれば当然目立つ。




「……なんだその荷物は」




 隣を歩くエリオットは馬車の中では見て見ぬふりをしてくれていたものの、さすがに我慢しきれなくなったのか、困惑を滲ませた低い声で尋ねてくる。




「ソニアさんにお貸しする小説よ。あれもこれもと詰め込んだら、大荷物になってしまって」




 持ってきたタイトルを確認するように鞄の中を覗き込んだツェツィーリアの耳に、エリオットの大袈裟なため息が聞こえてくる。おそらく彼は意図的に、ツェツィーリアに聞かせるために大きく息を吐きだしたのだろう。

 思わずムッとして顔を上げたツェツィーリアの目前にエリオットの大きな手が差し出された。そして、




「貸せ」




 視線こそ睨むように鋭いが、思いのほか優しい声音で促される。

 ツェツィーリアはすぐさま怒りを引っ込めて首を振った。




「悪いわ、エリオット。それにこれぐらい――」




 持てるから、と言い切る前に鞄を乱暴に奪われる。そしてエリオットはツェツィーリアとは反対側の肩にさっさと鞄をかけてしまった。




「大荷物を持った淑女の横で、素知らぬ顔をしていられるほど無教育じゃないんでな」




 エリオットは実の父親であるベルトラン辺境伯から紳士たるものかくあるべし、との教育を施されている。叩き込まれていると言ってもいいだろう。そんな彼が重い荷物を淑女に持たせることをよしとしないのは想定内のことではあったが、ツェツィーリアは彼の心が嬉しかった。

 実際ツェツィーリアに持てない重さではなかった。体力も力も周りのご令嬢と比べればある方だ。しかし食い下がるのも失礼だと思い、素直に引き下がる。




「ごめんなさい、ありがとう」




 エリオットの深紅の瞳を見上げれば、その目尻が僅かに緩む。謝罪も謝辞も受け取ってもらえたようだ。

 教室までエリオットと二人、肩を並べて歩く。初等部、中等部から数えるともう何年も同じ時間を繰り返しているが、ツェツィーリアは特に会話するわけでもない、穏やかな朝の時間が好きだった。

 しかし今朝は珍しくエリオットが口を開いた。




「楽しいか」


「え?」


「ソニア嬢とのご歓談は」




 エリオットの口からソニアの名前が出てきたことに歓喜しつつ、ツェツィーリアは素直に頷く。他意無しにソニアとロマンス小説の感想を語り合うのは楽しかった。




「えぇ! とっても。エリオットもよかったら同席しない?」




 そして若干の下心を覗かせて声をかけてみたが、エリオットは首を振る。

 買い物や観劇など、できる限りのことにエリオットは婚約者として付き合ってくれたが、ロマンス小説は例外だった。絵画や花など美しいものには殊の外興味をしめすものの、ロマンス小説のゆめゆめしさは肌に合わなかったらしい。一度おすすめしたきり、突っぱねられ続けている。

 ――と、そこでツェツィーリアは先日のやり取りを思い出した。エリオットはどういう訳か、ツェツィーリアとソニアが仲良くすること対してよい感情を持ち合わせていないようだった。無邪気にソニアとの歓談が楽しいと頷いてしまったが、彼はどのような表情を浮かべているだろうか、と上目遣いで様子を窺う。

 しかし予想外にも、エリオットは至って普通の仏頂面を浮かべていた。先日と違い、顔色も悪くない。




「結構だ。ロマンス小説は好かん」


「冒険譚は好きなのに……」


「ジャンルが全く違うだろう」




 ふん、となぜか偉そうに鼻を鳴らすエリオット。普段と変わりない様子に安心してツェツィーリアは会話を続ける。

 ロマンス小説を強引に押し付けることこそしなかったが、周りに同士のいないツェツィーリアは情熱を持て余し、しばしばエリオットに話を聞いてもらうことはあった。そうは言ってもツェツィーリアが一方的に感想を語るだけだ。

 ときには吟遊詩人のように壮大なストーリーを語り、ときには少女のように運命の恋に目を輝かせる。そんなツェツィーリアの様子をエリオットは横目で見つつ、大抵は香り高い紅茶を楽しんでいるのであった。




「あら、そうでもないわよ? 敵国同士ながら惹かれ合う主人公とヒーローが協和の道を探すために各国を旅したり、時には戦争を止めようと奔走したり――」


「それは『戦場のカサンドラ』だろう。何百回と聞いた」




 読んだことがないはずのロマンス小説のタイトルを言い当てたエリオットに、ツェツィーリアは目を丸くする。

 驚きで言葉が途切れたツェツィーリアに好機と思ったのか、エリオットはすかさず続けた。




「ストーリーはだいたい知っている。話の結末もな」


「……わたしのせい?」


「他に誰がいる」




 おそらくエリオットとしてはこれ以上ロマンス小説の話題を続けて欲しくなくて、切り上げさせるために放った言葉なのだろう。知っているから同じことを何度も話すな、と。

 しかし彼の狙いとは裏腹に、ツェツィーリアの胸はあたたかな喜びで満ちていく。

 ――てっきり聞き流されていると思っていたのに、きちんと話を聞いてさらには覚えていてくれたなんて。

 緩む頬を自覚しながら、エリオットの顔を覗き込んだ。




「あらすじが分かっていても面白いのに」




 読む気はない、と言わんばかりにエリオットはそっぽを向く。しかしその口元が僅かに上がっていたことをツェツィーリアは見逃さなかった。



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