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翌日、ツェツィーリアはロマンス小説の師匠であるメイド・ルイディナと共に厳選したおすすめ作品を持参した。昨日のヒアリングによると、ソニアは捻った設定や展開の少ない王道作品を好む傾向にあるようで、誰もが知っている名作から隠れた名作まで、幅広くカバーできるラインナップになったはずだ。
――もっとも量が多すぎてすべての本を持ってくることはできず、今日持ってきたのは第一陣である三冊だけだ。
「はい、ソニアさん」
「ありがとうございます!」
朝の挨拶もそこそこに、ツェツィーリアはさっそくソニアに小説を手渡した。
表紙を確認したソニアの瞳が輝いたのを見て、大したことはしていないのに大きな満足感に浸るツェツィーリア。やはり共通の趣味や嗜好は人と人の心を近づけると再認識し、エリオットとソニアの間にもどうにか共通点を見つけてみせると意気込む。
「読んだらぜひ感想を聞かせてください。同士と語り合いたくてうずうずしているんです」
「はい、必ず」
微笑み合って交わした約束は、数日後には果された。
ソニアは三日で三冊のロマンス小説を読破したらしい。つまり一日一冊読んだことになる。確かにツェツィーリアも夢中になるあまり時間を忘れて読みふけってしまうことがあるが、それにしてもハードカバーでそれなりに分厚いロマンス小説を一日一冊読んでしまうとは驚きだ。その集中力に、ソニアの特待生としての一面を見たような気がした。
「個人的には『皇女エリシア』がとても好きな作品でした。最初は軽薄な物言いだったヒーローが、主人公のために心を改めていく描写にじーんと来てしまって……」
「分かります! 冒険譚としても満足度の高い作品ですよね。終盤の別れのシーンは――」
最初は驚いていたツェツィーリアだったが、感想を言いあう内にどんどん熱中していく。ソニアも好きなことに関して語りが多くなるタイプのようで、互いに興奮して食い気味になってしまう会話がツェツィーリアからすれば嬉しかった。
一通り語りつくしたところで、ソニアの感想が若干偏っていることに気が付いた。
彼女が一番お気に入りらしい『皇女エリシア』が六割強、次に『騎士になった令嬢』が三割、そして最後に『騎士と亡霊』が一割もない、といった程度の偏りだ。どの作品もソニアの希望通り王道作品で、ツェツィーリアからしてみればそこまで大きな違いはないのだが、彼女好みの作品ではなかったのだろうか。
今後のおすすめ作品の参考にするためにも、ツェツィーリアは思いきって尋ねてみる。
「……『騎士と亡霊』はあまりお気に召しませんでしたか?」
一瞬、ソニアがギクリとした表情を浮かべたのをツェツィーリアは見逃さなかった。
「いえ! とても素敵な作品でした。文章が美しい作品ですね」
すぐさま取り繕うように微笑んで言ったソニアだったが、ツェツィーリアは流されることなく紫の瞳をじっと見つめる。すると徐々に彼女の眉尻が下がっていき、やがて美しい微笑みは苦笑へと姿を変えた。
ソニアは気まずそうに視線を足元に落とし、ゆっくりと口を開く。
「……ただ、その、既に婚約者がいるヒーローに思わせぶりな態度をとるヒロインに、あまり好感を抱けなくて」
『騎士と亡霊』が他二作と大きく違う点。それはヒーローに既に婚約者――つまりは当て馬がいるかどうかだった。『騎士と亡霊』のヒーローには親に決められた婚約者がいるのだがその間に愛はなく、婚約者は恋の障害の一つとして主人公の前に立ちはだかる。これも王道な展開の一つであり、ツェツィーリアが好む設定だった。
当て馬がいることでより主人公とヒーローの運命性が高まるのだ。ドラマチックかつ過激な展開も望めるし、ツェツィーリアは当て馬のことを何かと使い勝手がいい存在だと考えていた。
しかしソニアはそうは思わないらしい。
「運命の恋と婚約者に板挟みになって、苦難するヒーローは中々色気があるように思うのですが……」
「だったら一刻も早く婚約者に懺悔して、婚約を破棄するべきです。優柔不断で不誠実なヒーローに肩入れはできません」
きっぱりとソニアは言い切る。その顔には嫌悪感が強く現れており、下世話な勘繰りながらもツェツィーリアにはピンとくるものがあった。
――もしかしたら“優柔不断で不誠実な”誰かに苦しめられた過去があるのかもしれない。
しかしそうなると、今の状況は非常にまずい。ソニアがエリオットに想いを寄せていたとしても婚約者がいるという点に強い自制心が働き、想いを告げることなく胸の内に秘めてしまうかもしれない。エリオットから近づいた場合も、彼に対して好意どころか嫌悪感を抱く可能性がある。
(先に婚約破棄の話を進めるべきかしら……)
しかし婚約破棄だけ先に進めるとなると難易度が一気に跳ね上がる。それこそツェツィーリアが何か大きな粗相をして、王家及び実家のグレーシェル、相手方のベルトランに見放されるようにするしかない。しかしそこまでの大事となるとツェツィーリアも無傷でいられるはずはなく――
突如として現れた懸念事項に頭を悩ませていたツェツィーリアは、気づけば数秒の間黙りこんでしまった。その沈黙を悪いように受け取ったのかソニアは慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません。せっかく貸していただいた小説をこんな風に言って……」
どうやらソニアは自分の感想でツェツィーリアの気分を害してしまったと勘違いしたようだ。そのことに気が付いたツェツィーリアは誤解を解こうと慌てて首を振る。
「いいえ、素直な感想が一番うれしいですから。ソニアさんはとても誠実な方なのですね」
「いえ……」
微笑めばソニアはほっと安堵の息をついたが、それきり口を閉ざしてしまった。この件についてはあまり触れてほしくないようだ。
彼女の美しい顔をあそこまで歪ませた理由は気になったものの、さすがに好奇心で踏み越えてはならないラインだと分かっている。ツェツィーリアは話題の緩やかな転換と自分たちを包む若干張り詰めた空気の緩和を試みて、にこやかな笑みを浮かべた。
「そうだ、『皇女エリシア』がお好きとのことでしたら、同じ作者の『クロエの日記』もお好きかもしれません。今度持ってきますね」
「ありがとうございます」
ソニアもどこか硬かった表情を緩め、すっかり和やかな雰囲気が戻ってくる。そしてぎこちなさを上から上塗りするように、早口で感想を語り合った。
――どうやらソニアはヒーローやヒロインに別の婚約者・恋人がいる設定は苦手らしい。それも、強い嫌悪感を抱くほどに。
心の中にしっかりと書き留める。今後おすすめ作品を選ぶ際、決して忘れないように。
それと同時に、ツェツィーリアは己の腹の底に重い鉛のようなものが沈む感覚を味わった。エリオットとソニアの運命の恋大作戦の行方に暗い影が落ちたからだ。
その晩どうするべきか考えたが、何も答えは出なかった。すぐに婚約破棄の話を進められるはずもなし、その方法も思いつかない。しかしソニアは婚約者がいる相手に想いを寄せることも、寄せられることも好まない。
悩み、考え――やがてツェツィーリアは深い眠りに落ちていた。
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