11




 放課後、清掃委員の教室にガタガタ震える小柄な少年がやってきた。彼こそフィルマン・アンリ。父は有名な芸術家でありながら美術商としても名高く、その才能を存分に継いでいるともっぱらの噂だった。

 皇太子に肩を組まれ、可哀そうなほど顔を青ざめさせるフィルマンは、最初はろくに話せなかった。ツェツィーリアが水筒に淹れていたハーブティーを振る舞い、どうにかこうにか緊張を解そうと一時間以上苦心した結果、ようやくフィルマンは心中を語り始める。




「マ、マルシアさんは明るくて……僕みたいな根暗と釣り合うはずがないし……トマスくんは僕みたいな根暗にも優しく話しかけてくれるいい人だし……彼なら納得かなって……」




 語り始めると長いタイプだったようで、フィルマンの口はキアランを前に三十分以上閉じることがなかった。

 彼の言いたいことを要約すると、根暗な自分とマルシアは釣り合わない、トマス相手に敵うはずがない、という旨のことを言いたいらしい。まとめてしまうとそれだけなのだが、いかに自分が根暗か、いかにマルシアが素晴らしい人なのか、いかにトマスが優しくハンサムなのかを飾った言葉たちで語り続け、話の終わりが一向に見えない。

 エリオットは数分前、外の空気を吸ってくると眉間に濃い皺を刻んで退室した。ツェツィーリアは最後まで付き合うつもりだったが、ソニアの様子が気がかりで声をかける。




「ソニアさん、これはわたしたちが勝手にやっていることですから、無理に付き合っていただく必要はありませんよ?」




 魂をどこかに飛ばしていたらしいソニアははっとし、取り繕うように微笑んだ。その際若干頬が赤らんでいたのは、気の抜けた顔を見られたことに対する羞恥心故だろうか。




「いえ、とても……素晴らしいことだと思います。お忙しい皆さまが、ご学友のためにここまで心を砕かれるなんて」


「キアラン殿下はお心が大きいお方ですから」




 あくまで恋のキューピット役はキアランであり、ツェツィーリアとエリオットはその手助けをしているだけだ。言い出しっぺも皇太子殿下であるし、勉学だけでなく公務にも忙しい彼がよくやっているものだとツェツィーリアも時折思い出すように感心する。

 ソニアとの会話の最中も、右耳はフィルマンの声を拾い続けていた。心の内に秘めた想いを吐露するというより、もはや愚痴になっている話の内容にツェツィーリアは苦笑する。そしてあまりに自分を卑下した物言いをするものだから、ついつい口にしてしまったのだ。




「それにしてもフィルマン様はずいぶんと……“うじうじくん”のようですね」


「え!」




 “うじうじくん”――。それは最近読んだロマンス小説で、自分に自信のないヒーローを表す言葉として使われていた。

フィルマンの態度がヒーローの姿に重なり、自然と口から出た単語だったのだが、ソニアは驚いたように甲高い声を上げる。過剰とも言える反応にツェツィーリアは首を傾げた。




「どうかしましたか?」


「も、もしかしてツェツィーリア様は、ロマンス小説をお読みになるのですか?」




 先ほどよりも更に紅潮した頬。期待に輝く瞳。

 もしかして――。

 ツェツィーリアの脳内に一つの可能性が浮かんだ。

 ソニアも同じロマンス小説を読んでおり、“うじうじくん”という単語に心当たりがあったのではないか、と。

 逸る気持ちを抑えて、ツェツィーリアはゆっくりと頷く。




「はい。メイドに勧められてからすっかり虜になってしまいまして……そういうソニアさんも?」




 こちらからも尋ねれば、ソニアは食い気味で頷いた。




「はい! あまり多くの作品は読めていないので、ロマンス小説好きを名乗ってよいものか悩むところですが……」




 視線を伏せたソニアに、彼女の実家のことは何も分からないものの、ツェツィーリアには察する部分があった。小説を簡単に買うことができない経済状況なのかもしれない、と。

 当然本人に聞くことはできない。ただソニアの興奮した様子からするにロマンス小説が好きということは嘘ではないようで、同士との出会いにツェツィーリアはただただ喜んだ。

 ロマンス小説はどちらかといえば庶民の娯楽だ。貴族たちの間ではオペレッタやミュージカルが好まれており、学院内にロマンス小説を語りえる同士はいない。学院内どころか、ツェツィーリアの周りでロマンス小説について詳しいのはメイドのルイディナぐらいであった。

 だから同士と語り合いたいという一心で、ツェツィーリアは提案したのだ。




「今度、何冊かお持ちしましょうか」


「え! い、いいんですか?」


「もちろん。お好きな作品の傾向を教えてください」




 それ以降フィルマンの語りはすっかりツェツィーリアの耳には入ってこず、ソニアとのロマンス小説談話が弾んだ。その談話はフィルマンの話を一人で聞いていたキアランが音を上げるまで続き、本日の恋愛相談が打ち切られるのに合わせて終了した。

 その日の帰り道、ツェツィーリアは本来の目的も忘れて同志を得られたことにすっかり舞い上がっていた。一緒に帰っていたエリオットに、興奮気味で話を振ってしまうぐらいに。




「聞いて、エリオット! ソニアさんもロマンス小説が好きなんですって。今までロマンス小説について話せる相手といえばルイディナぐらいだったから、なんだか嬉しいわ」




 浮かれるツェツィーリアとは対照的に、エリオットは探るような視線を向けてくる。そして、




「ツェツィーリアはソニア嬢と仲良くなりたいのか?」




 なんとも不思議な問いかけを投げかけてきた。

 質問の真意を掴めず、ツェツィーリアは首を傾げる。なぜエリオットはそのようなことを聞くのだろう、と。

 今まで学友たちとの交友は少なからずあった。屋敷に呼ぶ程度に仲良くなった女子生徒も何人かいるし、彼女たちとの交流にエリオットは一切口を出してこなかったというのに――

 ソニアの立場故だろうかと考えつつ、ツェツィーリアは素直に答える。




「え? えぇ。同好のお友達っていなかったから……」


「そうか」




 小さく頷き、エリオットは目を眇めた。何かを思い出そうとするような、そんな表情だった。

 エリオットはソニアに思うところがあるのだろうか。それはツェツィーリアにとって喜ばしいことなのだが、表情からしてあまり好感を抱いている様子は見られない。むしろ、憂いているような表情で。

 もしかすると既にソニアに心惹かれており、婚約者と想い人が仲良くすることに後ろめたさを感じているのでは――

 できる限り前向きに考えてみたツェツィーリアだが、顔色の悪い婚約者の横顔に心配が顔をのぞかせる。




「エリオット、顔色が悪いわ。どうかした?」


「いや、ツェツィーリアがそう言うなら、いいんだ」




 なんとも意味深な言葉を最後に、エリオットは黙り込んでしまった。

 ツェツィーリアはしばらく憂いを帯びた彼の横顔の意味を考えていたが、当然分かるはずもなく、明日ソニアに貸すロマンス小説の候補を考えることで気を紛らわせた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る