08
冷たい扉を拳で叩き、「どなたかいらっしゃいませんか!?」と助けを呼ぶ。しかし閂をかけた人物はもうその場から去ってしまったのか、一向に返事は得られなかった。
(なんて間抜け! 下見中に閉じ込められるなんて!)
心の中で悲痛な叫びをあげるツェツィーリア。あまりにお粗末な己にほとほと嫌気が差した。
扉の前でしゃがみ込み、一通り自分自身を罵倒してからとりあえず落ちてしまった電気をつけようと立ち上がる。そして入口付近の魔石――この魔石に魔法を込めることで室内の電気がつく仕組みだ――に触れたのだが、部屋は暗いままだった。
ひやり、と先ほどまでは感じることのなかった冷気に襲われる。どうやら暖房も切れてしまっているらしい。
(閂がかかると、部屋全体の仕組みが強制停止されてしまうのかしら……)
あくまでツェツィーリアの推測だが、閂が部屋全体のスイッチになっているのかもしれない。
肌寒さに身を震わせて、ツェツィーリアはかび臭いブランケットを羽織った。そしてひじ掛けの壊れた椅子に腰かけ、光源を確保しようと魔法を使った――はずだった。
ツェツィーリアの手のひらに浮かんだ小さな炎は、バケツで水をかけられたかのように一瞬で消えてしまう。何度か試したが同じ結果で、ツェツィーリアの胸の内に徐々に焦りが生まれてくる。
(魔法封じが部屋全体にかけられているんだわ……)
外からかかる閂。部屋全体にかけられた魔法封じ。
やはりこの部屋はかつて、生徒指導室として使われていたのかもしれない。何か悪さをした生徒を閉じ込め、魔法を使わせず、反省を促す――
ツェツィーリアは焦燥感に駆られる心を落ち着けるためにも、意図して大きなため息をつき、自分に言い聞かせるように呟いた。
「仕方ないわね。大人しく待っていましょう」
使われていない資料室だとしても校内だ。きっと誰かしらが近くを通るだろうと楽観的に考えていた。
――が、しかし。
「誰も来ないわ……」
いくら待っても人の気配一つしなかった。
窓も時計もないためどれだけ閉じ込められていたかは定かではないが、ツェツィーリアの体感としては二、三時間は閉じ込められている。日も暮れ、どんどん校内に残る人も少なくなってしまっているだろう。
ツェツィーリアはあまりの寒さに歯をガタガタと鳴らしていた。
「魔法が使えないんじゃ体温調整もできないわね。この資料室を使わないでよかった。……いえ、逆にくっつく口実になるかしら?」
気を逸らすように呟いた独り言と共に、白い息が吐き出される。
いくらまだ夜は冷える時期とはいえ、ここまで冷え込むのはおかしい。もしかすると体の体温を奪うような魔法――頑固な不良生徒の体力を奪い、教室から出すのと引き換えに反省を促すための――が発動しているのかもしれなかったが、それを確かめる術も、体力も、今のツェツィーリアには残されていなかった。
「さむい……」
意識がどんどん薄れていき、ツェツィーリアは椅子から崩れ落ちるように地面に伏せた。体の芯から冷え込み指一本動かすことすら困難で、まるで雪山で遭難したようだと他人事のように思う。
これは罰かもしれない。キアランを巻き込み、強引にことを進めようと生き急いだ自分を、精霊様が窘めようとしているのだ。
あぁでも、とツェツィーリアの唇が歪む。
(精霊様は加護を持たないわたしを、見守って下さっているのかしら……)
十二の精霊から特別に愛され、強い魔力を持つ“加護持ち”。有力貴族の嫡男であるエリオットも皇太子であるキアランも“加護持ち”であったが、ツェツィーリアは貴族でありながら加護を持たぬ身であった。
両親には気にすることはないと幼い頃から言い聞かせられた。エリオットもキアランも一度だって気にするような素振りは見せず、話題に上がったことすら数える程度だ。
しかし一部から、加護を持たない能無し令嬢だと後ろ指を指され、嘲笑の対象にされていることを知っていた。その一部とは同じ貴族であったり、学友であったり、ツェツィーリアの実家・グレーシェル家をよく思わない平民であったり。一部とは言ったが、むしろその“一部”の方が大多数であることも、ツェツィーリアは薄々感付いていた。
尻拭い婚約。加護無し令嬢。
不特定多数から向けられる悪意にはすっかり慣れていたはずなのに、気づかない振りをするのも傷つかない鈍感を装うのも息をするよりも簡単だと思っていたのに。
どうして今、こんなに胸が痛むのだろう――
「ツェツィ! ここにいるのか!」
――瞬間、聞き慣れた声がツェツィーリアを悲しみの海から引き上げた。
この声はエリオットだ。聞き間違えるはずもない!
ツェツィーリアは最後の力を振り絞って顔を上げた。そして震える指先を扉に向かって伸ばす。
「エ、エリオット……」
絞り出した声は小さく、掠れていた。
「返事がない。別の場所をあたろう」
ツェツィーリアの声は届かなかったらしい、キアランと思わしき声がエリオットを急かす。
体を引きずるようにしてツェツィーリアは扉へ近づいた。そしてす再び手を伸ばす。
「待って、行かないで……」
声が出ない。体が動かない。ただただ、涙が滲むばかり。
離れていく足音に、深い絶望がツェツィーリアを襲う――
「ここにいる」
その声は、暗闇に差し込む一筋の光のようだった。
閂が外される音がする。それから数秒、パッと室内の電気がついて、部屋の空気が一気に温まった。
眩しさに顔を歪めながらツェツィーリアは顔を上げる。歪む視界の中、唖然とこちらを見下ろす深紅の瞳と目があった。
――エリオット。
ツェツィーリアは感極まってその名を呼んだが、彼の耳に届いただろうか。
「ツェツィ!」
駆け寄ってきたエリオットに強く抱きしめられた。
背中に回った腕が記憶の中よりもがっしりとしていて、いつの間にこんなに成長していたのか、なんて母のようなことを思う。胸板も厚く、ツェツィーリアが気づかないうちにエリオットは立派な青年へと成長していたようだ。
こうして彼に抱きしめられたのはいつぶりだろう。昔は何か共に喜ぶことがあれば抱き合い、触れるぬくもりに互いに安心していたはずだった。しかしいつからか触れ合いは最低限のものになり、手を繋ぐこともどんどん減っていって――
そのことを寂しく思っていたのだと、ツェツィーリアは今更気が付く。
(あったかい……)
胸板に頭を擦りつけるようにして、ツェツィーリアは意識を手放した。
自分を抱きしめるエリオットのぬくもりに、紛れもない幸福感を感じながら。
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