05
ツェツィーリアはすぐさま笑みを引っ込めて、苛立った様子のキアランに誠心誠意謝罪する。
「申し訳ありません、エリオットをソニアさんと二人きりにする絶好の機会だと思いまして……」
「今日の用事は?」
「何もありません……」
キアランの盛大なため息に、ツェツィーリアは身を縮こまらせた。
全て嘘だ。キアランに呼ばれていたということも、今日用事があるということも、全てはエリオットとソニアを二人きりにするための嘘。
粗方校内の案内は済んでしまったが、まだいくつか案内が必要そうな教室は残っている。それに万が一ツェツィーリアがいなくなったことで校内案内が中止になったとしても、エリオットはソニアを一人で帰すことはしないだろう。女子寮まで送っていくはずだ。
彼はツェツィーリア・グレーシェルの婚約者ではあるが、同時に一人の紳士。紳士たるもの婦女子を一人放りだすことはしないだろうし、何より優しい
「ただわたしがいなければ、エリオットは必ずソニアさんを送るはずです」
「女子寮までの僅かな道だろ?」
「小さな積み重ねが大事なのです!」
力強くツェツィーリアは言い切る。何がきっかけで恋の炎が燃え上がるかは当人にすら分からないのだとロマンス小説で学んだツェツィーリアは、あらゆる手を尽くすつもりだった。
しかしツェツィーリアが協力者に招き入れたい偉大な恋のキューピット・キアランはまたしてもため息をつく。そして優しく諭すような口調で言った。
「なぁ、ツェツィ。お前の気持ちも分かるが、無理にくっつけようとする必要はないんじゃないか? 嘘をついてまで……」
もっともな言い分にツェツィーリアの心は揺れる。
自分のやり方が随分と強引で、生き急いでいるとはさすがのツェツィーリアも分かっていた。このままではエリオットやソニアたちにも不審がられてしまうだろう。しかしとにかくツェツィーリアには時間がないのだ。
ツェツィーリアとエリオットの婚約の話は日に日に進んでいる。先日はついに結婚式の話まで話題に上がった。
歴史の古い名家・グレーシェル伯爵家とガードナー王国最強の盾・ベルトラン伯爵家の結婚式はそれはそれは盛大なものになるだろう。となると、自然と準備期間も長くなるはず。ツェツィーリアのドレスは国内一有名なデザイナーに依頼しようなどという話になり、まだ結婚式まで二年以上あるというのに今度採寸を行うらしい。
高等部卒業まであと二年。しかしその間にも着々と準備が整えられてゆく。仮に卒業直前で婚約破棄まで漕ぎ着けられたとして、その間に行っていた結婚式など諸々の準備費用を考えると末恐ろしい。ましてや全て直前でキャンセル、なんてことになり、まかり間違ってその負債がエリオットの運命の恋人に被せられでもしたら――
ツェツィーリアはぶるりと身を震わせて、迷いを断ち切るように頭を振った。
「いいえ! わたしたちの婚約の話は今も着々と進んでいます。あと二年でエリオットは永遠にグレーシェルに囚われてしまう……それだけは避けなければ!」
「囚われる、ねぇ……」
本日何度目か分からないため息をつくキアラン。彼はツェツィーリアの計画を強く否定することこそしないものの、積極的に手を貸すつもりもないらしい。
重苦しい空気がツェツィーリアの肩にずっしりとのしかかる。物心ついた頃から一緒にいるキアランだが、彼との間に重い沈黙が落ちたのはこれが初めてだった。
適当な話題を振るべきか、このまま黙っているべきか、それともいっそ帰ってしまうべきか――取るべき行動を決めかねて、そわそわと落ち着かない様子のツェツィーリアに、キアランはため息交じりに苦笑した。表情にこそ呆れが滲んでいるものの、細められた金の瞳は優しい色をしている。
向けられた苦笑にツェツィーリアはほっと胸を撫で下した。そして、
「そういや、今エリオットはグレーシェルの屋敷で世話になってるんだろ? すぐに帰ったら用事が嘘だったってバレそうだが、どこで時間を潰すつもりだ?」
キアランの鋭い指摘にぴしり、と固まった。
ガードナー王立魔法学院は王都のすぐ近くに建てられている。しかしながらエリオットの実家・ベルトラン辺境伯の屋敷は王都から遠く、学院に毎日通うには学生寮に入る、もしくはどこかに下宿する必要があった。そこで王都近くに屋敷を持つツェツィーリアの実家・グレーシェル家が名乗りを上げたのだ。
いずれは結婚する相手、今更遠慮もいらないだろうということでエリオットの下宿話はとんとん拍子で進んだのだが、中等部時点ではエリオットも学生寮に入っていた。なぜ高等部になって急に下宿の話が降って湧いたかのかと言えば――婚約の話が本格的に進み、グレーシェル側がエリオットを囲い込もうとしているからに他ならない。
今度こそグレーシェルはベルトランを、国民からの支持を、“加護持ち”の血を、逃がしてなるものかと躍起になっているのだ。
――などといった事情はあるが、とにかく今注目すべきはツェツィーリアとエリオットが帰る屋敷は同じだということ。つまり早々にツェツィーリアが屋敷に戻ってしまえば、彼に伝えた用事は嘘で何もなかったのだとばれてしまう。
どうにか学校で時間を潰すしかない、と時刻を確認するために時計に目をやったときだった。再びキアランから鋭い指摘が飛んでくる。
「つーか迎えは?」
“加護持ち”のエリオットがいるとは言え、有力貴族の令嬢と令息を二人きりで登下校させるほどグレーシェルもベルトランも平和ボケしていない。毎日メイドか執事が付き添って、馬車で送り迎えをしてもらっていた。
ツェツィーリアは慌てて今の時刻を確認する。下校時間はとっくに過ぎ、迎えの馬車はいつもの場所で待っていることだろう。はたしてエリオットが既に合流しているかどうか――
もしまだエリオットがソニアと校内を回っているのであれば、先に迎えの者に話をつけておきたかった。
「……今日の迎えはルイディナです。事情を説明して、協力してもらいます!」
何も知らないメイドは一人で現れたエリオットを見て、当然不審に思うだろう。普段予定があって帰りが遅くなるとき、またエリオットと帰りが別々になるときは事前に話を通しているからだ。ツェツィーリアの持ち前の真面目さがこのときばかりは災いした。
しかし裏を返せば、迎えの者に事前に「今日は予定がある」と話していたと偽装できれば、エリオットも納得するはずだ。ただ自分に話すのを忘れていただけだ、と。しかしそれはそれでエリオットの不興を買ってしまいそうな気もするが、今はあれこれ考えている暇はない。
幸い今日の迎えは特に親しいメイド・ルイディナだ。頼み込めば口裏を合わせてくれるはず。
ツェツィーリアは勢いよく椅子から立ち上がって早々と退室する。そしていつも迎えの馬車が待っている校門へと駆け足で向かった。
“加護持ち”であれば教室から一瞬で校門まで行けるのに――なんて、自分の血を恨めしく思いながら。
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