04 ー 作戦1:二人っきり




 特待生ソニア・マルティンを清掃委員に迎え入れた翌日、登校したツェツィーリアは意気揚々と彼女に声をかけた。




「おはようございます、ソニアさん」




 ツェツィーリアの声に読んでいた本を閉じたソニアは顔を上げる。そして「おはようございます」と控えめにはにかんだ。

ふとツェツィーリアは閉じられた本の表紙を見た。どうやらソニアは朝から分厚い魔導書を読んでいたらしい。

 さすがは特待生、と感心する一方で、勉学の邪魔をしてしまったのではないかと心配が胸を過ぎ去る。本音を言えば朝のホームルームが始まるまで交友に励みたかったツェツィーリアだが、鬱陶しく思われる前に退散しようと大人しく自身の席へ向かった。

 新年度二日目も今後の授業の説明などが主で、昼を跨がずに下校を許される。本格的な授業は明日から始まるようだ。

 昨日と同じように、ツェツィーリアは帰り支度をしているソニアに声をかけた。




「ソニアさん。放課後、よろしければ学院内をご案内します」




 瞬間、ソニアの表情がぱっと明るくなったのをツェツィーリアは見逃さなかった。彼女が広すぎる学院に辟易としていただろうことは、想像に難くない。

 広大な領地を所有し、大貴族の称号に相応しい屋敷に住むツェツィーリアにとっても、ガードナー王立魔法学院は広すぎる。一つ一つの教室が大きいのはもちろんのこと、かなりゆったりとした作りになっているために教室と教室の間も広く、廊下の端から端を移動するだけで一苦労だ。軽い気持ちで庭園に入ろうものなら迷子になりかねない。

 そもそもこの学院は敷地内を歩いて移動することを想定して造られていない。魔法を使って移動すること前提で作られているのだ。

 ガードナー王立魔法学院には“加護持ち”――この世界を創り出した十二の精霊から加護を授かり、強い魔力を持って産まれた者が多く所属している。ほとんどがそうで、割合的には“加護持ち”生徒は九割を超えるだろう。

 “加護持ち”にとって移動魔法はお手の物だ。息をするよりも容易く、学院の端から端まで一瞬で移動できる。――しかし加護を持たないツェツィーリアは、三つ隣の教室に魔法で移動するだけで息が上がってしまう。

 そのため学院内での移動はもっぱら徒歩だった。そしてツェツィーリアに合わせて、婚約者のエリオットも“加護持ち”でありながら、学院内で魔法を使うことは滅多にしない。自分のせいで相手に余計な負担を強いていることが、ツェツィーリアはひどく辛かった。




「そう言っていただけると本当に助かります。お恥ずかしい話ですが、この学校は広すぎて、どこに何があるか全然分からなかったんです」




 恐縮しつつもソニアはツェツィーリアが提案した案内に乗り気のようで、帰り支度を終えると勢いよく鞄を肩にかける。

 ツェツィーリアは案内のためにと用意していた校内の地図を広げ、訪れる頻度の高い教室を優先的に回ることにした。

 学校行事の際など事あるごとに全校生徒が集められる講堂、生徒向けに格安で高級料理が提供されている食堂、教師を訪ねる際に足を運ぶであろう職員室、国内で一・二位を争う所蔵数を誇る図書館――

 ツェツィーリアが先導し、その後ろをソニアが付いていき、殿をエリオットが務める。ツェツィーリアの期待虚しくエリオットは一言も言葉を発さなかったけれど、ソニアにはこれ以上なく感謝された。彼女は初日、お手洗いに行こうとして迷ってしまったらしい。

 一通りの案内を終え、窓から差し込んでくる日差しが傾き出した頃、廊下でばったりキアランと鉢合わせした。




「おー、教室に来ないと思ったらこんなところにいたのか」




 怒っているような口ぶりではなかったが、どうやらキアランは清掃委員の教室でツェツィーリアたちを待っていたらしかった。同じ学級である彼はツェツィーリアがソニアを校内案内に誘っている場面を見ていただろうが、思ったより案内に時間がかかってしまったため痺れをきらして探しに来たのかもしれない。

 気心の知れた幼馴染と言えど、皇太子殿下に待ち惚けを食わせてしまったことを謝罪しようとしたときだった。ツェツィーリアの頭に、一つの“名案”が浮かんだ。

 ――これはエリオットとソニアを二人きりにするチャンスだ、と。




「申し訳ありません、殿下! 呼ばれていたことをすっかり失念していました!」


「は?」




 慌ててキアランの許に駆け寄り、誠心誠意込めて謝罪をする。一方で謝られた側であるキアランは突然のことに呆けた表情を浮かべた。

 それもそうだろう。キアランがツェツィーリアを呼び出していた、などと言う事実は存在しない。今このとき、エリオットとソニアを二人きりにするためにツェツィーリアが咄嗟に思いついた“嘘”だ。

 しかしこのチャンスを逃しはしまいと意気込むツェツィーリアは、キアランに口を挟ませないように凄まじい勢いで捲し立てる。




「エリオット、わたしは殿下とお話しすることがあるから、あとはあなたがソニアさんをご案内して差し上げて! それと今日は用事があるから一人で帰るって伝えるのをすっかり忘れていたわ! エリオットも気にせず先に帰っていて!」


「おい、ツェツィーリア!?」




 そしてエリオットの制止も聞かず、キアランの腕を引いて廊下を爆走する。唖然としているであろうソニアの顔を想像しては申し訳ない気持ちに駆られたが、優しいエリオットはそんな彼女を見捨てず最後まで案内するはずだと信じ、人目も憚らず清掃委員に与えられた教室まで走った。

 ツェツィーリアがいては、エリオットはよほどのことがない限りソニアに話しかけようとしないだろう。別の異性に積極的に話しかけることは“、ツェツィーリア・グレーシェルの婚約者”として相応しい言動ではないからだ。しかし他でもない婚約者に置いていかれ、不可抗力で二人きりになってしまったなら、多少なりとも会話をせずにはいられないはず。

 もしかしたら思わぬ共通点が見つかり、会話が弾んでいるかもしれない――などと夢物語のような妄想を膨らませるツェツィーリアは、あれだけ長い廊下を走り階段を駆け降りたにも拘わらず、息がまったく切れていない。幼い頃の鍛錬の賜物なのか、基礎体力はかなりある方なのだ。

 一方で突然全力疾走させられたキアランは椅子に深々と座りこみ、どうにかこうにか息を整えた後、




「――んで? 俺とお話しすることってなんだ?」




 さすがに若干の苛立ちを声音に滲ませて問いかけた。



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