四
それからというもの、今度は青嵐が姫君の屋敷を訪れるようになりました。
とはいえ天狗の頭目がそうホイホイ人間の都に出かけてゆくわけにもいかず、二、三ヶ月に一度が関の山でしたが。
天狗たちは訝しがりましたが、つとめを果たしている以上、深く尋こうとはしませんでした。凪も何も言いませんでした。
姫君は
「見て、人よりずっと大きい。熊とどちらが大きいのでしょう。鎧のようなものを纏っているから、おそろしい生き物なのかしら。大きくて強いのであれば、一体何を食べているのでしょう……」
「外つ国のことは、己にはわからん」
「薫にも、わからないことがあったのですね」
「己とて仏ならぬ身だからな」
姫君は涼やかな笑い声を立てました。笑われても、馬鹿にされたとは青嵐は思いませんでした。かつて唐という国へ使者が遣わされ、代わりに唐からも、珍しい書物を携えた僧や学者がやって来たことは青嵐も知っていました。しかし、ふたつの国の行き交いは、それから長いこと途絶えていたのです。
書物の中には、ずっと昔に起こった戦乱や合戦の模様について書かれているものもありました。
「その合戦の様子なら、己も見たことがある」青嵐が口を挟みました。
凪の提案で、古戦場の様子を再現して遊んだときのことです。
「まあ、とても信じられません。これは何百年も前の合戦の様子を記したものなのですよ。それに、都では近年、大きな戦など起きていないではないですか。それだのに、幼いお前が、どうしてその様子を知ることができるというのです?」
「山の奥で、天狗たちが合戦をしているのを見たことがある」
「お山には天狗がいるのですか」
姫君は驚いた様子で聞き返しました。
「いる」
「天狗とはおそろしいものなのでしょう。ほら、この書にもそう書いてありますよ」
姫君が指差したのは唐の国の書物でした。天狗は凶つ星として現われるとか、国の滅びる前触れであるとか、いろいろおそろしいことが記されています。
「それは外つ国の話だろう」
青嵐は憮然として言い返しました。
「犀がこの国におらぬように、外つ国のものとこの国のものがひとつ残らず同じだと、どうして言える?」
「考えてみれば尤もですね……」姫君は素直にうなずきました。
「では、この国に居るという天狗はどのようなものなのでしょう……。薫は知っているのですか?」
「天狗にも、善いものと悪いものが居る。どちらも力は強く荒っぽいし、鳥より速く飛び、中には鬼のような面貌をしている者もいる」
「薫は天狗と同じお山に住んでいるというのに、怖いことはないのですか?」
「怖くはない。子熊を傷つけられれば母熊は怒るが、山の獣とてやたらに人を襲ったりはせぬだろう。山には足を踏み入れてはならぬ領域があるが、それを守っている限り、天狗たちはお前に悪さはしない」
「……妾も天狗が合戦をしているというところを見てみたい」
姫君はひっそりと呟きました。
見せてやりたいと青嵐は思いました。この姫ならば、どんなに顔を輝かせて喜ぶことかと。しかし、人間である姫を攫ってゆくわけにはいきません。善悪の区別のつかぬ禽獣や烏天狗ならいざ知らず、彼らの間では禁じられていたからです。
人間と天狗の世界では、流れている時間が違うのです。姫を自分たちと同じ不老長寿にする方法は、いかな青嵐といえども、見当もつきませんでした。
青嵐が姫君の許を訪れると、いつぞやの青年に出くわすことがままありました。相変わらず姫君に文を送っているようでしたが、その表情は晴れ晴れとしています。青年の書いたものらしい文が姫君の文机に載っているのを、青嵐は一度ならず目にしました。また、青年の来ていたことを口にすると、姫君が頬を赤らめたりするようにもなっていました。
そんな折、左大臣の姫が結婚したとの噂が、風に乗って、山寺にも流れてきました。相手はあの青年だという話でした。
夫婦の契りを交わすとはどういうことか、青嵐は姫君に尋ねたことがありました。
「野山の獣も
「それならあの男は、何故お前に文など送る? 鳥や猿は
「可笑しなことを。人はそれだけではないのですよ。その人を愛しく想う心がなければ、どのような宝物も、路傍の石ころと同じなのです」
青嵐には姫君の言っていることがよくわかりませんでした。
「薫には、まだ早いのでしょうね」
姫君はそう言って、青嵐の頭をやさしく撫でました。
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