第7話 下準備 1/2
「あれ?麻美姉は?」
4月も半ばを過ぎた頃。
姉二人から実家に呼び出された泰史は、麻美の姿が無いことに気づき、リビングのカーペットの上ですらりと伸びた脚を惜しげもなく晒してあられもない姿で寝転ぶ亜美に尋ねる。
「部屋じゃないかな〜?ずっと籠もってんのよね」
「えぇっ?!人を呼び出しておいて何やってんの。亜美姉呼んできてよ」
「いやよ」
昔から、なにかに夢中になると部屋に籠もるくせのある麻美。うっかり部屋の中に入ろうものなら、とんでもなく怒り狂うのだと亜美から何度も聞かされていたものの、泰史自身は麻美から怒られたことなど一度もない。
「やっくん、呼んできて。やっくんなら麻美も怒らないから」
「わかった…でもその前に、亜美姉さ、年頃の弟の前なんだから、いい加減下着姿でフラフラするのやめてくれないかな」
カーペットの上に起き上がり、気持ちよさそうに伸びをする亜美は、ブラジャーとショーツのみを身に着けただけの姿。
「いいじゃない、やっくん以外見てないんだから」
「そういう問題じゃなくて!」
「せっかくだし、本当ならなんにも着たくないのよ?だけどやっくんがうるさいから…」
「いいからとりあえず、これ羽織って」
泰史は着ていたカーディガンをその場で脱ぎ、亜美へと放り投げる。
「わーい、やっくん脱ぎたてほやほやのカーディガン♪」
「それから亜美姉、俺、亜美姉が入れてくれる美味しいお茶が飲みたいなぁ?」
泰史のカーディガンを抱きしめて頬ずりをしていた亜美が、キョトンとした顔をあげる。
「麻美姉呼んでくるから、3人分、入れてくれる?」
「オーケイ♪」
カーディガンを羽織った亜美が、上機嫌でキッチンへ向かうのを見届けると、泰史は小さく笑いながら麻美の部屋へと向かった。
「麻美姉?何やってんの?俺に話があるんでしょ?亜美姉とリビングにいるからイテッ」
話している途中で部屋のドアが開けられ、真ん前に立っていた泰史の鼻を直撃した。
「いらっしゃい、やっくん。あら、どうしたの?」
「…絶対にワザとでしょ、麻美姉」
「あらあら、こんなにお鼻を赤くしちゃって」
チュッ。
「ちょっ、麻美姉っ!」
「ふふっ…入って、やっくん」
いつまで経ってもまるで幼い子供のように接する麻美に鼻にキスをされ、鼻も顔も赤くした泰史は抗議の声を上げようとするも、麻美の姿は既に部屋の中ほど。黒のロングワンピース姿の麻美は、薄暗い部屋の中に溶けてしまいそうに見えて、泰史は慌てて部屋の中へと足を踏み入れた。
「見て」
「え?うーんと…星?」
「イヤね、やっくんたら、おかしな子。今夜の新月よ、素敵でしょ?」
新月って、普通見えないよね?
というツッコミを泰史が心の中に抑え込んでいることを知ってか知らずか、麻美はフフフと笑いを零す。
「はじまり、再生、生まれ変わり」
「えっ?」
「新月にはね、不思議な力があるの」
そう呟く麻美の右手には、いつの間にやら鈍い銀色の光を放つ小さなハサミ。
「きれいでしょう?上手くできたと思わない?」
「えっと…なに、が?」
「やだ、やっくんたら。そんなの、決まっているじゃない」
クスクスと笑いながら、麻美は泰史の耳元で囁いた。
「な〜いしょ」
チュッ。
「わっ!」
不意打ちで耳にキスをされ、泰史は慌てて耳を抑えながら麻美を睨むが…
「もうっ!麻美姉、いい加減に」
「なにをしているの?早くリビングに行きましょう」
まるで何事もなかったかのように、既に部屋の外に出ている麻美が泰史を手招く。
「…はい」
ふぅ、とため息をひとつ。
泰史も麻美に続いて部屋を出た。
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