第123話

 黒井が考えるに、鬼とは人から生まれた存在。首の骨である脊椎せきついが脳を貫通する突然変異により、脳内シナプスの電気信号をより身体へと伝達しやすくなったわゆる短絡回路を持つ存在。そのため人よりも運動神経はよく、神経間に伝達される刺激もまた人より多い。その結果、人間離れした運動能力を手に入れた身体はそれに耐えうるための骨格と筋肉を構築する。やがて、人という器に人ならざる力を圧縮し注ぎ込んだ容姿は醜悪と表現するしかない容姿を形成し、また、角は体内だけでなく体外にも信号を発信することができ、それは他者に影響を及ぼす脳波としての役割を果たした――。


 つまり、鬼は人の体が持つ本来の機能によって説明可能であり、それ故に人であるとも言える。そして鬼が人手あるならば、もちほん人の子の面倒も見れるだろう。


 ……という、多少強引な結論のもと黒井はホテルの室内で鬼門を開いた。


 ヨルとステラを預けるために。


「ふぇ? お兄様……そのゲートはなんです?」


 起きたばかりの眼を擦るステラ。その隣では、ウトウトと首を漕いでいるヨルがいた。


「起こしてしまったか」


 まずは鬼たちに会ってからその話をしようと思っていた黒井だったが、鬼門を出現させた異変でステラとヨルは起きてしまったようだった。


 やがて、ぼうっとしていたステラの寝ぼけ眼がゆっくりと見開かれる。


「もしかして……私とヨルを置いて、どこかへ行っちゃうですか?」


 その言葉の直後、ヨルがぴくんと小さく跳ね起きた。


「え? なに……? おじさんどこかに行くの??」


 ヨルは困惑するようにステラを見つめ、それから勢いよく黒井を見上げた。その顔には、起きたばかりで状況など何も理解できていないはずなのに不安が滲んでいる。


 それはきっと、ステラが無表情だったからだろう。見開かれた目は半ば閉じられ、その瞳に感情は一切感じられない。


 まるで――今から起こることに対して心を閉ざし耐えようとするかのような虚ろな表情。


 それは、まだ幼い少女がしていい表情ものではなかった。


 そういった一面を見せつけられる度に、黒井の心は締め付けられ、やり場のない怒りを覚えてしまう。


 だから、彼は脱力するように諦めて微笑むしかなかったのだ。


「いや、一緒に行くか」



 そして――鬼門の先で待っていたのは、四体の鬼とゴブリンたちの軍勢。



『主君、お待ちしておりましたでござりまする。むむ? その幼女二人は一体……なるほど? さては〝生け贄〟というやつでござりまするな?』


 その一体であるノウミ。彼は察しは良いのだが、その良すぎる察しはときにトンチンカンな答えを導き出す。そして、黒井に確認するという過程までもをすっ飛ばして確信的な答えに「全てを理解した」とでもいうかのような醜悪な笑いを浮かべてみせた。


 その顔は、子供に見せていいものではない。


『い、生け贄とはッッ……! 主君も隅には置けませぬなぁ! しかし、人の子を喰らうは鬼の矜持きょうじ! 柔らかい血肉が口いっぱいに広がる瞬間はさぞ幸甚こうじんの至りでござりましょう! さっそく、食べやすく切断するための調理器具をこのジュウホめがご用意致しまするぞ!』


 ジュウホは「なるほど!」と両手をポンと合わせたあと、ウキウキで凄惨なことを言い出した。


 その表現もまた、子供に聞かせていい内容ではない。


『……待ちなさい。あなたたち少し早計ではありませんか? 主君はこの子達を食べるなんて一言も言ってませんよ? ですが……こんなところに幼女を連れ込む理由を考えれば、ある種「生け贄」と呼べなくもないでしょう。まずは、主君にどういったプレイをご所望か聞くのが先です。器具はそれに合わせて作るのが良いですね』


 ヒイラギは冷静なのだが頭がおかしい。いや、鬼たちは全員頭がおかしいのだが、ヒイラギは別のベクトルで頭がおかしいと黒井は感じている。


 そのおかしさは間違いなく、子供に悪影響を及ぼすだろう。


『王よ。その幼女たちからは王と同格の強大な魔力を感じます。つまり、王の隠し子ですね? 偉大なる王の嫡女に【名も無き洞窟の主】がご挨拶申し上げます』


 オーガはそう言って恭しく膝をついた。その態度に「ああ、惜しいな……」などと思ってしまうのはきっと、他の鬼たちの答えがあまりにも違いすぎたからかもしれない。


 まぁ、なんにせよ。


「お兄様。この鬼たちは何を言ってるですか?」

「こんな奴らのいるところに私とステラを連れてきて、ど、どうするつもりなの……?」


 角のないヨルとステラに鬼たちの言ってることは伝わらず、ステラはともかくヨルは怖がっていた。


――一度人化させるしかないか……。


 そう結論付け、


「――飛雷神……悪い、やっぱ解除」


 鬼たちを人化させるために【飛雷神】を発動をしたもののすぐに取り止める。


「今……肌色の何かが」


 それでも見えて・・・しまったのか、ステラが虚ろな表情でそう呟く。ヨルもまた、一瞬の光景に宇宙猫のような表情で口を半開きにしたまま硬直していた。


 鬼たちの人化は、子供に見せていい格好ではなかったからだ。


「今さらだが、お前ら……なんでそうなるんだよ……」


 黒井は、鬼たちが人化すると烏帽子だけを残し裸になることを失念していた。

 その後悔に片手で顔を覆ってから、やがて彼はオーガのほうに視線を向ける。


「ヨル、ステラ……俺がいいというまで目を閉じててくれないか?」


 それにヨルとステラが頷いて従ったところで、再び【飛雷神】を唱えた黒井。

 そして、裸烏帽子の他に……突如現れた美少女・・・を数秒見つめてから、黒井は言うか言わまいか迷いに迷い、


「いや、お前誰だよ……」


 仕方なく、そう指摘をした。


「あの……私です! 【名も無き洞窟の主】、オーガです!!」

「消去法的にお前がオーガなのは分かってる。だが、なんで弱くなってるんだ……。しかも、お前だけ何で服を着てる?」


 その美少女は、他の裸烏帽子とは違い、まるで探索者かのようにな服を着ていた。


「そ、それはつまり……脱げ、という意味ですか?」


 そう言って、自身が纏う布を不安そうに握った美少女。


「違う。人化しても服を着れたんだな、という驚きで言ったんだ。隣の奴らを見てみろ。服着てないじゃないか」

「あの……逆に、なんでこの人たちは服を着てないんですか?」


 しかし、それについてはオーガも分からないらしく、引き気味に疑問を発した。


「ああ……じゃあ、服を着てるお前のほうが普通ってことなのか?」

「だって変身したら、だいたい衣装を身に纏うものですよね?」

「いや、その理屈はわからんが。それに……なんでお前は弱くなってる? その魔力……ランクFの探索者にも劣るぞ」


 その美少女が元オーガだと認識できない最大の理由がそれだった。

 彼女の魔力は、あまりにも弱くなっていたからだ。


「私にもわかりません……。で、でも! こんな私でも王のお役に立ってみせます!」


 彼女は、真っ直ぐな瞳を黒井へと向ける。そしてその必死さが、逆に弱さを浮き彫りにしてしまう。


「いや、お前たぶん配下のゴブリンにすら負けると思うが……」

「そんなことありません!」


 オーガはビックリしたように否定をした。それでも疑いの目を向ける黒井に、彼女は慌ててゴブリンへと振り返り、


「みんな! 今から私に向かってきなさい! ぜんぶ返り討ちにするから!」


 そんな事を叫んだのだ。それにゴブリンたちは「コイツ誰だ?」とでも言うかのように、首を傾げギャギャギャと困惑している。

 明らかにゴブリンたちも、彼女をオーガだと認識していなかった。


「……やめたほうがいい。マジで死ぬぞ」

「そんなことありません! ちゃんと見ててください! あ、でも、もしかしたら彼らは私の部下なのでそもそも襲ってこないかも――」


 そのとき、一番近くにいたゴブリンが彼女の服を掴んだ。


「グギャギャ……」

「え?」


 やがて、他のゴブリンたちも群がるようにオーガを囲いはじめる。


「グギャギャギャ……」


 ゴブリンたちの目は、まるで獲物でも見つけたかのように怪しげに光り、その口元には透明の涎が滴った。

 そして、群がる無数の手がオーガを抑え込み、掴んだ布を無理やり破り始めたのだ。


「え、まって……うそ……?」


 簡単に引き裂かれる服。そして、その行為の先に起こることを想像してしまったのか、オーガの顔には恐怖が浮かんだ。彼女は咄嗟に暴れようとするも、非力な身体はゴブリンたちに拘束されて身動きはできず、唯一できたことは身体をよじらせることのみ。


「……いや! いやぁあああ!!」


 恐怖からか、その瞳に涙が浮かびはじめたところで黒井は【飛雷神】を解除。


『――お前たち、私に不貞行為など……一体何様のつもりだ?』

「グギャ……ギャ……!!」


 途端、オーガの容姿と魔力が戻り形成は逆転。涎を垂らしていたゴブリンは、オーガの太い手によってその顎ごと握りつぶされ粉砕し絶命した。


「もう、意味がわからん」


 その光景に、黒井はどんな反応をすればよいのか分からない。


『主君、我々はきっと人化したさいに願った姿になるのでござりまするよ』


 そんな彼に、ノウミが穏やかな口調でそう言った。


「願った姿?」

『成長や進化とはそういうものでござりまする。つまり、奴にはそういう願望があったのでざりましょう』


 そんなオーガは、不貞を働こうとしたゴブリンたちを粛清している真っ最中。その姿をみれば、とてもそんな願望があるようには見えなかったのだが、取り敢えず黒井が納得できる一つの説ではあった。


――もう、そういうことにしておくか。


 やがて黒井は諦めて鬼たちに背を向ける。


「ヨル、ステラもういいぞ。帰ろう……」


 そして、ヨルとステラにそう言って鬼門を開いた。


――やっぱ鬼に面倒を見させるのはダメだな。


 そして、ヨルとステラを先に帰してから自身も鬼門を通ろうとし、


『主君。もしや……我々に彼女たちを預けようとしたでござりするか?』


 ようやく、ノウミは真実にたどり着いたらしい。


「ああ。そうしようかと考えてたんだが、他をさがすことにする」

『そうでござりましたか。しかし、主君。我々は常にここで主君を待っているが故に言えることではござりまするが……待つのは結構大変なのでござりまするよ』


 そして、鬼門を通ろうとした黒井に、ノウミはそんな言葉を返したのだ。


 その場には、オーガがゴブリンたちを粛清する戦闘音だけが響く。 


『我々は常に、もしかしたらもう主君は二度と来ないのではないだろうか。もしかしたら……既に我々は忘れさられてしまったのではないだろうかという不安と絶えず戦いながらここにいるのでござりまする』


 そんなノウミの言葉に、ジュウホとヒイラギは頷いた。


 そしてその場には、オーガの粛清によるゴブリンたちの阿鼻叫喚だけが響く。


「……そうだったのか。なら、お前たちはどうしてほしいんだ」


 その問いにノウミ、ジュウホ、ヒイラギは顔を見合わせ、目線だけで意思疎通でもしたのか、互いにグガガガと醜悪に微笑んだ。


『そんなの決まってるでござりまするよ! もちろん! 我々を常にお傍に――』

「それはダメだ」

『まだ言い終えてないでござりまするぅぅぅ!』


 黒井は、発狂するノウミを置いて鬼門へと足を踏み入れた。

 そして戻ってきたのはホテルの室内。そこには、一足先に戻っていたヨルとステラの二人がいた。


「お兄様。さっきのは一体なんだったです?」

「そのゲートは、おじさんの能力だったのね」


 黒井は、そんなヨルとステラの目線まで屈む。


――まぁ、一理あるのかもな。


 そして、先程のノウミの言葉を思い出し、黒井は二人に問いかける。


「ヨル、ステラ。今からランクSのゲートに行くんだが、お前たちも行くか?」


 見た目が子供だからといって子供扱いするのが正しいわけではないのだろう。

 彼女たちはもう、普通の子供が受けて当然の扱いをされてはこなかっただろうから。


 その質問にヨルとステラは顔を見合わせたあと、心底安堵するように表情を緩めたのだった。


「「うん!」」

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