第120話

――どういうことだ。


 黒井は思わず目を細めた。


 これほどまでの魔力に、さっきまでいた探索者たちはおろか、自身すら気づかなかったことに黒井は驚く。

 それだけではない。辺りを歩く一般人ですら、その視界に少女たちの姿は映っていない様子だった。


――認識阻害にんしきそがいか何かか?


 だとするなら、まだ幼く見える少女二人は黒井すら騙せるほどの力の持ち主ということ。


 敵か味方か……。その判断に迷ってしまうのは、間違いなく幼い容姿のせい。


 黒いパーカーを着ている少女は薄い桃色の髪と目をしており、黄色いパーカーを着ている方は鮮やかな茶髪に薄い緑色の目をしていた。どちらの顔も瓜二つであることから双子なのだろうと予想がつく。


 もはや、髪色や瞳の時点で人間離れしていることは明白なわけだが、だからといって幼い少女二人にいきなり攻撃を仕掛けるのも気が引けてしまう。


 そんなことに逡巡していると、少女二人は拍手をやめて額に両手の指を添えた。まるで、おでこからビームでも出しそうなポーズに身構えた黒井だったが、


「「――幻夢境ドリームランド」」


 出てきたのはシンクロする詠唱。そして、気をつけるべきはおでこではなく、彼女たちが魔力を宿した眼のほうだったと気づく。


 瞬間、周囲の景色が白い箱の内部のように変わり、そこには黒井と少女二人しか存在しない世界になった。


 その感覚は、【霊験投影】を発動した時と似ている。つまり――空間を支配する魔法。


「鬼門」


 黒井は対抗として鬼門を開こうとした。しかし、その詠唱だけが虚しく響き、門は出現しなかった。


「ムダよ。おじさんは私たちが閉じこめたから」


 黒いパーカー桃色少女がビシッと黒井に指を差してきた。その表情には得意げな笑みが浮かんでいる。


「ごめんなさい。話をしたかっただけです。この空間なら言語の壁をなくせるですから」


 対して、黄色いパーカー茶髪少女は、おっとりぺこぺこと頭を下げている。


「話……?」


 少女というか、もはや幼女二人に閉じ込められて一体何の話があるというのか。

 とはいえ、いきなり攻撃されなかったことに安堵してしまう黒井。


 攻撃されたら、いくら幼女といえど反撃するしかなかったからだ。


「私はステラ。こっちはヨル。私とヨルはお兄様を夢で見てからずっと待っていました」


「……」


 そして、その話の内容はきっと理解力できないであろうことを黒井は悟った。


「あー……待ってくれ。頭空っぽにするから」


 彼はそう言い、もはや何も考えずにただ受け入れる事のみに集中する。この手の話は何も考えてはいけないのだと、これまでの経験で思い知らされている。

 考えたところで、答えがでた試しがなかったからだ。


 そんな事に集中していると、お腹に衝撃が走った。


 見れば、ヨルと呼ばれた黒パーカーの桃色少女が彼のみぞおちにパンチを繰り出している光景。


 その威力は、ランクBほどの魔物ならば瞬殺できるくらい。黒井にならば、うめき声を漏らさせて屈み込ませるくらい。


「頭空っぽって……このおじさんふざけてるわ、ステラ」

「暴力はやめよ、ヨル。お兄様と敵になるつもりないです」

「だから手加減したの。これで話をちゃんと聞く気になった?」


 言われた黒井は幼女たちを見上げる。


 そこには、腰に手を添えて頬をふくらませるヨルと、表情にあまり変わりのないステラの二人。


「いや、なんか緊張感がなくてだな……」


 それは素直な感想だった。いや、本能といったほうが正しいのかもしれない。


「私とヨルは攻撃性を薄くさせるような見た目から選ばれました。だから、真面目になれないのは仕方ないことです」

「攻撃と真面目は別だと思うけど?」

「人は可愛いものを見ると気が抜けます。それと同じ」

「そ、それって……私が可愛いってこと?」

「ヨルは可愛いです」

「か、可愛いだなんて……!」


 ヨルは顔に手を当てて身体をくねらせた。


 その光景を見ていた黒井は、わざわざ頭を空っぽにしなくてもいいのだと気づく。

 ステラのほうはともかく、ヨルのほうはIQ的に近そうだと感じたからだ。


 彼女が理解できるのなら、自分にも理解できそうだ、と。


「……わかった。ちゃんと聞くから話を続けてくれ」


 それにステラが頷き、黒井の前にぺたりと座り込んだ。


「私とヨルは〝夢〟を司る変異体です。今みたく敵を夢の中に閉じ込めて戦えます。でも、その力のあとは眠らないといけないです。だから味方が必要でした」


 予想はしていたが、やはり彼女たちは変異体らしい。


「他に予知夢を見ることもできます。お兄様が来ることはそれで知りました」

「予知夢のことは……まぁいいが、なぜ俺なんだ」

「お兄様は私とヨルの信奉者しんぽうしゃを助けてくれたですから」

「信奉者だと……?」


 ステラはコクリと頷いた。


「私とヨルは悪夢を通じて加護を授けます。【目星の加護】。それは、未来で忍び寄る危険を回避できます。その加護を持っていた人です」

「……ヨル。具体的に誰なのか教えてくれ」

「ええ? コインを使う探索者と会ったでしょ? その人よ」


 ステラの説明では誰かに結びつけることが難しかったが、ヨルに聞いたら簡単に思いだせた。


「ユジュンか。というか、あのコインの能力はお前たちの加護によるものだったのか」

「私とヨルは、彼が見た悪夢からお兄様を知ったです」


――ユジュンが見た悪夢から?


「……ヨル。ユジュンの夢に俺がでてきて、その夢をお前たちが見たってことであってるか?」

「ちがうちがう! 彼が絶望したときの記憶を私たちが夢で見たの。ステラは絶望を悪夢とよんでるだけよ」

「なんだ……てっきりユジュンが見た気色悪い夢を、お前たちが見てしまったのかと思ったよ」


 夢の中に出てくる人というのはだいたい限られている。そして、夢の中ではなにが起こるかわからない。もし仮にボーイズラブなことが起きていたとして、それを幼女二人に見られたとしたら最悪だと黒井は懸念したのだ。


 しかし、その懸念は杞憂だったらしい。


 そして、安堵した黒井の手を、不意にステラが握ってきた。


「お兄様になら私とヨルの無防備な体を預けられます。力になってほしいです」


 そのお願いに、思わず「いいよ」と即答しそうになった黒井。しかし、それを必死で抑えつけてヨルに顔を向ける。


「……ヨル。この話に裏はあるのか? なにか企んでるんじゃないのか?」

「え? なにが? おじさんが私たちの味方になることを企んでるけど?」


 どうやら裏はないらしい。


「ユジュンじゃダメなのか? アイツもかなり強かったが」


 その質問に、ステラはしばらく答えなかった。


「できます。でも、盾にするために彼を信奉者にしたわけじゃないです」

「……ヨル。ユジュンじゃダメな理由は?」

「そんなこと頼んだら、彼は私たちを守るために死ぬからよ。殺すために加護を与えたわけじゃないもの」

「ああ、盾ってそういうことか」

「……というか、なんで私に聞き直してるの?」

「ヨルの説明が分かりやすいからだ」

「そ、そっか……えへへ」


 黒井は彼女たちのお願いを少しだけ考えてみる。


「……お前たち、親は?」

「いません」

「今まではどうやって生きてきたんだ」

「私とヨルは無意識を通じて人を操れます」

「……なるほど。さっき他の奴らが気づかなかったのはそういうことか。その力は普通に欲しいな」


 思わず漏れた独り言に、ヨルが腕組みをしてエッヘンと鼻を鳴らす。


「そうでしょ。この力で、お金がなくても服とか食べ物をを手に入れてきたんだもの」

「お前、それ盗みじゃないのか……」


 それにヨルは純粋無垢な表情で小首を傾げたのだ。


「え? 住む場所もお金もないのに、他にどうやって食べ物を手に入れるの?」


 その返答に、黒井は言葉を失ってしまった。


 やがて、彼女たちを疑ってかかった自分が恥ずかしくなり、彼は諦める。


「わかった。俺がお前たちの味方になってやる。……なってやるから、もう物を盗むのはやめてくれ」


 その返答に、ステラとヨルは驚いた顔を見合わせた。

 それはまるで、黒井が承諾するとは思っていなかったかのよう。


――どうしたんだ?


 その長い沈黙に、黒井は疑問符を浮かべそうになる。


 しかし、ヨルの目から涙が溢れたことでハッとした。


「あれ、なんで……」


 彼女自身もそれに驚いてパーカーの袖で涙を拭った。しかし、拭えば拭うほどに袖は濡れていく。


「……ヨル!」


 そんなヨルに、ステラは抱きついた。

 涙を拭うことができなくなったヨルはそのまま泣き出し、ステラの肩も震えている。


 その姿は、彼女たちがまだ幼い少女だということを理解させた。


 黒井は、夢で見た会ったこともない奴に自分の命を預けるというのはどういう事なのかを少なからず想像してみる。そして、現実にそういう奴・・・・・がいなかったのだろうか? ということも考えてみた。


 普通に考えて正気ではない。自分たちの能力を明かし、助けを求めることなんていくらでもできたはずだ。


 しかし、彼女たちはそうしなかった。


 なぜだろうか? なぜ、ヨルとステラは周囲の人間に助けを求めず、夢で見ただけの黒井を待ったのだろうか?


 黒井が首を縦に振る保証などないのに。


――そういえば……さっき。


 やがて、その想像は「ユジュンじゃダメなのか?」という黒井がした質問を思い出させる。


 そのときステラは確かに言い淀み、ヨルは確信でもしてるみたく、「殺すために加護を与えたわけじゃない」と言い切った。


 まるで――ユジュンの前に信奉者がいて、その者が二人を守るために死んだかのように。

 

 もしかしたら、二人は既に助けを求めたのかも知れない。

 そしてそれは、二人が望まない現実になったのかもしれない。


 だから、夢でみたことのほうを信じた――。


 とはいえ、それは黒井の憶測でしかない。彼が彼自身を納得させるための……謂わば、辻褄合わせ。


 その辻褄合わせの答え合わせをする気はなかった。黒井にとっては、納得できることこそが重要であり、真実と嘘はそのための材料でしかないからだ。

 

 やがて、ひとしきり泣き終えた二人は黒井へと向き直る。 


「そろそろ力の限界です……元の場所に戻します」


 ステラがそう言うと、やがて空間は元いた空港へと戻った。


 そして黒井の前で、ヨルとステラは背中を合わせて崩れるように眠りはじめる。


 スゥスゥと寝息をたてる二人。そんな彼女たちが着るパーカーには、まだ真新しい値札が付いたまま。


 もしかしたらそれは、身なりを整えるために盗んだ服なのかもしれない。……なんて。もちろんそれも黒井の憶測。


「起きたら、まずはこの服の店に行かないとな」


 ただ、帰国するかどうか迷っていた黒井だったが、どうやらすぐには帰れそうにないらしい。

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