第119話

 神奈川県ダンジョン支部。その受付にはローブを身を包む男の姿があった。そして彼の隣には、甲冑のような防具を装備する金髪碧眼の女性が一人。


 彼らは明らかに他の探索者とは違った雰囲気を纏っている。その異様さは、周囲にいた者たちは思わず目を釘付けにしてしまうほど。


「黒井賽という探索者に会いたいのですが」


 やがて、男が放った言葉に、受付にいた女性は「また黒井さんですか……」と呟き、ため息を吐く。


「こちらではそのような対応は行っておりません。お会いしたいのなら、ご自身でお願いします」


 そして、慣れたような文言を口にした。


「連絡はとれますか?」

「黒井賽との連絡については現在探索者協会が制限しています。一応、身元を確認させていただいてもよろしいですか」


 それに男はすこし考えていたものの、やがてフードを取ると探索者の証であるライセンスを取りだした。


「イタリアからきました。ピエトロといいます」


 そこ立っていたのは、くすんだ髪に眼鏡をかけた男。その職業は【錬金術師アルケミスト】。そして、ランクにはAの文字。


「欧州連合の探索者……」

「彼女はソフィアで、ランクはSです」

「ランクS……!?」


 その言葉に職員は目を見開く。


「す、すこしお待ちいただけますか」


 彼女は早口でそう言うと奥へと引っ込んだ。そんな大物が来るのなら、事前に通達があってもおかしくないからだ。

 しかし、いくら確認を取ってもそんな通達はない。

 そして、探索者名簿で検索をかけると彼らのデータはすぐにでてきた。そこに登録されてある顔写真も一致する。

 無論、ソフィアと呼ばれた女性のランクはSであり、情報についてはほぼ記載されてはいない。


「――お待たせしました。一応、黒井賽とお会いになる理由をお聞きしてもいいですか?」


 それにピエトロは頬を掻きながら面倒くさそうな表情をしたものの、


「まぁ、どんな人か見に来ただけですよ」


 そう言って誤魔化すような笑みだけを浮かべた。


「彼はここによく来ると聞きましてね。どれくらい待てば会えそうですか?」


 そして、そんなことを訊いてくる。


「あー……実はですね……」


 受付の女性は見るからに言いづらそうな反応をしたが、諦めたように息を吐く。


「現在、黒井賽は日本にいません」

「いない?」

「はい。それと、どれくらいで戻ってくるのか私たちにもわかりません」

「それはまいったな。じゃあ、ここで寝泊まりは可能ですか?」

「……はい?」


 思わぬ返答に職員は首を傾げてしまったものの、慌てて出来ないことを告げる。


「……そうですか。なら、危険性の低いダンジョンを紹介してもらえますか? そこで野宿して待つことにします」

「はい?」

「攻略はしないので心配には及びませんよ」


 もはや何を言ってるのか理解できず数秒の沈黙。


「あの……ホテルなどありますけど」


 そんな提案をするも、今度は彼らが顔を見合わせて何故か微妙な反応。


「ホテルはお金がかかるでしょ?」


 そして至極当然の質問までしてくる始末。


「あの……お二人は高ランクの探索者様ですよね?」


 それは謂わば、「お金持ってますよね?」の意訳。


「そうです。だから、死ぬことはまずありませんし、死んだら失踪扱いで構いませんよ」

「えぇ……?」


 もはや、言っている意味がわからず受付の女性は困惑しかできない。


「それと、ダンジョンは森林型でお願いできますか。洞窟型だと食料に困るので」

「……」


 その注文に女性は頭を抱えそうになったものの、他の職員にも事情を話し、結局彼らの言う通り比較的ランクの低いダンジョンを紹介することになった。


「一週間戻られない場合は、失踪扱いになりますのでお気をつけください……」


 念のためそう注意をして手続きを行うと、ピエトロは笑顔で「ありがとう」を告げてくる。


「ゲート付近でキャンプするつもりなので、何かあればそちらまでお願いしますね」


 最後、そんな言葉を残して支部をあとにした二人。

 もちろん、探索者でもない職員たちがゲートに入ることなどできるわけがない。


「高ランクの探索者って、やっぱり変人ばかりなのかしら。というか……黒井さんがランクSになるために渡米した事はニュースにもなってたはずだけど……」


 彼らの後ろ姿を眺めながら、女性職員は疲れたようにそんなことを呟いたのだった。



 ◆



――アメリカ合衆国のテキサス州、ヒューストン。


「なんだ……?」


 到着した空港内には物々しい雰囲気が漂っていた。警察官の格好をした者たちが視界で数えられるほど出歩いており、封鎖でもされているのか一般市民は見当たらない。同じ飛行機に乗っていた者たちは職員たちによって速やかに移動させられている。


 黒井もまた、その指示に従おうとしたのだが、


「あなたはここに居てもらえますか? 黒井さん」


 流暢な日本語を話す屈強な黒人の男に呼び止められてしまった。


 そんな男に魔眼が反応。彼がランクA以上の魔力を持つ探索者であることを黒井は理解。……いや、それだけではない。気がつけば他にも探索者がいて、彼らは黒井の周りを囲うように陣取っていた。


 おそらく、一番強いのは声をかけてきた男だったが、他の者達もそれに劣らず強い魔力を持っている。


 その時になってようやくこの状況について黒井は理解した。


――これは、とんだ歓迎だな……。 


 もはや、苦笑いをするしかない。


「……ゲートでも発生したんですか?」


 なんて。とぼけたように訊くと、彼も笑って肩を竦めてみせた。


「まぁ、そんなところですよ。私はその調査に来ましてね。ジェームズ・ブラウンといいます」


 言いながら見せてきたライセンスには『S』の文字。


「黒井賽です。この人数で攻略ってことは、ゲートのランクも高いんでしょう」

「高いというよりは、厄介といったほうが正しいかもしれませんね。そんな仕事は一人でやるよりも大勢でやるに限ります。そのほうがすぐに片付きますから。もちろん、その大勢にはあなたも含まれてますがね。……ご協力願いますか? 黒井賽さん」


 軽口ながらも警戒するような視線に黒井は頷いた。


「わかりました。なら、早く済ませましょうか」

「感謝しますよ。一応確認しますが、今回入国した目的は?」

「ランクSになるためです」


 そう答えた黒井に、ジェームズはやはり訝しげな視線だけをよこす。そのまま彼はしばらく無言だったものの、やがてため息を吐いた。

 

「まぁ、事情は聞いてます。ですが、その話を上から聞いたとき、私には理解できませんでした。なぜ、あなたがランクSになるために、わざわざここまで来なければならなかったのかを、ね」

「日本ではランクSになれなかったからです」

「もちろんそれも聞きました。ですが、正直に言うと私は今回の件に良い印象を持っていない。こんなことで空港を一時的に封鎖しなければならないことにも不満を覚えています」


 そう言って、彼は黒井を見据え、


「黒井さん、あなたがアメリカ人じゃないからです」


 そんな言葉を付け足した。


「日本人ではランク昇格試験は受けられないということですか?」

「違います。数あるランクSを差し置いてランキング一位を獲得したあなたが、ランクSになるために何十時間もかけてアメリカまで来た意味がわからないということですよ」


 ジェームズはそう指摘をした。それについては、黒井も正直同感でしかない。


「アメリカの探索者制度は、アメリカを守るためにあるのであって日本のためにあるわけではありません。あなたは、あなたの偉大な祖国のルールに則って日本を守るべきだ。なのに、守るべき日本をわざわざ離れて遠路はるばるここまできた。一体どういう理屈なのか理解に苦しみます」


 話を聞く限り、どうやらジェームズの不満は黒井に対するものというより、日本に対するもののようだった。


「しかも、あなたの能力は多くの魔物を呼び寄せるものだと聞く。そんな探索者が単独でなぜここに? これは侵略行為だと疑われたって文句の言えないことですよ」


 厳重な警戒態勢が敷かれていたのもそういうことらしい。

 まぁ、大量の魔物を召喚できる探索者が理解できない目的によって訪問などしてきたら、疑われて当然かもしれない。


「……日本は、高ランクゲートが出現することもなく高ランクの魔物と戦った実績もありません。だから、慎重になってるんですよ」

「多くの命を救い、ランキング一位を獲得していても……?」

「それを俺に言われても困りますが、端的に言えばそうです。たとえ多くの人を救ってもそれが認められた力でなければ良しとはされないし、どこの誰が審査したかも分からないランキングで一位を取っても信用を得ることは難しい」

「ずいぶんと謙虚ですね? ランキング上位を目指してる国の探索者たちに聞かせてやりたいくらいですよ」


 ジェームズはそう言って鼻で笑った。もちろんそれが皮肉であることは黒井にも十分伝わっている。


「だから慎重だと言ったんです。日本は他国から反感を買うことを恐れているんですよ。だから、アメリカにきました」

「反感……ああ、なるほど?」


 彼はようやく理解してくれたのか、警戒がすこし緩んだ。


「頭が悪いとまでは言いませんが、とても面倒なやり方に見えますね。私があなたなら先にランクSを主張しますよ。他人からの評価なんて後から認めさせればいいだけですからね。回りくどいことをすればするほど、怪しく見えてしまうものです――今のようにね?」


 ジェームズは最後の言葉を、まるで釘を刺すかのように言い放つとフッと手を上げる。

 その瞬間、他の探索者や警官たちからの警戒も薄れた。


「話はだいたいわかりました。あなたがここを攻撃するために来たわけじゃないのなら、我々は歓迎しますよ」


 やがて、彼は笑顔で握手を求めてくる。その手を黒井は握り返した。


「もしも日本で起きたようなスタンピードが発生しても、あなたは優雅に観光でもしていてください。……ああ、勘違いしないでほしいんですが、黒井さんが使う魔物を呼び寄せる能力を怖がっているからじゃありませんよ。あなたはあくまでも〝お客様〟であって、この地を守るのは我々の役目だからです」


 お客様という言葉に、黒井は引っかかりを覚えた。


 その理由を明かすように、ジェームズは胸ポケットから一枚のチケットを取り出す。


 それは、日時の指定がないオープンチケット。


「これは日本行きのチケットです。あなたはいつでも日本に帰国できます。もちろん、今からでもね」


 それはつまり「今すぐ帰れ」ということだろうか……なんて黒井は勘ぐってしまう。


「昇格試験はパスってことですか?」


 だから、敢えてそんな訊き方をすると、ジェームズはニヤリと笑ってみせた。


「私はランク昇格試験に何度も立ち会ったことがあります。そして、ランクSになった探索者を何人も見てきました。アメリカがあなたをテキサスにこさせたのは、ここに私がいるからです。そして、私の能力は日本語を話せるだけではありません」


 その、勿体ぶったような言い方に黒井もニヤリと笑ってしまう。


「回りくどい言い方ですね。怪しく見えますよ?」


 そう返したら、彼はとうとう堪えきれなかったのか、声を上げて笑った。


「私はあなたを審査するためにここに来ました。そして、私の目に狂いはありません。黒井さんは間違いなくランクSの資質を持っています」


「じゃあ……」


 期待を含む黒井に、ジェームズは頷く。


「ランクSおめでとうございます。あなたは人類を救うヒーローに最も近い可能性を手に入れたわけです」


 まるで、オープンチケットがその可能性であると言わんばかりに彼はそれを差し出し、黒井はそれを受け取る。


 彼がランクSを目指して一ヶ月以上。まさか、アメリカにきて数分でそれが叶ってしまうとは思いもしなかった。


 そしてジェームズは唐突に祝福の拍手をはじめる。それは最初彼だけだったのだが、先程まで警戒をしていた探索者たちが顔を見合わせてから拍手をし始め、やがてそれは警官たちにまで伝染していく。その中には、「なんの茶番だ」とばかりに首を振ってから空港を出ていく者たちもいた。たぶん、彼らの反応が普通だろう。


 号令はなかったものの、拍手のせいか空港内の警戒は自然と解かれた。


「ライセンスは郵送もできますが、発行されるまでこの地を自由に楽しんでくれても構いません。ですが、くれぐれも変な気は起こさないことです。我々は侵略者に対して容赦はしません。無論、魔物に対してもです」


「わかりました」


 世界はランクの低いゲートはなるべく維持するよう方針を出している。しかし、アメリカではゲートを攻略する動きのほうが圧倒的に多い。そのための企業も多く、探索者も多い。そして、市民もまたそれを支持していた。


 そのため、アメリカは「世界に包括される別の世界・・・・だ」などとよく言われる。ゲートを維持するのではなく、駆逐することを選んだ別の世界線のようだと。


 それについて言及する国はいない。ダンジョンが発生した当時にアメリカが出した声明は、他の国々を黙らせてしまったからだ。


――未知の生命体と共存する選択肢もいいが、完膚なきまでに勝利する選択肢も未来には残さなければならない。どちらに転んでもいいよう、人類はゲート攻略をする国を無くしてはならない。その役目は我々が担おう。


 アメリカだけは世界のなかで唯一ゲートを維持せず積極的に攻略し続けていた。故に、ダンジョン内における失踪者や死亡者の数は他の国よりも遥かに多い。


 その積み重ねが、ランク昇格に対する考え方に差をつけたのかもしれない。


「それと、もし体験という形でゲート攻略に参加したいなら連絡してください。共に戦うというのなら大歓迎ですから。たとえ命を落としたとしても、あなたの戦いは勇敢だったと必ずや日本には伝えますよ」

「わかりました」


 やがて、ジェームズは連絡先を黒井に渡して去っていった。


 残された黒井は手元にあるオープンチケットを眺め、このまま帰るかを本気で迷ってしまう。


 その時だった。


――パチパチ。


 だいぶ遅れて送られた拍手の音がして、黒井はそちらに顔を向ける。


 そこには、黒いパーカーと黄色いパーカーを羽織る幼い少女が二人並んで立っていた。年齢は7歳か8歳ほどだろうか?

 警戒が解かれた空港内は本来の雰囲気に戻りつつあったものの、近くに親のいない子ども二人が立っているのは何となく不自然に思える。


 そして――その不自然さの理由を黒井の魔眼ルーペは理解した。


「探索者……? いや、この魔力は……」


 先程のジェームズとは比べ物にならない圧倒的な魔力。それはあまりに膨大で、魔眼ルーペはカチカチと焦点を絞り続けている。


 その現象を、黒井は一度だけ経験したことがあった。



 セレナ・フォン・アリシアと遭遇した時である。

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