第110話 ランクSのヒーラー
探索者協会関東本部。
黒井が案内されたのは、以前ランク試験会場としても使用された特殊専用施設だった。
そこに現れたのは――。
「このような形でお連れしてしまい申し訳ありません。しかし、素直に応じて頂けたことを考えるに、こちらの事情もご理解頂けてることと思います」
会長の大貫総司だった。その顔には、見るからに疲労が深く刻まれている。
「まぁ、あれだけ派手にやりましたから」
黒井は、あまり興味なさげに告げた。
「ランキングを公開されたことを見るとそのようですね。我々が先に接触できて良かったです――黒井さん」
「話というのは今回のスタンピードのことですか? それとも俺についてですか?」
「……話が早くて助かります。先にお聞きしたいのは今回のスタンピードの件です」
「わかりました」
簡潔に返事をしてから、黒井は今回の経緯をおおまかに話す。
それを大貫は何も言わずに黙って聞いていた。
「――なるほど。では、今件の首謀者は鷹城塁ということですね」
「スタンピードを引き起こしたのは間違いなく彼です」
「鷹城塁は、そのダンジョン内の魔物に操られていたという認識であってますか?」
「少し違いますが、その認識でも問題ないと思います。彼の精神状態は異常でしたから。ただ、それほどの魔物が突如現れたのか、これまで放置されていたのかを俺は知りません」
「わかりました……」
それから大貫は、黒井に対してゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございます。黒井さんが居なければ、スタンピードは未だ猛威を振るっていたでしょう。我々ではどうすることもできませんでした」
それを黒井は見下ろすだけ。
「俺は俺がやるべきことをしただけです。緊急時における招集は探索者の義務でもありますから」
軽い口調でそう言われた大貫は、唇を噛み締めてから息を吐きだす。
「……確かにそうです。ですが、誰もがそれを実行できるわけではありません。我々はそれを知っているからこそ、それを義務という形で縛りつけるのです。……力を隠されていた黒井さんには、特に難しい選択だったと推察します」
最後の言葉を大貫は申し訳無さそうに付け加えた。
「俺の能力についてですが、詳しく話すことはできません」
その言葉に、大貫はまるで予想でもしていたかのように平然とした態度をとる。
「多くの魔物を従える能力。その危険性を考えれば、隠すお気持ちはわかります。黒井さんは私の想定を遥かに超えていました。ランク昇格試験の時にとった私の対応は間違っていましたし、無礼でもありました。申し訳ありません」
彼はそう言って黒井に謝罪をした。
「しかし……我々はできる限りの情報を開示しなければなりません。それをしなければ、人々は我々のみならず、多くの命を救った黒井さんにまで不信感を覚えてしまうでしょう」
「俺は、自分の能力についてそれらしい嘘を吐くこともできます。ですが、それはしません。それを誠意とは取ってもらえませんか」
「スタンピードを食い止めてくださった時点で、その誠意はこれ以上ないほど私に伝わっています。しかし、誰もがそうとは限りません。情報の開示は黒井さん自身を守るためでもあります」
「じゃあ、俺をランクSにしてくれませんか」
黒井はそんなお願いをする。
それは大貫にとって、「お願い」と表現されるような柔らかいものではなく、空気が張り詰めるような圧に感じた。
彼の背筋を冷たいものが伝い、知らぬ間に顎の輪郭を汗がなぞる。
やがてその緊張をほぐすように、ゆっくりと息が吐かれた。
「……正直に申し上げますが、日本はまだランクSを認定できる環境下にありません」
「先日はたしか、〝その必要がない〟と仰いましたよね。今度は環境ですか?」
訝しげな視線が大貫を刺す。
「昇格試験には模擬戦闘がありますが、その相手をする探索者が最高でもランクAゲートの経験者しかいないのです。もちろん、彼らを倒すことでランクA以上――つまりSを与えることはできますが、その実力が実際のランクSとされたダンジョンに通用するかは別の話です」
「たしかに、日本にランクSダンジョンが出現した例はありませんね」
「ランクSゲート出現の経験もない国がランクSを語ることなどできません。事実、ランクA探索者が増えたのも横浜ダンジョンが出現したここ二年の話です。もしも黒井さんをランクSにするのならば、日本にランクSのゲートが出現しなければなりません」
「他国のランクSゲート攻略は適応されませんか?」
「もちろんその手立てはあります。しかし、それをするには、『黒井賽は日本が信じるに値する探索者である』と我々が他国に言えなければなりません。なぜなら……」
「――なぜなら、俺が問題を起こせば国際問題になりかねない、から」
言葉を遮り、その後を紡いだ黒井の結論に、大貫はジッと彼を見据えて大きく頷いた。
「そうです。ランクSは誰もがなれるわけではありません。実力もそうですが、国が認可できなければなれません。もちろんその基準は国によって違うでしょうが、我々は他の国に危害を与えてしまいそうな要因を自らつくることはしません」
大貫は静かにそう言い、やがて――。
「……とはいえ、今回の黒井さんの功労が証明されれば、おそらく国からの
そんなことも付け加えたのだ。
「それは……ランクSにしてもらえるということですか?」
「先ほども言った通り、日本では無理です。しかし、日本の探索者として海外のランクS試験に臨むことは可能です。多くの国民を救った時点で、黒井さんは『我々が信じるに値する探索者だ』と言えますし、私はそう言わなければなりませんから」
そう言い終えた大貫は、穏やかな笑みを浮かべた。
「私が探索者協会会長という椅子に着いたとき、それを指示した上の者たちの中にも、組織の方針を決める者のなかにもダンジョンという現場を経験した者はいませんでした。世界中が混乱するなか、我々は我々のやり方で国を守る方法を模索しなければなりませんでした。はじめから無知な決めつけで犠牲者を出してしまうより、取り返しが効くよう選択の幅を残すほうが得策だと当時の私は考えたのです」
そう説明したあとで、彼は黒井から視線を外す。
「……ですが結果的に、それはランクにおける基準を厳密なものにはしませんでした。慎重過ぎたがゆえに、我々は高ランクゲートに対する経験を逃し続けてしまったのです」
他の国では、高ランクの探索者を海外に派遣する流れがよくあった。
しかし、日本でそういった事はあまりない。
経験とは、結局挑むことでしか得られないもの。
慎重に様子見をした日本は、積極的に未知のダンジョン攻略へと乗り出した国と比較し、出遅れてしまったのだろう。
そして、そのおかげで死なずに済んだ命もあったに違いない。
「いつの間にか時代の流れを読み違えていたのかもしれません。気づかぬ間に、多くの若者が想像を超える探索者となっていました。それはきっと、これからもそうなのでしょう」
やがて黒井は、大貫の穏やかな笑みに、どこか重荷を下ろしたような身軽さがあることに気づく。
「前時代的人間の犠牲者を、これ以上出すことは許されません。罪を犯すことは道徳上の問題ですが、それを制御できなかったのは探索者を管理すべき我々の罪でもありますから」
その言葉はまるで、彼が現職を辞めるかのような言い方だった。
そしておそらく、そうするつもりなのだろう。
「……話は理解しました。公表できる情報は教えましょう」
そう言った黒井に、大貫は安堵の息。
「ありがとうございます。では、黒井さんがランキング一位になった獲得ポイントについて教えてください。アビスのランキングシステムにはまだ解明されてない部分が多い。妙な疑いをかけられないためにも、その情報は公表したいと考えています」
「獲得ポイントは横浜ダンジョン攻略と、インドでアビスゲートを攻略した時に得たものです」
その説明に大貫はピクリと反応。
「横浜ダンジョン……なるほど。あれを攻略したのはアストラではなく、黒井さんだったわけですね」
「はい」
その返答に、大貫は眉間を指で押さえながら深く息を吐いた。
「……その二つだけですか?」
「そうです。アビスゲートに関しては攻略途中に難易度が上がり、その結果クリアポイントも多くなりました」
「アビスゲートは普通のダンジョンよりも難しいとされているはずです。その難易度が上がるとは……」
「それに関しては証人もいます」
「証人?」
「韓国の探索者であるイ・ユジュンもダンジョン内にいました」
その名前に大貫の目は見開かれた。彼がアジアでも屈指の探索者であるという事実は有名だからだろう。
「……わかりました。それについては向こうに確認を取りましょう。それともう一つ、魔物を従える能力について教えていただきたい」
「【雷の支配】というスキルです。ツノがある魔物にのみ有効で、ツノに電気を流し支配できます」
「なるほど。では、人間に対しては無効の能力なのですね?」
「ツノがある人間には有効ですよ?」
黒井は大貫の言葉を簡単に肯定せず、そういう言い方をする。
なぜなら、鬼にしてしまえば人間だろうと支配できてしまえるからだった。
「面白いスキルですね」
しかし、大貫はそれを黒井のジョークと受け取ったようだった。無論、そう受け取るよう黒井が誘導したせいもあったが。
「魔物を支配するのにリスクはありますか?」
「俺自身にはありません。ただ、奴らは俺が予期しない行動を取ることがあります。それがリスクかもしれません。今回、俺は「人間を殺さないよう」指示をだしましたが、勝手な行動でそれが遂行されない可能性もあったと思います」
「……面白くもありますが、恐ろしい能力でもありますね。正直、ランキング一位という事実だけでも私には未だ飲み込めていません。一体、ヒーラーであるあなたが何故そんな能力を……」
そこまで言いかけた大貫は、自らその言葉を飲み込んだ。
「いえ、それは知らなくて良いことですね。知ってしまえば、きっと後戻りできなくなります。そもそも、これまで多くの探索者の能力に私は興味を持たなかったのですから」
それは黒井に向かって話してはいたものの、大貫自身に言い聞かせているようでもあった。
「ありがとうございました。今日はこのままお帰り頂いて構いません。後のことは我々にお任せください。ただ、事実確認が完全にできるまでは、私に話してくださったことは内密にしていただきたい」
「……わかりました。約束しましょう」
大貫はその言葉に微笑むと、施設内の内線電話でどこかへと通話する。
やがて、ここまで黒井を連れてきた者の一人が現れると、無言で外まで案内してくれた。
きっと、彼らが忙しくなるのはここからに違いない。
もうすぐ深夜になるというのに、探索者協会のほぼ全ての窓には明かりが灯っていた。
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