第109話
街は異様な空気に包まれていた。
時刻は午後九時を回り、東京のど真ん中で起きたスタンピード発生から約六時間が経過している。緊急招集によって投入された探索者たちの数は既に千人を超えていたが、彼らの多くは実際の戦闘に参加しておらず救助活動に徹していた。
というのも、魔物たちとの戦闘は何故か同じ魔物であるはずのゴブリン種たちによって食い止められていたからである。
探索者たちはその光景に驚きながらも、実害がないことに安堵もしていた。
なかには、攻撃をしかけてゴブリンを倒した探索者もいたのだが、ゴブリンたちは決して探索者に攻撃をしてこなかった。
まるで、何者かに操られているかのように。
そんなゴブリンたちのおかげでスタンピードによりゲートから溢れだした魔物はほぼ一掃されていた。そして、そのゴブリンたちが街を闊歩していたからこそ、街は異様な空気に包まれていたのだ。
やがて、ゴブリンたちは、まるで匂いを嗅ぐかのように角を空へ突き出すと、何かに気づいたようにどこかへ歩きだす。
探索者や生き残った一般市民にすら目もくれず、奴らはその数を増やしながら同じ方向へと向かった。
その先にあるのは、むき出しのゲートの一つ。
そのゲートから現れたのは、女探索者を背負った男の探索者だった。
やがて、ゲートの近くには突如もう一つのゲートが発生。
しかし、そこから魔物が溢れることはなく、むしろゴブリンたちがそのゲートへと入っていく。
その様子は、街にいた者たちや新たに現場へ駆けつけた報道局のヘリから映像として記録された。
みな確証はなかったものの、ゴブリンたちを動かしているのは、その男の探索者なのだろうと理解する。
彼は一体何者であり誰なのか? という疑問はきっとすぐに解決されることだろう。
――ランキング1位のプレイヤー名が変更されました。
――現在のランキング1位は『黒井賽』です。
これまで謎に包まれていたアビス内ランキングの一位が公開されたからだ。
◆
バラバラと音を立てて上空を飛ぶヘリを黒井は見上げた。
そして、そこに搭乗している者が報道陣であることを彼は理解する。
ゲートから出る前に月影刀を所持したため角は隠していたものの、もはやその力を隠すことは不可能だとも思った。
「もう、いいよな」
静かに呟くと、アビス内のランキングに登録していた偽名を登録しなおす。
そして、ゴブリンたちが鬼門に戻っていく光景を最後まで見届けた。
やがて、そんな黒井の前には数台の車がやってきて、中から数人の男たちが現れる。
点灯したままの前照灯が眩しかったものの、彼らが探索者協会の者たちだということは容易に察しがついた。
「……探索者とお見受けします。申し訳ありませんが、ご同行願えますか?」
毅然とした態度を努めているものの、その声には不安や困惑が隠しきれていない。
それはそうだろう。彼らにとって目の前にいる黒井は、自分たちよりも遥かに強大な力を持つ存在であり、なにより敵か味方かなのかすら分からないのだから。
「もちろん。その前に、この人を病院までお願いできますか」
そんな彼らに一つ返事で頷くと、背負っていた茜のことを引き渡す黒井。
「……わかりました。それと……身柄を拘束してもよろしいでしょうか?」
彼らは丁寧に茜を受け取ったあとで黒井を取り囲む。その手には、罪を犯した探索者などを拘束するための頑丈な拘束具が見えた。
「それ、意味あると思います?」
なるべく柔らかな声で言った黒井。しかし、周囲の空気は急に張り詰めて重くなった。
「……そうですね。安全を考えれば、あなたの機嫌を悪くしてしまうほうが悪手かもしれません」
理解してくれたのか、むしろ拘束するほうが危険だと最初から考えていたのか、彼らはすぐに拘束具をしまった。
黒井が彼らの乗ってきた車に乗り込むと、それはすぐにエンジン音をたてて走りだす。
街の灯りは非常照明のみであり、信号機も沈黙していた。交通ルールなどもはや皆無の道を、彼らは一言も会話を交わさぬまま走行音だけを響かせる。
夜ですら眠らぬ都心の街は、いまやゴーストタウンと化していた。
その後――。
街に残された複数のゲートは探索者達によって攻略されて消滅した。その攻略は、ダンジョンコアまで進むだけの呆気ないものだったらしい。
街の復旧は最優先事項として進められたものの、取り敢えずの機能が回復するまでに一週間という時間を要した。
今回のスタンピードでは探索者を含めたのべ200人が死亡し、避難者まで含めるとその10倍ほどにまで数が及ぶ。
それでも、都心のど真ん中で起きたスタンピードという大災害を考えると、その被害者数は驚異的といえた。
やがて、日々の紙面は様々な情報で埋め尽くされた。それは日本だけに留まらず、海外にまで大きな波紋を呼ぶことになる。
原因追求については、元凶とされたゲート攻略の生き残りである時藤茜の目覚めを待つことになったのだが、彼女は事件発生から未だ目覚めてはいない。
そして、そのゲートを所持していたアストラルコーポレーションは「予測できなかった事態」だと声明を公表したものの、警察による家宅捜索によってゲート内に危険な存在が発見されていたことが発覚。現在はその情報を握っていたとされる上層部の人間が留置所で身柄を拘束されている。彼らもまた、時藤茜の目覚めを待つことになった。
そして――黒井賽という探索者についても、大きな話題となっている。
――ドイツ。ハンブルク市。
「ここまで話題になっちゃったらランクSは時間の問題ね。結局、月の加護も意味をなさなかったみたいだし、隠してた正体まで公表しちゃって……どうするつもりなのかしら」
セレナ・フォン・アリシアはそんな独り言を呟く。その視線の先には日本で起きたスタンピードの情報や黒井賽が映っている映像、そして、彼の戦闘が撮られた画像と記事が並んでいた。
「まぁ、もう私の知ったことではないのだけれど。どうやら、
投げやりな結論には無関心さがあったものの、その目つきには鋭さが失われてはいない。
「それでは、黒井賽については諦めるのですね?」
確認を取るようなラルフの言葉。
「ゴブリンを率いてるんだから、誰がどう見たって陣営の王でしょ? 王は誰かに
「そのような風には見えませんでしたが……」
「全ての王が王足り得る資質を持つわけではないわ。生まれながらの王もいれば、王にならざるを得なかった王だっているのよ。もしも100年に一度しか王の資質が生まれないのなら、その人が死んだあとはどうなるわけ?」
試すようなセレナの問いに、ラルフは少し考えるような素振りをみせる。
「終わりですかね」
しかし、やはり何も思い浮かばなかった答えをそのまま口にする。
「いるのよ。人の中には誰かの意志を汲み取り、それを受け継ぐことができる才能を持つ人達がね? だから、文明が簡単に滅びたりしなかった。彼らは悠久の一族みたく記憶を共有しなくとも、ただのコミュニケーションだけでそれを補完した。もちろん、完璧ではないから同じ事を繰り返したりもするけれどね」
「彼が……そうだと?」
「そんなこと知らないわ。ただ、黒井賽は戦力を持つことができる王だというだけ。そして、彼が危険な王でないことを人間は祈るしかない」
セレナは手元にあったカップを口元に寄せると、注がれていた紅茶を飲んでから小さな息を吐く。
彼女が見ている記事には、ゴブリンの行動を目撃していた人たちの証言が載っていた。
「とは言っても、ゴブリンが人を殺さなかったという事実が全てを結論付けているけれどね」
◆
――韓国。ソウル市内。
「ユジュン! 日本の事件を見ましたか!?」
ソファーで仮眠をとっていたユジュンは、扉を開けると同時に駆け込んできた少女の声に目を覚ました。
「……ああ、そのことか」
しかし、数秒の後にすべてを理解した彼は曖昧な返事で再び目を閉じてしまう。
「ランキング1位がようやく分かったんです。それが、この探索者でした」
歳はユジュンと同じくらいだろうか。明るい髪色をなびかせながら少女は彼の前まで来ると、無理やり瞼を指でこじ開けて一枚の写真を眼球の前に掲げてみせた。
無論、その近さでは見えるはずなどないのだが、
「黒井賽だよね」
彼はそこに写る人物の名を言い当ててみせた。
「あれ? 知ってたんですね」
「まぁね。一緒にアビスゲートに潜ったことあるから」
「そう……え?」
そして、流れるように告げた事実に少女は驚く。
「能力もだいたい知ってるし強かったよ」
「……知っていたなら、なぜ報告しなかったんですか」
「向こうが公表したら報告しようと思ってただけさ。隠してたわけじゃない」
「それは隠してたと言われても文句言えませんよ……??」
「そうかな」
「そうです」
しかし、まったく取り合おうとしないユジュンに、彼女はため息を吐くと瞼から指を離した。
「……強かったというのはどれくらいですか?」
「んー、僕があと5回くらい強化手術を成功させたくらいじゃないかな」
「……そんなに?」
少女は信じられないとでもいうように口元に手を充てる。しかし、目を瞑っているユジュンには見えていない。
「敵じゃないよ。むしろ助けてもらったんだ」
「ユジュンが?」
「正確に言えば、敵を倒すのに僕が必要だったみたいだからそうなっただけ」
「なるほど……」
「それでも、助けてもらったことに変わりはないし、それを反故にするつもりもない」
「だから報告しなかったんですね。今、上の人たちは大騒ぎですよ。なにせ、ランキング一桁の探索者が日本に現れたんですから」
「別に日本なんてこれまで眼中になかっただろ? そのスタイルを崩さなくて良いと思うけどね。騒ぎ立てるようなことじゃない」
「私は心配してるんです。ユジュンに課せられてるノルマが激化するんじゃないかと。私たちのなかで一位に届くとしたらユジュンだけですから」
少女は不安を握りつぶすかのように拳をにぎった。
不意に、ピンッと何かが弾かれる音。
それはユジュンの親指から弾かれたコイン。それは上昇した軌道に沿ってまっすぐ手の中へ落ち、彼は目を開いてその金属を眺めた。
「一位になれと言うのなら、なるだけだよ」
「ですが、それには多くの危険が伴います。本当に死んでしまうかもしれません」
「――ユナ」
ユジュンは少女に視線を向け、静かにその名を呼んだ。
「できるできないは僕にとって関係ないんだ。やるか、やらないかでしかない。そして、その判断を僕は自分自身に委ねていない。ユナがすべきことは心配することじゃなく、僕を理解することだよ」
諭すようなユジュンに対し、少女はもどかしそうな表情を浮かべた。
何かを言いかけては口を紡ぎ、やがて、睨みつけるようにユジュンを見下ろす。
「……理解した気になって、すべてに納得するのは頭の悪い人がやることです。私はそうじゃありません」
キッパリとそう言った少女は、まるでそれが捨て台詞であるかのように部屋を出ていってしまう。
パタンと扉が閉まった音の後には、疲れたようなため息だけが室内に残った。
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