第105話
「まさか……探索者だったことに感謝する日が来るなんてな」
真田慎也は、魔素が漂う街中で鞄から一眼レフカメラを取りだしながら自虐的な苦笑いを浮かべた。
動画撮影も考えはしたのだが、常に画面に意識を集中しておくのは危険と判断し、武器にもならないカメラを構えながら足早に進んでいく。
それに、動画じゃなくとも写真は十分に何かを伝えるポテンシャルがあると彼は考えていた。
「これが……俺の主観だ」
念じるような言葉とともに、真田はシャッターを切る。
主観というのは、他者が決して覗くことのできない自分だけの世界。何を面白いと思うのか、何が悲しいと感じるのか、何に恐怖するのかは人によって異なる。
それでも、人は共感に長けた生き物であるが故に、同じものを見たらどうしたって考えてしまうもの。
置き去りにされた車。道端に落ちているストラップ。割れた窓ガラスの向こうに倒れている椅子や、踏み潰されたスマホ。
そして、街中を悠然と徘徊する魔物。
人は、そこに居たはずの人たちを思い、名前も知らない誰かの結末を想像し、経験したこともないはずの感情に没入し、普段は絶対に覗くことができないはずの主観に自身を重ねる。
だからこそ、魔物と遭遇し、恐怖しながらもシャッターを切ったその主観すらをも、それを見た誰かには伝わるはずだと真田はつよく信じた。
「これはアビスなんてゲームじゃない。現実なんだ」
きっと、真田はそういうモノが撮りたかったのかもしれない。
かつて彼は探索者としてゲートに入り、ランクEのヒーラーとして魔物と対峙した。戦闘なんてできるわけがなく、ヒーラーとしての活躍もない。
金にもならない活動の末に結局引退をしたものの、世間の多くが考えるダンジョン内の想像と自身の経験に認識のズレがあることに、真田は得体のしれない不満を覚えていた。
彼がその身をもって経験し、命の危機に震えた時間は決して仮想などではなかったからだ。
その感情は、ドローンといった無人機によって安全な場所から撮影したものでは伝わりづらい。監視カメラといった
真田は、魔物と戦闘をしないよう息を殺しながら、その足でゲートまで向かう。
その途中、人間の死体もあった。逃げ遅れたのか留まったのかは定かではないものの、それを見かけるたびに自分にもその瞬間が訪れるのではないかと身をすくませる。
それでも、まるで吸い寄せられるように魔物の声や音がするほうに足は向かった。
きっと勇敢ではなく無謀だったに違いない。
どんなに隠れて進もうとゲートがある方向に赴けば、魔物から逃げられない状況に陥ることは絶対だったからだ。
「グォオオ……」
それは――ランクBに相当するアサルトベア。
現役時代でも遭遇したことのない高ランクの魔物であり、現役時代でも逃げ切れなかったであろう魔物。
「こんな魔物まで居るのか……」
向けられた威圧感に背筋を冷たいものが伝う。死ぬ未来を想像して回避できる手段を探そうとするも、背を向けて全力疾走という愚策しか思いつかない。
柔らかそうな毛並みをしているくせに、その表面は魔力という未知なる力によって硬く守られている。圧縮された筋肉の塊ですら勝てる見込みを払拭させるのに、彼らには特有のスキルがあってそれが弱者を容易く殺す。
本能は逃げろと警告するまでもなく、諦めろと告げた。
恐怖や苦痛は短ければ短いほど、きっと楽だからだ。
そんな状況の中、真田は「自分は馬鹿なんだな」と思った。
こんな場所に武器もなく来たからではない。危険な状況に自ら飛び込んだからでもない。今まさに殺されそうになってるくせに、カメラを顔の前で構えたからだ。
「この写真は理解されはしないんだろうな……」
いくら臨場感ある瞬間を捉えた奇跡の一枚を撮ったとしても、それが常軌を逸したモノであるのならば、人は共感でなく嫌悪する。
だから、真田慎也が命をかけて撮ったそれは、きっと馬鹿にされるに違いない。
アサルトベアが走り出す。うねる筋肉がレンズを通して鮮明に見えた。殺意ある赤い目の奥すらも見透かせるような気がして、それでも指はシャッターをきり続ける。
アスファルトを踏む重い足は間近。あとは、できるだけ痛くないことだけを祈り――。
「……グガガガガ」
目を瞑った暗闇は一向に変わらず、邪悪な声が上から響いただけ。
なんだ……。
目を開けて最初に見えたのは筋骨隆々の足。探索者かと思ったが、すぐにそれが〝人の大きさ〟ではないことに気づく。
「お、鬼……」
目の前を塞いでいたのは凶悪な体躯。猫背の先にある頭の上には何故か烏帽子が乗っており、額には鋭い角が見えた。そして、人語ではない声が聞こえ、アサルトベアは太い両腕で止められていた。
「グガガガ!!」
その、腕の先にある手の指がグシャリと何かの筋を握りつぶす。
「グゴォオオオ!!」
捕らえられたまま足掻くことしかできないアサルトベアはくぐもった悲鳴あげた。
そして鬼は、その巨体を容易く裂いたのだ。
目の前で、肉と骨で固く連結されているはずの関節が引きちぎられるのを目の当たりにする。無惨な断面は、いくらランクBの魔物といえど生きられはしないだろう。
その予感通りアサルトベアは動かなくなり、勝利した鬼は雄叫びをあげる。
いつの間にか、真田はその迫力に尻もちをついてしまっていた。
「グガガガ……」
やがて、その鬼は背後を振り返り彼を見下ろした。
次こそ死ぬのだと真田は理解する。
しかし――。
「グガ……グガガ……」
鬼は、真田の手元に落ちているカメラを血濡れの指でちょんちょんと差し、醜悪な顔だけを向けてくる。
そして、もしそれが夢でないのならば……、鬼は彼の前でダブルピースのまま停止したのだ。
――いや……いやいや、そんなはずがない。
もしかしたら自分は恐怖のあまりおかしくなったのかもしれないと思った。
「グッガガ!」
しかし、どんなに目をしばたたかせても、鬼は口の端を吊り上げたまま顔の前でダブルピース。
ならもう、撮るしかないだろう。
「この写真は理解されはしないんだろうな……」
真田はカメラを構えると、一応「はい、チーズ」と声をかけてパシャリとシャッターを切る。
「フゥゥ……」
その後、まるで一仕事終えたかのように楽な姿勢に戻り吐息を漏らした鬼。
そんな時、すぐ近くの上空でピシャリと雷の落ちる音が轟いた。
思わず見上げれば、そこはビルの先端。
「なんだ……」
何か見えたような気がして目を細める真田。
そして、やはりビル屋上に何かがいるのを確認する。
それはあまりに遠すぎてよく分からないが、人影であることは理解できた。
「グガ……グガガ!!」
そんな真田は突然、鬼に声をかけられた。
自分でも信じられないほど鬼のことを認識外に置いていた彼は、自身の状況を思い出し再び硬直。
「グガ! グガ! グガガガ!」
今度こそ殺されるのだろうかと思ったのだが、鬼は雷が落ちたビル屋上を指差し、そのまま再度カメラをちょんちょんと指差す。そして、シャッターをきるようなジェスチャーをした後で、自身の胸を掻き抱いたのだ。
「あー……え?」
「グガ! グガ!!」
そして、鬼は再び同じ動作を繰り返す。
真田はその様子を見ていたものの、あり得ない考えに至り顔をひきつらせた。
「もしかして、あそこの光景を撮ってほしい……?」
伝わるのか分からず、真田もビル屋上を指差してからパシャパシャとシャッターをきるジェスチャー。
それに鬼は、恍惚の笑みを浮かべてニンマリと笑った。
直後、鬼の大きな手が真田の体を掴んだ。
「え?」
そして、鬼は顎だけでクイクイと上空をさす。
まさか……とは思ったが、鬼の足が屈伸し地面に圧力がかかったことで自分がどうなってしまうのかを理解してしまう。
「待ってく――」
無論、人語が伝わるはずもなく、伝わったとして止められたかどうかは不明。
次の瞬間、真田の叫びは恐ろしい速度で上へと消えた。
それでも彼は、手に握るカメラだけは離さなかった。
◆
鷹城は、黒井の身体が纏う青白い電流を眺めながら意外そうな表情を浮かべた。
「雷か。奇遇だね?
そんな感想を述べ、「――チャージ」を唱える。
途端、雷雲の隙間より落雷が起こり、それは鷹城の背後で広げられた翼へと打たれた。六枚の翼がウィンウィンと稼働音を鳴らしはじめて羽ばたくと、彼のつま先が地を離れる。
「その羽、電力で動いてるのかよ」
黒井に驚く様子はなく、むしろ呆れたような声。
「もちろん動くだけじゃないさ。でも、飛べるというのは、それだけで神の力に匹敵するとは思わないか?」
鷹城はゆっくりと上昇し黒井を見下ろした。
「僕たちはいつだって引力によって地面に押さえつけられてきた。それを振り払って飛び立つのは容易なことじゃない。ロケットを考えてみなよ。地球の重力を振り切るのに、あれほど大量のエネルギーを必要とするんだ。飛べない者が飛べるようになるというのは、それほどのエネルギーを持つということなんだよ」
光の筋が宙に現れて魔法陣が宙に浮きでる。その中心から黒井に向けて細い光線が放たれた。
それは黒井の顔すれすれを貫き、彼が立っているビルの建物までもを貫通。そのまま威力が落ちることはなく、光線は地上まで刺さる。
その間、黒井は動じることなく鷹城を見上げていた。
「これが、そのエネルギーの一端さ。僕にとってキミの命は、当てるか当てないかの気まぐれでしか存在し得ない」
鷹城は楽しそうに語った。
「お喋りだな。お前が飛べるようになったのはお前自身の力じゃなく、上から引き上げてもらったからだろ」
黒井の魔眼ルーペは魔力回路を視ることができる。それによれば、鷹城の膨大な魔力は翼を根源とし、彼の身体に根を張るように接続された線から供給されていた。
それを〝彼の力〟と表現するのは違うと黒井は断じる。
「……そうかもしれないね。でも、上に行くってのはそういうものさ。地位だって実力だけでは上には上がれない。繋がりで引き上げてもらうから上に行けるんだ」
「意見がコロコロ変わるんだな。まぁ、お前なんかが、人類の努力の
「へぇ……さっきのを見たのに怖くなかったんだ」
魔法陣が再び浮かび上がる。その光線は今度、黒井の顔面に照準が合わせられていた。
しかし、それは紙一重で回避される。
「――雷付与」
未だ光線の残粒子が空間を貫く刹那。避けた動作のまま唱えられたスキルは落雷刀に電流を流した。
放電は残粒子を
「なッッ――!?」
避ける暇などない。かろうじて視えたのは、冷酷な殺意のみ。
落雷刀は剣の
声にもならない叫びを吐いた鷹城の身体は、振り抜かれた角度へと落ちた。
「くっ……!!」
それでも、落下途中で体勢を立て直して宙に留まった鷹城。地上へ衝突はしなかったものの、ずいぶんと下まで落とされた。
見上げたビル屋上には、先程まで彼がいた場所から黒井が見下ろしている。
「怖くないのは、お前のほうが弱いからだ」
その言葉に、鷹城の額にはピクリと筋が浮かんだ。
「……それで僕より強いつもりなのか。滑稽だよ」
翼の根本から無数の触手が這い出てきて、それが次々と鷹城の体内へと潜り込んだ。
――ステータスの強化を行いました。
六枚の翼が優雅に羽ばたく。その緩慢な動きにまるで合っていない速度で鷹城は加速すると、彼自身が光線にでもなったかのように黒井へ放たれた。
響いたのは鉄と鉄とがぶつかり合う高い音。火花が散った空間には大剣を振るう鷹城と、それを落雷刀で食い止める黒井との
「まだだよ」
それを皮切りに、
「やるね……」
一旦距離を取った鷹城はそう呟いて
そして、翼の根本から再び触手がでてくると、さらに体へと繋がる線の本数を増やした。
――ステータスの強化を行いました。
ドクドクと魔力が供給される感覚に、鷹城の脳内は歓喜する。
口の端から溢れたよだれが地上へと落ちた。
「忠告しておくが、整合性のない強さには代償が伴うぞ」
そんな彼に黒井は言葉をかけたが、たぶん耳には届いていないだろう。
だから、諦めのため息を吐くと落雷刀を握りなおす。
鷹城の強さは、かつて黒井がそうだったように何かしらの代償が伴うだろうが、今現在は際限なく強くなり続ける化け物ではあったからだ。
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