第102話

「……ん? なんだ?」


 黒井は何気なく確認したステータスの《雷の陣営》の欄を見て、見間違いを疑った。


――拠点数:9


 拠点の数が増えてるような気がしたからだ。


――拠点数:9


「いや、見間違いじゃないな……」


 そして、表示バグの可能性をも疑いステータスを開きなおしてみる。


――拠点数:10


「ふ、増えた……!」


 どうやら、見間違いでもバグでもないらしい。


「どういうことだ……」


 などと顎に手を充てた推理ターンに入ってみる黒井だったが、頭の中では既に答えが出ていた。


 受け入れたくない……頭痛がしてきそうな答えが。


「まだ何も起きてないといいが」


 そんな不安に頭を抱えそうになりながら、ネットのニュースを開いた黒井。


 問題になっているなら、ニュースになっているはずだと考えたからだ。


 しかし、ダンジョンにおいてゴブリンが増えたなどといったニュースはない。


 代わりに、


「……スタンピード?」


 日本を揺るがす大規模災害が起きていた――。



 ◆



――二時間前。時刻は午後三時。


「さて、と……」


 高層ビルの屋上に降り立った鷹城は、その街並みを見下ろした。


 背後の六枚の翼は強風に煽られることなく、鷹城の身体を彼の意思のもと自在に宙へと飛ばす。


「まずは、一つ目」


 その翼たちは、鷹城が見る場所へ一直線に飛ぶよう向きを変えた。


 そこは、ダンジョンゲートが囲われている無機質な合金施設。


 屋上から飛び降りるようにトンッと鷹城の身体が宙を舞い、その場所へと急降下。


 その滑空は加速度的に伸び、音速にも達する鷹城の体は施設へと衝突。


 途端、空気を揺るがす衝撃波によって、付近にある建物のガラスが割れた。


 爆発とともにゲートを囲う防護壁も壊れ、地にはクレーターができる。


 着地、と表現するにはあまりにも行き過ぎた爆心地にて立ち上がった鷹城。


 その傍らには、むき出しの姿を晒したダンジョンゲートがあった。


「――出てこい」


 彼の声に反応したわけではないだろうが、その内側から一体のスライムが跳ねるようにでてきた。


 ランクが低く、並の探索者でも簡単に倒せる魔物。


 一見その光景は、癒されそうなほど平和的に映る。


 しかし、そんな魔物がこの世界を踏みしめたという事実は脅威そのもの。


 なぜなら、他の魔物たちもまた、同じようにこちらへと出て来れるのだから。



 ◆



『先程、東京都中央区にあるダンジョンゲート施設が何らかの事故により爆発した模様です! 現在ゲートから魔物が出現した情報は入っていませんが、付近は大変危険な状態にあると予想されます! 近くにお住まいの方は速やかに避難してください! 繰り返します! 先程――』


 ラジオから流れてくる声は切羽詰まったように同じことを繰り返していた。


 その様子から、しばらく新しい情報は入ってこないだろうと判断した真田慎也は無意識に舌打ちをする。


「どうなってんだよ……こりゃあ……」


 彼が運転している車は渋滞によって10分以上もその場で停止していた。


 原因は分かりきっている。先の方に見える信号機が消灯し機能していないためだ。


 そして、道路には車が溢れかえっていた。


 聞こえてくるクラクションと、誰かが何かを叫ぶ大声。


 歩道には、車を乗り捨てて歩いている人たちも多数。


 その行く先は知らないが、彼らが離れようとしている方向には火災によって煙を立ち上らせる空が見えた。


「くそっ……まだ距離があるってのに」


 拳でハンドルを軽く殴った真田は、助手席に投げたままの鞄だけを持って車からでる。


 そのまま、人々の流れとは逆の方向へ走り出した。



 ◆



 探索者協会関東本部ビルの最上階。その室内では取り付けられた壁のテレビから、緊迫したニュースキャスターの声が流れ続けている。


 そんな中、


「報道機関は緊急招集よりも避難勧告を優先させるべきだろう。探索者には緊急事態のとき、協力することを義務づけてあるはずだ」


 会長である大貫総司はひどく冷静に、それでいて威圧的な声で部下に指示をだした。


「現在そのようにしてはいますが情報や連絡が混乱しており、被害を抑えられるほどの探索者が確認できていません。もっと大々的に探索者へ伝えなければ、魔物がゲートから出てきた場合に食い止めることができません」


 額に玉の汗を張り付けた部下がそう返すと、彼は微かに渋い表情をみせる。


「わかった。報道機関へはそう伝えなさい。そのかわり、現場にいる警察には避難を優先させるよう伝えてくれ。魔物を発見した際は、戦闘よりも報告を入れることが重要だと周知させるんだ。この事態はおそらく明日も続くだろう。公的機関には規定通りの行動を遂行するよう再三呼びかけなさい」


 その指示に部下が素早く部屋を出ていったところで、大貫は時計へ視線を送る。


――午後四時。


 時計の針は刻一刻と過ぎているものの、彼の頭のなかで行われている現場収束への流れは一時間ほど前から停滞しており、その行程は未だ半分すら満たしてはいない。


 そもそも、今起きていることが事故なのか事件なのかすらも分からない現状に苛立ちを覚えずにはいられなかった。


 いや、大貫はこの事態はほぼ〝事件〟だと直感しているからこそ苛立っていた。


 なにせ、それが起こったのが都心のど真ん中。しかも、事故が起きたダンジョンゲートは一箇所ではなく複数・・・・・・・・・


 何者かが仕組んだと考えるほうが納得のいく筋書き。


 しかし、最初に観測された謎の衝撃波によってあらゆる情報伝達機能そのものが麻痺しており、情報収集すら困難を極めていた。


「まさか都内のど真ん中でこんなことが起ころうとは……」


 テレビから流れ続けるニュースキャスターの避難勧告は、探索者へ向けた緊急招集へと変わる。


 それと同時に、別の部下が勢いよく部屋へ駆け込んできた。


「魔物の出現を確認しました! スタンピードです!」

「規模は……?」

「未だランクDが一体。ですが、他のゲートからも魔物が出現している可能性があるため何とも言えません!」

「報告があったのはどこからだ」

「SNSによる配信からです! 設置されている監視カメラは未だ復帰していません!」

「SNS……だと?」


 それはつまり、一般市民が投稿している可能性を示す。


 そして、既に事件発生から一時間が経過しているにも関わらず、そんな場所に彼らが居る事に驚きを隠せなかった。


「配信は現在も続いています」


 目の前に差し出されたタブレット画面には、壁に隠れるようにして撮られている街並みが映っており、人の姿が見えない道路には赤い目を光らせた熊が歩いていた。


 その大きさから、一目でこの世界の生き物ではないとわかる。



――すぐ避難してください!

――なんでこいつ避難してないの?

――魔物とか初めてみた

――まだ探索者いないんだ。情報提供とかありがたいじゃん

――すぐに配信やめろすぐに配信やめろすぐに配信やめろ

――正義ぶってるやつと冷静ぶってるやつしかおらん。俺? 俺は前代未聞の事態に大興奮してるよ?

――ちんこちんこちんこちんこ



 増え続ける視聴者数と更新が追いつかないほど爆速で流れるコメント欄。


 もはや情報統制すら出来なくなった現状に、大貫は机を殴って怒りを露わにするしかできない。


 そう……この現状を収束できるのは、公的機関ではなかった。


 彼らはあくまでも、市民に避難を呼びかけ誘導することしかできない。


 警察や自衛隊ですら魔物の前では無力。


 奴らと対峙できるのは、同じ魔力を持つ探索者しかいないのだから。



 ◆



「やっべぇ……すごい数が配信見てるよ」


 日本橋ダンジョンゲート付近。


 そこでスマホを掲げて配信している男は、普段まったく再生回数を稼げていない配信者だった。


 彼は、表示されている万単位の視聴者数に思わず笑みを浮かべずにはいられない。


 そして、カメラの画角から魔物が外れないよう集中する。


「なんか、魔物を配信できてんの俺だけっぽいな……」


 その唯一無二に、男は内心ほくそ笑む。


 彼は、たまたまゲート付近を通りかかっただけだった。


 そして、突然訪れた衝撃波に驚き逃げようとしたものの、ふと思い立ちその場に留まっていたのである。


 その時点では原因がゲート施設の爆発だと知らなかったものの、状況をネットで理解してからは魔物が出現するのを待っていた。


 そして、念願叶いようやく配信をつけたのだ。


「逃げ遅れたってことにすればいいし、この配信は世間のためにもなってるよな……」


 無意識にそんな言い訳を呟く。


 そんな彼は、自分が危険な状況であることを理解していたが、すぐに探索者がやってくるだろうと高をくくっていた。


 なぜなら、報道機関が探索者に呼びかけをしていることを知っていたし、探索者とは命をかけて人々を守る存在だと思っていたからだ。


「さぁ、ここには誰が一番早くにくるかな」


 彼は、既に人の見当たらないゲート付近にいたが故に、ここまで駆けつけるための交通機関が麻痺していることを考慮していなかった。


 やがて、画面内の魔物がふと何かに気づいた様子で空を仰ぎみる。


 その視線は、ゆっくり男のほうを向いた。


――いや、バレてないはずだ。


 壁に隠れながら配信を続ける男は、自身にそう言い聞かせる。


 しかし、その願い虚しく、熊型の魔物は赤い目を光らせながらこちらへと走ってきた。


「やっばいッッ!」


 画面がはげしく揺れたのは、男も走り出したから。


 コメント欄には悲鳴を表現する文字が羅列する。


 距離は十分にあったため逃げれるだろうと男は考えていたが、ブレる配信画面の秒間フレームには、すぐ背後まで迫る魔物が一瞬チラつく。


 直後、


「わぁあああああああ!!」


 配信画面は何度も反転し、男の叫びのあと、空を映したまま停止。


 視聴者たちはしばらくその配信に留まっていたものの、画面に変化がないことから次々と数を減らしていく。


 やがて――別の人間が同じような配信をはじめると、完全にそちらへ視聴者たちは移動していった。

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