第100話

 斧乃木有理にとって、裏切りによるレベリングというのはさして珍しいことじゃなかった。


 むしろ、それが魔物を殺すよりも楽にレベルアップできる手段だと知った探索者なら、一度はその行為を考えるだろうとすら思っていた。


 獲物として狙われるのは、非力なサポーターやヒーラー職。


 彼女にとって首藤零士という男は、その狩りから自分を助けてくれた探索者だった。



――約一年前半。



 森林型のダンジョン内で仲間とはぐれてしまった斧乃木は、引き返して探しに来てくれたアタッカーの探索者に殺されそうになったことがあった。


 いつ魔物が襲ってくるかも分からない状況下で、戦闘職に探してもらえた安堵ほど油断する瞬間はない。


振り上げられた武器にわけがわからず硬直してしまうのも無理はなかった。


 そして――それは勝利を確信していた探索者にも言えること。


「やっぱコイツ、どさくさに紛れて殺す気だったんだな」


 武器が地に落ち、殺そうとした探索者も倒れる。


「おー美味え。やっぱ、殺すなら弱い戦闘職に限るよなぁ」


 その探索者の背後に立っていたのは首藤零士。死体の首には短剣が後ろからの突き刺さっていて、一撃で即死したことが窺える。


 そんな首藤の視線は、未だ硬直したままの斧乃木へと向けられた。


「お前さ、今の報告したりする? するなら殺すしかねぇけど」

「助けてくれたのに、言うわけないじゃん……」

「ははは! バカだなぁお前? 俺が本当にお前を助けたと思ってんのかよ」

「……どういうこと」

「俺は、アイツが誰かを殺すだろうと確信してたんだよ。そういう奴は臭うからなぁ? だから、その瞬間まで待ってやってたんだ。お前は俺にとって、アイツを誘き寄せるための〝餌〟でしかなかったんだよ」


 首藤は目を細めて楽しそうに笑った。その狂気に斧乃木の身体は思わず震えてしまう。


「わたしも……殺すわけ……?」

「あ? お前ヒーラーだろ? 戦闘職でもないやつを殺したって何も楽しくねぇよ。殺されたいなら職業を変えろ」


 首藤零士は自分より弱い探索者を狙う卑怯者ではあったが、それはあくまでも戦闘職内だけのことであり、彼はサポーターやヒーラーを狙ったことはない。


 それを信念と呼べるかどうかはさておき、少なくともその時の斧乃木には都合良くも正義に見えた。


「ねぇ……あんたいつもこんなことしてんの……」

「んだよ。やっぱお前、俺を報告しようと――」

「そうじゃない」


 自分よりも強い存在に狙われるというのは恐怖でしかない。その状況で抗える力も手段もないというのは絶望でしかない。


 震える身体を自分だけで落ち着かせることはとても難しい。


「わたしを餌に使っていいよ。その代わり、必ず私を助けて」


 溺れる者は藁をも掴むというが、すがった相手を間違えたとは思わなかった。むしろ、今目の前にいる首藤に取り入らなければいつか自分は死ぬだろうとすら思った。


 首藤は値踏みでもするように斧乃木を見つめていたが、やがて――。


「良い死に方しねぇぞ?」


 試すような口ぶりで問いかけた。


「さっきのでとっくに死んでるから」

「ハッ! そうかよ。なら、取引成立だ」


 その瞬間から、斧乃木は首藤のレベリングの餌として生き始める。


 首藤にとって彼女は単なる餌でしかなかったものの、彼が約束を違えることは決してなかった。


 斧乃木は、首藤が生き残るためなら死んだっていいと考えていたのに――。


 そして、彼女は横浜ダンジョン攻略に無理やりにでも付いていけば良かったと今でも後悔している。


「今回は、お前よりも上等な餌がいるから要らねぇよ。開発途中の小型爆弾まで貰ったしな?」


 首藤はそう言って、斧乃木の申し出を断ったのだ。


 彼は死んでもおかしくないことをしていたし、殺されたって文句の言えない悪人ではあった。


 だから、きっと誰かに殺されたのだろうと斧乃木は考えていた。


 少なくとも、首藤は報告書にあったような魔物程度に殺される程度の探索者ではない。


 その犯人が、最近異常なほど名を挙げている時藤茜であるという話は納得のいくものだったが――。



「目を覚ましてください! 斧乃木さん!!」


 もう戦えぬ傷を負いながらも退くことなく堂々と立ち、懸命に声を張り上げる姿が――首藤零士と同じ部類の人間であるとは到底思えなかった。


 きっとその直感は正しい。


 斧乃木は、仲間を殺してきた人間の傍に誰よりも長くいたのだから。


 水と油が決して混ざらないように、人間の系統もきっと混ざり合うことはない。


 そして、首藤零士と混ざりそうな人間はむしろ――。


「あー……思ってたよりウザいな……」


 鷹城塁であるような気がした。


「時藤茜。首藤を殺したのはアンタじゃないの?」


 意味のない質問。その疑問を訊いたところで、たとえ犯人であっても違うと答えるに違いない。


「私ではありません……私は探索者です。殺すべきは魔物だけです」


 それでも、斧乃木にはその主張が真実であると感じた。


 時藤茜という人間は、ドがつくほどの聖人なのだと思えたからだ。


「鷹城さぁ、首藤を殺したのたぶんこの子じゃないよ」


 そう言って戦闘を止めようとした。そして、彼女に出来ることをしようと茜へと近づいていく。


 斧乃木有理はヒーラー。彼女にできることは治療と回復だけ。


 その相手は無論、傷を負っている探索者。


「キミ、何しようとしてんの?」


 しかし、それを阻止する存在が目の前を塞いだ。


 彼が握る大剣はすでに、大きく振りかぶられている。


 それは、いつかどこかで見た光景と重なった。


 そして――それを止めてくれる人は、もういない。


「やめろぉおおお!!」


 洞窟内に茜の絶叫が響いた。


 しかし、無情にも魔物を殺すための一撃は非力な探索者に振るわれる。


 やがて、呆気なく死に体となった斧乃木を、斬った本人は蹴るようにして卵の方へと放った。


「これで茜の希望は潰えたよね? もう誰もキミを助けられない。諦めなよ」


 卵から伸びて来たツタが、すぐさま斧乃木の身体を触りはじめ、皮膚の内側に根を張るようにして血を吸い上げていく。


 凄惨な光景に絶望的な状況。しかし、茜の心は折れるよりも先に、怒りによって燃えはじめていた。


 ドクンと、こめかみを走る血管の音が鮮明に聞こえ、腹奥から何かが裏返り込み上げてくるような感覚に陥る。



――【明鏡止水】が反応しています。

――殺意を抑え、力の解放を阻止します。殺意を抑えるため、他者への関心ごと破壊します。

――破壊に失敗しました。

――再び実行します。

――失敗しました。

――失敗しました。

――失敗しました。

――失敗しました。

――殺意を抑えきれません。

――力が解放されます。

――殺意の波動を思い出しました。

――職業が【狂戦士】に戻ります。

――筋力と持久が元の値に戻ります。

――体力の低下を感知しました。

――【狂戦士】の効果により筋力と敏捷が比例して上昇します。


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