第99話 大規模スタンピード

 東京都中央区日本橋。そこは東京のなかにおいても大都会とされるエリアであり、巨大なコンクリートビルや高層マンション、近くには皇居もある日本の中心部。


 無論、そういった場所でもダンジョンゲートの出現に例外はなく、確認されているだけでも数個のゲートが存在した。


 それらは厳重な管理によって治安維持されており、ゲートに入ることが許される探索者のランクも自然と高くなっている。


――選ばれた探索者。という表現は過剰かもしれないが、信頼のない探索者が闊歩かっぽできるほど迂闊なエリアではない。


「よく来てくれたね。じゃあ、行こうか」


 そんな場所で、アストラ所属のランクA探索者である鷹城塁は笑顔で時藤茜を迎えた。


 彼の後ろには、周囲のビル群からは少し浮いた格好の女探索者が一人。


 彼女を茜は知っている。アストラにいた頃に見たことがあったからだ。


「たしか、ヒーラーの斧乃木さんですよね」

「そう。よく知ってんね」


 両手はパーカーのポケットに突っ込まれており、常にガムを噛んでいる態度は一見横柄。しかし、その実力は上位であるため、律儀にも所属する探索者全員の顔と名前を覚えていた茜じゃなくても知っていた可能性は高い。


 職業はヒーラーだが、腰にはサバイバルナイフが装備されている。


「この三人だけですか?」

「ダンジョンのランク自体は低いんだよ。ここにランクAが二人いるだけでも戦力は過剰といえる。それに……今から向かうダンジョンには、公表されていない事があってね」


 その話はおそらくダンジョン内に入ってからするのだろうと茜は察して、それ以上は訊かなかった。


 好奇心はない。それが人類の脅威になる可能性があるのならば早急に対応しなければと思うだけ。


 ただ、ランクAが二人とはいえ、人数をあまりかけていない状況から、そこまで危険性はないのだろうと考えられた。


 しかし、そんな茜の予想は大きく裏切られる。



――ダンジョン洞窟内部。



「これは……卵……?」


 ダンジョン自体に広さはなく、出現する魔物も強くはない。


 しかし、暗闇の空間を照らすほど高濃度に圧縮された円形のモノが、岩壁へ根を下ろすように埋まっていた。


 それを卵と予想したのは、無害な見た目とは裏腹に強者の魔力が脈打っているから。


 その鼓動は空間を微弱に震わせており、その度にピリピリとした緊張感が肌をかける。


 探索者としての本能が、「それは危険だ」と告げており、身構えずにはいられない。


 そんな茜の様子を横目で確認した鷹城は「そう」と頷く。


「なんの卵かはわからないけれど、かなりの大物だってことはわかる」

「これはすぐにでも破壊しなければいけません……。もし産まれてしまったら、私たちにも手に負えない可能性が高いです」


 そう言い、弓に矢をつがえようとする茜。


「まぁ、待ちなよ茜。これを残してるのは研究のためらしいんだ。その成果は今後、より良い結果に繋がるかもしれない」


 鷹城はそんな彼女の前に立つと微笑んだ。


「……理解できません。あなたなら、あの中にいる魔物がどれほど危険な存在かわかるはずです。ましてやこのダンジョンがあるのは都心のど真ん中。そもそも〝これ〟を国は認識しているのですか?」


 立て続けに質問をする茜だったが、別に答えを求めているわけじゃなかった。


 欲しているのは、ただの攻撃許可。


「当たり前じゃないか。横浜ダンジョンの悪夢は、まだ人々の記憶に新しいからね」


 それを緊張感のない笑みで答えた鷹城。


「それに、卵がいつ孵るのかも分かってるんだ」


 彼は岩壁に埋まる卵を愛おしそうに見やる。その卵が発する鼓動は、今にも孵りそうなほど克明。


「一体、いつ孵るのですか?」

「今だよ」

「……え?」


 卵に意識を集中するあまり、茜は聞き間違えたのかと思った。


 だが、


「今だよ。茜」


 聞き間違えなどではない。


 卵から振り向いた鷹城は背中の大剣に手をかけており、その視線は獲物を狙うかのよう。


 直感的な危機を感じたものの、同じ仲間である探索者が自分に向けている表情の違和感に、感情は答えを求めて停止してしまう。


 故に――、背中に走った激痛にすら、彼女はすぐに順応できなかった。


「……え?」


 痛みの正体を知るために首を回そうとする。


 そこには、息遣いが聞こえてきそうなほど接近していた斧乃木の顔。


 何かがつっかえて身体がうまく動かない。


 呼吸をしただけで、体内の臓器を引っ張られるような痛みに軽い目眩がした。


 直後、なにかの反動で跳ね返るように腕が高く上がり、手に握っていたはずの弓がカランと地に落ちる。


 気づけば、大剣を振り抜いた鷹城の姿が目の前に迫っていた。


 卵の光によって顔は陰に隠れていたものの、その表情はやはり、笑みを浮かべているような気がする。


 わけがわからず混濁する意識。それでも、本能は反射的に身体へ指令をおくった。


 タンッと、背後の斧乃木へゼロ距離での体当たりをかましながら同時に鷹城から距離をとる。


「ぐッッ……」


 押し潰されたようにくぐもった声を発した斧乃木は着地とともに後ろへ跳ね飛ばされ、鷹城が振り抜いた二撃目は茜のいた空間を斬った。


「やるなぁ……さすがはランクA。みんな今ので死んじゃうのにさ」


 感嘆の声は楽しそうに上ずっていた。無意識に痛みが発する箇所へと茜は手を充てようとしたものの、そこに手のひらはなく、むしろ肘から先がない。


 斬られたのだと、ようやく理解。


「……かはッッ」


 そして、息苦しさに咳き込んだ瞬間に口に広がった血の味で、背中を刺されたのだとも理解した。


 思わず膝をつきそうになり、寸前でこらえる。


 そんな茜の様子を鷹城は面白そうに眺め、尻もちをついていた斧乃木は憎しみの視線を外すことなくゆっくり立ち上がる。


「理由を……聞いても?」


 答えを求めているわけじゃない。それは単なる時間稼ぎ。


 痛みはあれど、称号【明鏡止水】のお陰で思考は冴えていた。


「粛清だよ。茜は裏切りによって首藤零士を殺しただろう? その報いさ」

「首藤……零士……」


 身に覚えはない。首藤零士は横浜ダンジョン内部で死んだが、そこに茜は関わっておらず、その事実を知ったのもダンジョンを出てしばらく経ったあとだった。


「なるほど……。それを口実に、斧乃木さんを騙したんですね」


 それを否定したところで意味はない。勘違いをされる原因など何一つなかったからだ。


 つまり、これは最初から仕組まれている・・・・・・・・・・・・・・


 おそらく、斧乃木を騙すために。


「……」


 鷹城は何も言わなかったものの、笑み薄くなり目は細くなった。


「さっきの剣の二撃目……あれは私だけでなく、斧乃木さんまで斬りかねない振りでした。あなたは騙されています」


 鷹城を警戒しながら茜は斧乃木へと語りかける。


 彼女はヒーラーであるため、もし味方につけられたなら勝機はあると踏む。


 チラリと弓を見るが落ちている場所は遠い。そもそも、片手が失われている時点で使えはしないだろう。


 それでも、背中の筒にある矢を手に取り手裏剣のごとく素早く投げる茜。


 キィン! と鷹城の大剣に薙ぎ払われたものの、殺傷力は十分。


「それでも戦えるのか……」


 彼女は【弓術】だけじゃなく【投擲術】のスキルも持っていた。


「たとえ戦えなくとも……最後まで戦うのが私の使命です。そして、その矛先は人ではなく魔物であるべきです。私は、須藤さんを殺していません」

「苦しい言い逃れだね」


 鷹城の剣が再び迫った。それを見極めて茜は回避。


 瞬間的な対峙に見合う視線は互いを完全に捉えていた。


 反撃の蹴りは鷹城の腹にヒットするものの、痛みのせいで威力はない。追劇で矢を取り至近距離で投擲。


「くっ……!!」


 今度は、彼が距離を取らずにはいられなかった。


「あなたが横浜ダンジョンで私を殺そうとしたことは鮮明に覚えています! あれから……何も変わっていない!」


 血の液を口から飛ばしながら茜は叫ぶ。


 強さすら、きっと変わっていないのだろう。


 ランクAに上がったばかりの手負いに、こうも呆気なく反撃されているのだから。


 その後も鷹城は茜へと攻撃を繰り返したものの、その剣が彼女を捉えることはできず。


 斧乃木も機を伺っていたものの、彼女はアタッカーではないため攻撃に参加することはできず。


 それでも、茜の体力はじわじわと消耗しているため、いつか決着はついてしまうだろう。


「斧乃木さん! 裏切り者は鷹城塁のほうです!!」


 そんな状況に置かれてなお、覇気ある主張を響かせる茜。

  

 そんな茜の姿勢に、決着がつくよりも先に鷹城の精神が限界を迎える。


「――チッ」


 舌打ちは悔しさからというより、込み上げる怒気から。それほどに彼の表情には感情が漏れ出ている。


 瞳孔は開き、禍々しい視線が茜をゆらりと見据えた。


「あー……思ってたよりウザいな……」


 鷹城はゆっくりと、悪態をついた。

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