第98話 

 ほこらの戸を開ける直前、黒井は一瞬躊躇したものの、観念して戸を開いた。


 キィという音とともに室内に陽が差す。それでも暗がりの奥までは届かず、次第に目が慣れるにつれ、未だ記憶に新しい光景が浮かびあがった。


「……ずいぶんと早い再会じゃの。もう二度と会うことはないと息巻いておったのではないか」


 いたずらっぽい笑みすらもそのまま。二本の角を額から生やす女は、変わらぬ姿で黒井を見つめていた。


「……ああ。だから来るかどうか迷ったんだが、知らなきゃいけないことがあってな」

「お主は訊かなかったではないか。しかも、満足したように「知りたいことは知れた」とも豪語しておった」

「状況が変わったんだよ……。時間も惜しいから単刀直入に訊くが、《雷の陣営》が攻め込んでるダンジョンってのはどこのダンジョンだ?」


 その質問に女はすぐ答えようとはせず、「ふむ」と勿体つけた。


「それを知りたいのなら、お主がそのダンジョンに赴けばよいではないか」

「もしそこで他の探索者と出会したら不審に思われるだろ。俺が鬼であることがバレるかもしれない」

「バレたって良いではないか。恥ずべき事など何一つない」


 平然とそんな返答をしてきた女を、黒井はまじまじと見つめた。


「本気で言ってるのか……? バレたらどうなるのかなんて、角を生やしてるあんたが一番よくわかってるだろ? ……馬鹿なのか?」


 しかし、女が態度を崩すことはなかった。


「馬鹿はお主じゃ。何故そうまでして隠そうとする? 能ある鷹は爪を隠すと云うが、それは敵を騙すためであろう。お主にとって他の人間は敵か?」

「敵かどうかを決めるのは俺じゃない。そして、敵であると判断されたら厄介だ」

「なぜ理解を求めぬ? 理解してもらえなければ、理解させればよい。お主は人間の敵ではないのだと」


 黒井は女の意図を掴みきれずしばらく沈黙。


 やがて、訝しむような視線を彼女に向けた。


「……教える気があるのかどうかだけ訊いていいか?」

「あるに決まっておる。わしはお主の味方じゃからな。今、《雷の陣営》が攻め込んでいるのは、【名も無き洞窟】から最も近い距離にあるダンジョンじゃ。お主の配下が使える【鬼門】の圏内は10キロ程度じゃからな」

「なるほどな。そもそも《雷の陣営》ってのはなんだ?」

「お主の陣営のことじゃ。根本的な話になるが、この戦争はどちらかを支配し終えるまで決着はつかぬ。現状人類はただの防衛戦を強いられておるからな。攻め込める者がいなければ、いづれ戦場は現し世へと追い込まれていくじゃろう」

「スタンピードか……」


 スタンピードとは、ゲートから魔物が溢れだす事態のことを指した。


 世界的にみれば、スタンピードの例は少なくない。


 しかし、それは治安維持がされず半ば放置されているランクの低いダンジョンばかり。


 高ランクのゲートから魔物が溢れだしたら甚大な被害をもたらしてしまうため、それらは優先的に攻略しなければならなかった。


「《雷の陣営》以外にも陣営ってあるのか?」

「当然あるが、解放されているかどうかは知らぬな」

「初めて知ることばかりだな……。それと思わしき事柄もないし、もしかしたら《雷の陣営》が初めてなんじゃないか……?」

「ふむ。陣営は8つあるはずなのじゃが」

「8つもあるのか……」

「雷・氷・炎・石・影・夢・血・魂の8つじゃな」

「なんか物騒な語感が多いな……。火、水、土、風とかじゃないのか」

「魔を支配できるのは魔に通じる存在だけに決まっておろう。故に、陣営の王たる資質は魔眼持ちじゃ」

「あー……、【魔眼08】ってそういうことかよ……」


 黒井は、ステータス上で魔眼ルーペがナンバリングされていた事に今さら納得。それは覚醒した直後は気になっていた疑問だったのだが、答えもなく手掛かりすらなかったため完全に忘れていたのだ。


「なら……、魔眼持ちに聞いてみればいいのか……」

「それは止めておいたほうがよい」


 彼女は、黒井の独り言に強い声で否定する。


「……なんでだ」

「魔眼は所詮資質に過ぎぬ。魔眼を持っているからといって、必ずしも陣営の王になれるわけではない。同じ魔眼を持つ者もいるはずじゃ」

「俺が持つ魔眼ルーペは、今のところ俺一人だけだよな……?」

「わしの眼球は2つしかないからな。お主の魔眼は贋作がんさくではなく産地直送じゃ」

「産地直送て……。というか、それで俺が死んだらどうするつもりだったんだ。変異する前に死ぬ可能性を考えなかったのか?」

「わしは候補を無作為に選んだわけではない。お主が死んだ場合、鬼の変異に相応しい者がいなかったというだけじゃ」


 女はあっけらかんとそう言った。


「とにかく、人間にバレたくないのなら極力ダンジョンの制圧はやめることじゃな。もしバレてしまったなら、その人間を殺してしまえばよい」

「思考がつくづく悪役だな……。ったく、次から次へと……」



――《雷の陣営》によって、ダンジョンボス【ワイルドボア】が倒されました。

――ダンジョンボスの権限が《雷の陣営》に移りました。



 黒井がため息を吐いたとき、《雷の陣営》の動向を知らせる天の声が脳内に響いた。


「どうやら、全滅はしなかったようじゃな」

「ワイルドボアがボスってことは、攻め込んだダンジョンはランクDか、高くてもCの低ランクだったらしい。あいつ等の強さなら余裕だったかもな……」

「既に知っておるじゃろうが、制圧条件は百の鬼を配下とする【百鬼夜行】じゃ。ボスが変われば出現する魔物も変わるからの。陣営として増えるのはここからしばらく経ってからじゃろう」

「それが終われば戻ってくるわけか」

「待たずとも、お主が直接行けばよい」


 その提案に黒井は首を振った。


「ばったり他の探索者と出くわしたくないからな。奴らが戻ってくるまで待つよ」

「そうか。まぁ、好きにするが良い」


 黒井は、オーガ率いるゴブリン部隊が戻ってきたら、勝手に他ダンジョンへ侵攻はしないよう言い聞かせることを決める。



 そして――その頃。



『このダンジョンは呆気なかった……』


 オーガはそう呟くと、近くにいるホブゴブリンを呼びつけた。


「ぐぎゃ!」

『私は王のため、このまま次のダンジョンへと侵攻する。ここのダンジョンボスの権限はお前に渡す』

「ぐぎゃ!」

『制圧後【雷の塔】になったら、お前も他のダンジョンに侵攻することができるようになるだろう。そしたら配下を連れて鬼門を開き、私と合流するのだ』

「ぐぎゃぎゃ!!」


 それからオーガは、配下のホブゴブリンにダンジョンボスの権限を渡すと新たな鬼門を開いた。


『行くぞぉおお! 続けぇええ!!』

「「「ぐぎゃぎゃ!!」」」


 そして、二つに分けたゴブリン部隊の一方を連れ立ち、次のダンジョンへと侵攻を開始したのだった。

 

 


 




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