第96話

「え? 行きませんよ」


 疑問符の直後、秒で返された答えに茜の表情は思わず固まってしまった。


 その返答を予想していなかったわけではなかったが、あまりにも興味なさげだったのが意外だったからだ。


「あの、理由をお聞きしてもいいですか?」

「理由って、別に俺が誘われたわけじゃありませんから」


 平然と返ってくる言葉に、脳内の処理速度が追いついていないのか茜の反応は鈍い。


 グラスの中の氷が溶ける音が聞こえるほど、会話のテンポは悪かった。


 それはまるで、別れ話でもしている恋人みたく。


――まぁ、付き合ってもいないんだが。


 なんてツッコミを黒井が心中で唱えられるくらいには。


「……取り敢えず、なにか頼みましょうか」


 やがて、沈黙に耐えきれずメニュー表を手に取った黒井がそう切り出し、近くにいた店員に「アイスのコーヒーのブラックで」と簡潔に注文。


 茜も慌てたように何か注文しようとしたものの、渡されたメニュー表をじっくり見始めてしまい店員は前かがみのまま停止。


「あとからまた頼みます」


 そんな様子に黒井がそう告げると、店員は金縛りから解けたようにテーブルから離れていく。


「……新作……いや、でもこれも美味しそうだし……」


 メニュー表とにらめっこする茜はそれすら気づかず何やらぶつぶつと独り言。


 もはやマイペースすぎる彼女に黒井は苦笑するしかない。


――回りくどいのは苦手なんだろうな。


 その日、とある喫茶店に呼び出されてここまで受け身で話を聞いていた黒井はそう判断。


「茜さんはそのダンジョン攻略に行こうと思ってるんですよね」


 だから、強引に会話の主導権を握ることを決意した。


「あー……、はい」


 メニュー表越しに見つめる顔はどここ気まずそう。


 その理由が、黒井にはわかる気がする。


「茜さんは、そういうのを見過ごせない人ですよね」


 発した言葉に、茜は浮かない表情のまま何も言わず。


「言っておきますが皮肉じゃありませんよ。俺はそういうのが気にならないタイプなんで純粋に尊敬しますし、好きです」

「す、好き……ですか?」


 狼狽する茜に、黒井は頷いた。


「人間らしくて好きです。人は目の前で起きたことを無視なんてできませんから」

「そういうことですか……。でも、人間らしいだなんて大げさに言いすぎじゃないですか?」

「そうですかね。例えば、目の前で子供が転んだら多くの人は駆け寄って助けようとするじゃないですか。でも、助けない人だっていますよね? 人は一人じゃ生きていけない生き物なので、俺は助けるほうが人間らしいと思うだけです」


 黒井から見る時藤茜とは、そういった人間だった。


 厚かましいほどの無条件で、善を選び取る聖人君子。


 たとえそこに如何なる危険があろうとも、彼女はきっとそれを選んでしまうだろう。


 きっと、身を滅ぼすまで。


 正直、その姿に幾ばくかの憧れみたいなものを抱いていた時期はあった。


 それが、探索者としてあるべき姿なのだろうとも黒井は考えていた。


 しかし、今はそうじゃない。


「俺が横浜ダンジョン攻略に参加したのは過去の自分を精算するためでした。茜さんのパワーレベリングに協力したのは、茜さんにはランク昇格する実力があると確信していたからです。それらは名前も知らない誰かのためじゃなく、名前を知ってる誰かのため。俺はそこまで器のおおきな人間じゃないんですよ」


 アイスコーヒーが運ばれてきて会話が中断。


 そのタイミングで、茜は今度落ち着いて甘いラテを注文する。


「じゃあ……今回は私のために一緒に来てくれませんか」


 それは、あまりにも自然に投げかけられたせいで、黒井は自分に言われたことに一瞬気付けなかった。


「茜さんのため、ですか?」

「はい」


 その声にはこれまでの鈍さとは違い、時藤茜らしい明瞭さがあった。


 そして、それこそが呼び出された本題なのかもしれないと理解する。


 茜が黒井に話をしたダンジョン攻略。それはアストラが管理しているダンジョンであり、鷹城塁が彼女に持ってきた話だった。


 鷹城塁の人間性を黒井は横浜ダンジョンで見ている。


 彼が茜に何をしようとしたのかも。


 それを考えれば、彼女が助けを求める気持も分からなくはなかった。


 なら、行かなければいいじゃないかという結論で終わる話ではあるのだが、彼女にはそれができないことも理解している。


「茜さんは十分強いですよ。俺が助けるなんて、おこがましいほどに」

「ですが……――」


 食い気味の否定は、呆気なく途切れた。


 言葉を発するよりも先に、黒井の目を見て悟ってしまったからだ。


 その判断が覆ることはない、と。


「茜さんはランクAの探索者です。それは自信を持つべきことだと思います」


 彼女の不安はわかる。だからといって知らぬ存ぜぬが出来ない彼女の性分もわかる。


 しかし、それらを自身の力で何とかできなければ、この先も同じだろうという予感が黒井にはあった。


 そして、彼女ならばそれを何とかできるだろうという確信も。


「……わかりました」


 渋々の承諾。それでも黒井の気持ちが揺らぐことはなかった。


 十分強いと言った言葉に嘘偽りはない。わざわざ魔眼で見ずとも、時藤茜からは強者の魔力を感じられる。


 ランクAの魔物であっても、彼女を殺すのは容易ではないだろう。


 日本に出現するダンジョンに、それができてしまえる強い魔物が出た例も少ない。


 だから、余程のことがない限り茜は生還するだろうと黒井は考えていた。





――アストラルコーポレーション探索者専用訓練施設。


 そこにあるトレーニングルームにて、鷹城はとある女探索者を呼び出して話をしていた。


 その女探索者はベースボールキャップにパーカーといったラフな格好をしており、その口では風船ガムを膨らませている。キャップから流れる髪は染めたばかりなのか、鮮やかな茶色をしていた。


 斧乃木おののぎ有理ゆうり。彼女はアストラ所属の探索者であり、ランクBのヒーラー。


「……そんで? 首藤すどうは誰に殺されたのさ」


 キャップのツバ下から漏れる殺気の視線に、鷹城は緩みそうになる口元を必死に繕った。


「茜だよ」


 そう答えた直後、風船ガムがパチンと破裂した。


「首藤が裏切りによるレベリング疑惑をかけられていたのは知ってるだろ? そして、そういうのを茜は嫌っていたからね」

「黒井賽って野郎は? 一度ここの訓練施設にいた奴……あいつが首藤と一緒に行動してたって聞いたけど?」

「彼も共犯だろうね。僕はその現場を見たわけじゃないから憶測でしかないけど、ランクAの暗殺者を殺すのなら茜一人じゃ厳しかったはずだ」


 斧乃木は話を黙って聞いていた。そして鷹城は、流暢に話を続ける。


「首藤と一緒に死んだタンクもグルじゃないかな。ソイツは茜に好意を抱いていたらしいからね。その気持ちを利用でもしたんだろう。タンクとヒーラーとアタッカー、彼らが不意をついて襲ったのなら、首藤が死んだことに合点がいくと思わないか?」

「……でも、首藤アイツは裏切りで死ぬような奴じゃないよ。アイツ自身がそれをやってきたし、警戒もしてたはず」

「知ってるさ。これはあくまでも僕の憶測でしかない。でも――その三人のなかで、今も生きてる茜と黒井はどちらもランクAにあがってる」

「……は?」


 鷹城は自身が持っているスマホの画面を斧乃木へと見せた。


 そこに表示されているのは、黒井賽という探索者がランクAに昇格したという記事。


「ありえない……」

「だからさ。ヒーラーが普通のやり方でランクAに上がれるわけがないし、茜だって同じ。彼女は確かに実力ある探索者ではあったけど、ランクAになるのがあまりにも早すぎるとは思わないか?」

「……裏切りによるレベリング」


 斧乃木の呟きに鷹城はつよく頷く。


「首藤零士と長い付きの合ったキミら理解わかるだろ? こんなことはあり得ないんだ」

「……なんで、今さらそれを私に?」


 斧乃木の声は今にも決壊しそうな怒気によって微かに震えていた。


「今度、攻略予定のダンジョンに茜を呼んだんだ」


 そう言っただけで斧乃木はピクリと反応し、瞳孔の開いた目を向ける。


「それに私も連れていってくれるってわけ?」

「ああ。そのために声をかけたんだ」

「……そう」


 斧乃木は考え込むようにしばらく無言だったが、ふと鷹城へ視線を戻した。


「首藤の後釜あとがまは、アンタになったんだね」

「……さぁ? 何を言ってるのか僕には分からないな」

「別に話す必要なんてないよ。アイツだって私には何も言ってくれなかったからね。……でも、やってることは薄々分かってたし、それがヤバいってことも知ってた。だから、心配しなくたって口外したりしないさ」

「話がはやくて助かるよ。首藤の件は不運な事故・・・・・だったんだ。事故っていうのは強さに関係なく誰にでも平等に起こり得る。もしかしたら――時藤茜にだって起こり得るかもしれない」

「私が横浜ダンジョン攻略に参加してたら……それを防げたかもしれないのに」


 ガムを噛む口からはギリッと軋むような音がなった。


 そんな斧乃木に、鷹城は唇を噛み締めて同調を演じる。


 やがて、彼女はゆっくりと歩き始め、


「教えてくれてありがと。私は……刺し違えてでも時藤茜を殺す」


 鷹城とすれ違いざまに覚悟を口にした。


 そのまま斧乃木はトレーニングルームを出ていく。


 一人残された鷹城は、それまで堪えていた口元をおおきく歪めた。


「これでえさは揃った」


 その表情は笑ってはいたものの、瞳には憎悪が満ちている。


「もうすぐだよ……茜……」


 そう呟いた声はとても穏やかで、そのチグハグさは狂気のナニモノでもなかった。

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