第94話
鬼が人から生まれた存在であることを考えれば、鬼の醜さもまた、人の醜さであると結論付けられる。
短絡的な思考も、醜悪な見た目も、全てを無に帰そうとする暴力的な部分も、人から生まれたもの――で、あるならば、鬼であることに黒井賽が後ろめたさを感じる必要はなかった。
それが『人』であるのなら、人として堂々と振る舞えばいいだけのことだったから。
しかし、
「そう単純な話でもないよな……」
黒井は、そんな理屈がご都合主義に過ぎないと、ため息を吐いた。
――鬼と人は全くの別物だ。たとえ同じ血から生まれた同族であったとしても、人はそうは思わない。
それは……罪を犯した者を蔑んで断罪するように。
それは……才覚を発揮した者を天才と分類し、自分には無理だと諦めるように。
人は同じ姿かたちを持った人に対しても、簡単に線引きができてしまえる存在。
だから、鬼が人から生まれた存在なのだと世の中に示したところで、彼らが納得し受け入れてくれるはずはない。
「結局は、力か……」
その力の付け方もまた、人を遠ざける方法でしかなかった。
いくら最強の力を手にしたとしても、たとえ世界を救う力を手にしたとしても、その過程に大量虐殺があったのなら人が手放しで喜ぶはずはない。
いつか破滅を起こすだろう。そうじゃなければ、その未来を恐れ、〝彼女〟のように孤独を選ぶかもしれない。
「……はぁ」
再び、ため息。
黒井は額から突きでる角を隠す手段を得はしたものの、その結末を変えるような情報を得ることはできなかった。
むしろ、その逆。
「鬼になって憎まれるか……あるいは、人の形まま探索者として強敵に葬られるか」
そのどちらも、明るい未来ではない。
「もういっそのこと、みんな鬼にしちまうか……?」
なんて。
考えるのがだんだん面倒になってきて呟いてみた冗談。しかし、それすら現実的と錯覚してしまうほど今後のことに行き詰まっていた。
……いや、実際にはそこまで深刻に考える必要などないのかもしれない。
今や探索者としてのランクはAなのだし、ひっそりと隠れていれば取り敢えずの未来は安泰。倒せない敵が現れるとも限らず、もし現れたとしても、それは10年後かもしれないし100年後かもしれない。
まぁ、同時にそれは、明日かもしれないという結論にも至り、黒井の心を慰める楽観にはならなかったのだが。
そんな事に、もう何度目になるか分からないため息を吐きながら戻ってきた彼の視界には、鬼たちが対峙している光景が見えてきた。
その足元には、大量のゴブリンの死体と、その中にはホブゴブリンも数体。
どうやら、黒井が居ないあいだに烏帽子三人衆とゴブリン部隊は本当に殺しあったらしい。
彼らは睨みあいながら、今もなお臨戦態勢状態。
「そのへんでやめておけ」
彼らの真ん中に着地した黒井は立ち上がって目線だけで制止。
烏帽子三人衆と残ったゴブリン部隊はすぐに膝を下ろし、命令に従う意を見せた。
「とっくに終わってるかと思ったがな……」
戦力でいえばノウミ、ジュウホ、ヒイラギが圧倒的だと思っていた。だから、黒井的には【名も無き洞窟の主】率いるゴブリン部隊は既に全滅していると読んでいたのだ。
『主君! やつらのなかに武術を扱える者がいるのでござりまする!』
「ああ、俺が教えたからな」
『なななんと! そうでござりましたか!』
歯ぎしりをしながらゴブリン部隊を睨みつけていたノウミの表情が、途端に驚きから感嘆へと変わった。
それはノウミだけでなく、ヒイラギやジュウホも同じ。
『主君の手ほどきを受けていたのであれば、我らが苦戦するのも納得でござりまする!』
烏帽子三人衆はその理屈にウンウンと首を縦に振る。
「なに言い訳してんだ。苦戦してるのはお前らが弱いからだろ」
が、黒井はそれを冷めた一言で切って捨てた。
「……確かに、連携や技ってのは戦況を左右する要因だが、そんなのはあくまでも要因に過ぎない。ここまで戦いが長引いたのは、お前らが生き残りたいと欲張ったからだろ? 自分がなるべく安全な場所から相手だけを殺したいと舐めたから、無駄に戦いが長引いたんだ」
そう言い、黒井は地面を蹴った。
次の瞬間に彼の指が捕らえたのは、生き残ったホブゴブリンたちによって守られていた【名も無き洞窟の主】の太い首。
『がはッッ……! お、王よ……!!』
突然首を絞められた【名も無き洞窟の主】は狼狽する。
その姿はもはや、ただのオーガ。
そして、そんなオーガを無視して黒井の視線は未だ烏帽子三人衆へと向けられたまま。
「相手に死を与えたいのなら、自分にも死が与えられることを受け入れなければならない。その覚悟で戦えば、決着なんてすぐにつく。戦いを長引かせていいのは、長引かせることで勝機が生じる時だけだ」
烏帽子三人衆に向けられていた視線は、ようやく目の前の首を絞めるオーガにも向けられた。
「お前は……この戦いを長引かせることで、あの3人に勝てたのか? 無駄にゴブリンたちを死なせただけじゃないのか?」
指が食い込み、オーガの喉から苦悶の音が漏れる。
それでも、オーガは絶え絶えに言葉を発した。
『奴ら一人ひとり……わたしと互角、以上……。普通に殺し、あえば……すでに……』
「だから、お前なりに部隊を
スッと指の力が抜け、オーガはその場に崩れて咳き込んだ。
「だが、もっとやりようはあったはずだ。これだけの
『おっしゃる通り……です……』
「今回は、相手が力を振り回すことしか能のない馬鹿どもでよかったな?」
そう言って、黒井の視線は再びノウミ、ヒイラギ、ジュウホの烏帽子三人衆へ向けられる。
それに、ジュウホがいち早く反応した。
『フッ、ノウミとヒイラギが馬鹿で命拾いしたでござるな……。もし、超絶有能な
『馬鹿なのはジュウホ、あなたです……。ひとりで勝手に敵へと突っ込むから、私とノウミが残りの多くを相手取らなければならなかったのです。あと、海のモズクってなんですか? あなた、自分から馬鹿だと自己紹介していますよ?』
ヒイラギがため息。そして、ワンテンポ遅れてノウミがより大きなため息を吐いた。
『ヒイラギ……お主も一緒でござりまする。ジュウホにだけは手柄を取らせまいと、ジュウホの邪魔ばかりしていたではござりませぬか』
『なにぃ? どうりで上手く戦えぬと思っていたら、貴様ァァ!』
『な、なんですか! ノウミだって賛同してくれたではありませんか! それに……私は知っています! 私がジュウホの邪魔をしてる間、ノウミがより多くの敵を倒そうとしたことを!!』
『な、何を言うでござりまするか! こやつッッ……こやつが人狼でござりまするぅぅ!』
『人狼はあなたです、ノウミ! さぁ、ジュウホ! はやく私と協力して、今のうちにノウミの息の根を止めておきましょう!』
『お? お、おぉ……お? どどどどっちが本当の事を言ってるでござるぅぅ!』
「……ほんと、相手が足を引っ張り合うことしか考えてない馬鹿どもでよかったな」
彼らを見つめる黒井の視線は鋭さを失い、もはや虚無へと堕ちていた。
どうやら、ここで起きた殺し合いというのは、彼が想像した以上にしょうもないものだったらしい。
――こいつらには、手綱を握れる存在が必要だな。
頭痛がしてきそうなこめかみに手を充てて、そんな結論に至る黒井。
とはいえ、そのしょうもない戦いにおいて収穫はあった。
今や、亡骸と成り果てたゴブリンたちと生き残ったホブゴブリンたちとを見比べる黒井。
彼らの明暗を分けたのは単純な進化だろうが、その進化を促したのは間違いなく〝黒井による直接的な指導〟。
【雷の支配】によって仲間にするだけでは、おそらく
それを使える戦力として数えるのならば、黒井が直接強くしなければ意味がないのだろう。
しかし――。
「強くしたところで、俺が指揮できるわけじゃないしな……」
戦力を増やせば、それはれっきとした軍になる。軍には指揮官が必要だった。そうでなければ、数とはただの烏合の衆に過ぎないのだから。
黒井はかつて、たくさんの探索者たちと連携し戦ってきた経験を持つが、それはヒーラーとしての連携でしかなかった。
それ以降の戦いにおいては常に一人。
もちろん、それらの経験を元に『鬼の軍』を創れないこともないのだろうが――。
『ノウミ、前々からあなたのリーダー
『私がいつリーダー面などしたでござりまするか? ヒイラギが勝手にそう言ってるだけでありませぬか! そうであろう? ジュウホ?』
『ジュウホもそう思っていましたよね?』
『そ、某は……某ァァァァアアア!!!』
詰め寄る二人に、発狂するジュウホ。
その光景を見ながら、黒井は首を横に振る。
とてもじゃないが、黒井が彼らを指揮できるとは思えず、むしろ指揮したくないまであった。
「リーダー経験があって、鬼にしても心が傷まない都合のいい探索者でもいればな……」
なんて。
考えるのがだんだん面倒になってきた黒井は、そんな冗談を呟くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます