第93話
〝人を殺せば強くなれる〟と語った女の狂気を黒井は否定することができない。
これまでの経験と脳内に響いた天の声を思いだせば、それが真実であることは明白だったからだ。
――種族【人】を倒しました。ポイントが加算されます。
――レベルが上がりました。能力値が上昇します。
その真実に彼が救われた場面は何度もあり、目の前の鬼もまたそうだったに違いない。
他の存在よりも大幅に強くなれる手段があったからこそ女は生き残り、黒井もこの世界の地にまだ足をつけている。
それを正しいとするのならば、女の助言通りに
試すような女の視線に長く沈黙していた黒井はやがて口を開いた。
「その手段に……俺が気づかなかったとでも?」
敵意とも呼べる、決して穏やかではない感情の声音に女が浮かべたのは嘲笑にも似た笑み。
「いいや? もちろんその考えに至っているだろうとは思っておった。むしろ、もっと早くその手段を実行するだろうと予想していた。しかし――そうではなかったな」
「人を殺して強くなる手段を取るのなら、そもそもあんたを探そうだなんて思わなかった。事実に基づいて、それを実行すれば済む話だったからな。俺が聞きたいのはそういうことじゃない。それ以外の手段を知りたかったからこそ、俺はこうしてあんたの前に立っているんだ」
「そうかもしれぬ。しかし、それ以外の手段があったのならわしは既に話をしたじゃろう。それ以外の手段がないからこそ、わしはお主に人を殺すことを薦めておる」
「それは、俺にとって〝無い〟のと同じだ」
結局、やれることはこれまでと変わらない。
その結論に、黒井は女に背を向けた。
「もう、よいのか?」
引き止める声に、黒井は振り向いて冷たい眼差し。
「聞けば教えてくれるのか?」
「ずいぶんと嫌われておるみたいじゃな。聞きたいことはまだあるはずじゃろ?」
「あるにはあるが、それを知ったところでどうなるものでもない。現状、俺が知りたかったことは知れたからな」
「人を殺めることはせぬつもりか」
「あぁ。人を救うために人を殺すなんておかしな話だろ」
「そうでもなかろう? それは単なる〝数〟に過ぎぬ。少ない犠牲によって多くの同族を救うことは、人だけでなく虫や動物の世界においても当たり前に行われていること。それらしい理屈で誤魔化そうとするでない。お主がただ、そう在りたいだけじゃろ」
女の見透かすような言い方はいちいち黒井の
「そう在りたいと願うのは、別に悪いことじゃないはずだ」
「もちろんそうじゃの。しかし、その意地はいづれお前を殺すやもしれぬ」
女の言葉に黒井は鼻で笑った。
「もしかして、心配でもしてくれてるのか?」
煽ったつもりだったのだが、女は反応することなく口の端を吊り上げて見つめてくるのみ。
「心配もする。お主はこの世界で唯一わしの記憶を共有し、同じ痛みを知るいわば同族じゃ。心から理解し合える者を我々は本能的に欲する。そして、それを失う悲しみに誰もが恐怖を覚えずにはいられぬ。それがたとえ、神や悪魔といった存在であってもな」
「……本当にそうだろうか? あんたはただ、目的を達しようとしているだけじゃないのか? その計画には俺が必要で、それを失うわけにはいかないからそう言ってるだけなんじゃないのか?」
「捻くれておるのう」
「捻くれもするさ。期待をして裏切られれば、そのショックで思考は少なからず停止する。その瞬間に命を狙われることもなくはないだろ。いわば防衛反応ってやつだ」
「先に言っておくが、お主はいづれ人を殺さずにはいられぬじゃろう。快楽からではない。そうせねばならぬからじゃ」
「それはつまり……人を殺して強くならなきゃいけないほど、敵も強くなるってことか」
「その通り。お主も既に分かっておろう。変異体というのは完成された強さではない。それは、敵を倒すに至るための資格でしかない。真に世界を救いたくば、お主は人を殺め、効率よく強くなる他ない」
予言にしては、確信めいた断言だった。
「それは……あんたの経験に基づく言葉か?」
女は目を細め、やがて諦めたように息を吐く。
「そうじゃ。わしはかつて、そういった敵たちと戦いを繰り広げた。今起きていることは今回が初めてではない。数千年に一度の間隔で起きている世界の存亡をかけた戦争なのじゃよ」
「そのとき、あんたは大量の人を殺すことを選んだんだな」
「さよう。それこそが、わしに与えられた最も効率の良いやり方だったのでな」
「その記憶を共有することはできないのか?」
黒井はメモリーの共有を提案してみた。もしそれが可能ならば、黒井は目の前の鬼と同等の強さを手にすることができるからだ。
「できなくはない。が、全てを共有すればお主の存在はわしと同一化することになろう」
「同一化?」
「お主がお主ではなくなるということじゃ。言い換えれば、わしがお主の身体を借りて現世に顕現するということ」
そう説明をしたあとで、女は不敵にわらった。
「別にそれでも構わぬが、敵がわしよりも強かった場合、わしは強くなる手段に躊躇はせぬぞ? 敵を倒せるまで、人間どもを喰らい続けるじゃろう。幸い、人間の数はわしの時よりも遥かに多い。勝利を約束してやることはできるじゃろう」
「……もう、どっちが人類の敵なのか分からないな」
「奴らは世界の敵であって、人類の敵ではないからの」
今度は黒井が諦めの息を吐く。
「なら、その案も無しだな」
「……ふむ。まぁ、そう言うであろうと思った」
やがて、女は肩に立てかけていた月影刀を握ると黒井へと投げた。
それを掴んだ黒井は、意図を投げかけるような視線を女へと向ける。
「その刀は元よりお主に授けたもの。持って行くが良い」
「武器はもう持ってるんだがな」
手に持つ細身の刀を見ながら、後ろに背負う落雷刀の重みにも意識を集中させる。今さら二刀流になるつもりはなく、全く違う大きさの刀を両手に戦う気もない。
「月影刀は武器の形をしておるが、鬼を封じるための宝具でもある。角を隠すのに役立つじゃろう」
「あー……なるほどな? だが、二つの武器を常に装備しておくのは馬鹿っぽいな」
月影刀を腰に携えたあとで、そんな感想を呟いた黒井。
「案ずるな。ここに辿り着いた餞別も用意しておる」
瞬間、女が持ち上げた手の先からパチパチッッと電気が生じ、黒井の額の角にも同じ現象が音を響かせた。
――何者かのアクセスにより、職業【回廊の支配者】が昇格されようとしています。
――資格条件を確認しています……。
――称号【雷サージ】を確認しました。
――資格条件を満たしています。職業が【裏回廊の支配者】へと昇格しました。
――スキル【裏鬼門】を取得しました。
――ダンジョンの裏ボスになりました。
「裏回廊……?」
天の声に疑問を復唱。
「ここは角を持つ者にしか見つけられぬ場所であり、角を持つ者であれば本能的な嫌悪感で忌み嫌い近寄ろうとはせぬ場所じゃ。故に、「裏回廊」と呼ばれておる。ここを見つけることができるのは鬼を制御することができる者のみであるため、その月影刀がなければ不可能にも近い……はずじゃった」
「俺には【月の加護】があるからか」
「そうじゃろうな。その忌まわしき加護がなければ、わしとお主は出会うことはなかったはず」
「裏鬼門ってのはなんだ?」
「唱えるがよい」
説明をせず、ただ含み笑いをする女に黒井は「もう慣れた」と言わんばかりに躊躇いなくそのスキル名を口にした。
「――裏鬼門」
黒井の周囲に小さな亜空間が出現する。それは【鬼門】とは違い、人が通れるような大きさではなかった。
では、何がそこを行き来するのか?
その答えを黒井は想像し、やがてハッとして女を見やる。
「お主らの言葉では、「インベントリ」と呼んだほうが分かりやすいじゃろう。武器や道具を保管しておくための空間のこと」
「じゃあ、ここに……」
「好きなものを入れておくがよい。それは【裏回廊の支配者】である限りどこでも出現可能。取り出すときは道具の名を呼ぶだけでよい」
試しに、手に持つ月影刀を空間へと収納する黒井。
すると、月影刀はその存在を隠してしまった。
「――月影刀」
今度は、取り出すためにその名前を呼ぶ。
月影刀は先程と全く変わらぬ姿で、黒井の手に収まった。
「こんなことができたのか」
「誰にでもできるものではない。空間の支配とは、人智を超えた存在でなければできぬことじゃからの。お主はその為の条件を満たしただけのこと」
「生き物は入れられるのか?」
その質問に女は難しい表情を浮かべた。
「魂あるものが通れるのは【鬼門】のみじゃ。もしも、お主が魂をも保管したいと願うのなら、【飛雷神】によって神格化し【霊験投影:雷紋】を発動しなければならぬ。そこはどの空間とも隔離された空間じゃからの」
「ずいぶんと丁寧な説明だな。俺は「生き物を入れられるか?」と訊いただけなのに」
「誤った使い方をして後悔などしたくあるまい? だから教えたまでのこと。……とはいえ、お主の場合は適当な生き物で試したであろうな。わかりきっている結果を今ここで隠す意味はないじゃろう」
「確かに、俺はカエルとかネズミとかを入れて確かめたかもしれないな」
「生き物を入れられるのなら、どうするつもりであった?」
「別に何も考えてはいない。ただ、疑問に思ったまでだ」
黒井の答えに女は数秒沈黙した。
「……まぁ、よい。ついでに教えるのなら【霊験投影:雷紋】とは先程説明したとおり魂の保管ができる。その空間にいる魂は等しく、空間内にとどまり続ける」
「魂なんかとどめて意味なんてあるのか?」
「この回廊は、わしが作った空間じゃ。そして、ここには鬼どもの魂をとどめておる。意味があるとすれば――より強い鬼を創り出すため」
「鬼の魂というが、元々は人間だったんだろ? あんたが【鬼の芽】で鬼にしただけ」
「たしかに元々は人の魂ではあるが、彼らは鬼になる資質を持っておったのじゃ。そういう者しか鬼門を通れぬようにもしておった」
「まるで、「自分には責任なんてない」と言っているように聞こえるな」
「逆じゃ。責任はわしにしかない。故に、悪びれる事などせぬし、罪悪感を抱くこともしない。わしの魂もまた、この空間へと幽閉されつづけるじゃろう。未来永劫にな」
未来永劫。それはどれほどの月日なのだろうかと考えずにはいられなかった。
その、あまりにも気が遠い話に、考えても仕方がないことだと頭の中から振り払うしかない。
その
「もしや同情でもしてくれたか? よいのだぞ? お主が記憶の共有をしてくれさえすれば、わしはお主の身体で現世に顕現でき、それはつまり、この回廊から脱けだすことにもなる。適切な身体さえあれば、魂はいづれそこに帰着をするもの」
「やめてくれ……」
黒井は思い浮かべてしまった想像に顔を覆う。それに女は笑って「案ずるな」と柔らかな声をかけた。
「――鬼は、またこの先で起こり得る戦争に必要な力じゃろう。その力はかつて、人々の間に紛れておったが、わしがいる間はそうはさせぬ。その為に、わしはここに居るのじゃからな」
「……」
声音からも感じたように、手のひらを退けて見た彼女の表情もまた、柔らかかった。
女がここに鬼を閉じ込めつづけるのも、彼女自身が鬼としてここにとどまり続けるのも、すべては彼女の言う「未来永劫」のためなのだろうか。
しかし、あまりにも気が遠い話に、黒井はやはり考えることを諦める。
それを憂いたところで、彼にできることなど何もないからだ。
「あんた、名前は?」
「わしか? 名前などとうの昔に忘れてしまった」
「俺が適当に付けてもいいが」
言ってることの不自然さは承知の上だったが、それでも構わなかった。
そして、その不自然さに女は声を上げて笑った。
「別の名前を付けてもらおうなどとは思わん。わしの親はきっと、何かしらの願いを名前に込めたはずじゃ。それを忘れたからといって捨てようとも思わぬ」
「そうか」
「気持ちは理解した。それだけで十分じゃ。たとえ名前を教えたところで、お主がわしを呼ぶこともあるまい」
黒井は何か言わなければと感じて口を開くものの、そこから言葉は出てこなかった。
なにか言葉を繕うには、彼女と黒井との間にはあまりにも長い歳月が立ちはだかっていた。
「もう行くがよい。お主には、まだやるべきことがあるはずじゃ。つらい命運を背負わせたことを詫びよう。わしには、それしか方法がなかった」
「別に、謝ってもらおうだなんて思っちゃいない。あんたの介入があったとしても、俺は俺の生き方に不満を覚えるつもりもない。これまでも、これからも」
黒井は再び背を向けると、後ろ髪を引かれないうちに祠をでる。
そして、扉を閉じられた祠だけを数秒見つめてから、鬼門を開いた方角へと戻り始めた。
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