第92話

「あのメモリーは、あんたの記憶か」

「気づいておったのじゃな。……いや、というよりお主はわしの存在に気づいた上で要求したのじゃろう?」


 女は試すような口調でそんな質問をした。


「要求はしてないな。俺は、俺を死なせたくないなら何とかしろと言っただけだ。経験値を貸してくれなんて言った覚えはない」

「屁理屈を言うな。まだ力もないくせに無謀なことをしよって。わしが記憶を共有しなければお主は間違いなく死んでおったはずじゃ」

「というか、記憶の共有なんて可能なんだな?」

「アレができるのは角を持つ種族だけじゃ。その最たる例が竜族。奴らは角によって生前の記憶を代々共有し受け継いでいく。肉体が死んでも自我まで死ぬことはない不死の生き物。故に、悠久の一族などとも呼ばれておる」

「あぁ、たしかそんな事言ってたな……」


 黒井は横浜ダンジョンでドラゴンを倒した時のことを思いだした。あの瞬間、天の声はたしかに倒したドラゴンのことを【悠久の一族】と言っていたからだ。


「それで、おなごの記憶を経験した感想はどうじゃった」


 彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべて黒井に問いかけた。もちろん、黒井が垣間見たのは女としての記憶ではなく、鬼としての記憶。


「最悪だったよ。女って、あんなにたくさんの人を殺してるんだな」

「最低な感想じゃな……。わしが恥を忍んで記憶を見せたのじゃ。もっと気を遣うとかできんのか」

「あんただってずっと俺を見てたんだろ? だから、あの瞬間にタイミングよく記憶を共有することができたんだ」

「お主を見てたわけではない。お主の左眼を通した景色を見ていただけじゃ」

「左眼?」


 彼女はそう言って自身の左眼に人差し指を添えてみせた。


「お主が持つ左眼は、元々わしの眼じゃからな」


 それこそが、彼女がオッドアイである理由とでも言うかのように。


「一体、いつ……」


 黒井はその事実に驚いたものの、これまでの魔眼のことを思えば納得のいく答えでもあった。


「いつ目玉を交換したか、などということはさしたる問題ではない。黒井賽、わしはお主に鬼の力を宿らせ、鬼を御するための月影刀をも与えた。しかし、お主は早々にそれを手放した。わしは半ば諦めておったのだぞ?」


 女は肩に寄りかかる月影刀の鞘を撫でながら微笑む。


「その刀を用意したのもあんただったのか」

「これは鬼を御するために必要な刀じゃ。故に、これを手放したお主は、回廊を統べる新たな鬼として封じられるはずでもあった」

「……月の力か」


 そんな黒井の呟きを、女は鼻で笑った。


「月は所詮鬼の力を隠すためのものでしかない。それよりも重要なのは刀のほうじゃ。鬼を御するには、自身の首元に刃を突きつける戒めがなければならぬ。月影刀は完全な鬼となっても理性を保つための刀。故に、鬼狩り刀などと呼ばれてもおった」

「……そんなに大切なものだったなら先に説明しとけよ。というか、それ手放さないと勝てなかったぞ」

「お主が最奥に到達するのが早すぎたのじゃ。本来、月影刀なくして鬼になれば力を手にする代償として悪鬼となっていたはず」

「悪鬼……」

「死を何とも思わぬ輩じゃ。幾万という命を奪ってなお、心など微塵も動きはしない。故に、最強でもあるがな」


 そう豪語してみせた彼女の傲りには、どこか自責の念を感じるような気がした。


「たしか、武士道ができたのは鎌倉武士があまりにも冷徹無慈悲な最強の蛮族だったからって説あるよな」


 それは暗に「悪鬼はあんただけじゃない」という慰めの意図を含んでいた。黒井は彼女の記憶を見ている。だから、殺す理由が理解できないわけでもない。その結果だけをすくい取り、自身を悪鬼と分類し卑下してしまうのは極端な気がしたのだ。きっとそれは、鬼である彼女だけに当てはまる性質じゃなかった。


「そうかもしれぬ……。鬼へと至るには元々そういう資質を持っておらねばならぬからな? 鬼になれるのは狂った人間だけであり、人へ戻るには強靭な戒律が必要なことも確かじゃ」

「俺を狂った人間だと言ってるのか? それ」

「わしもそうだと申しておる。しかし、お主は月影刀などなくとも、鬼を御するための刃を既に持っておったようじゃの」


 黒井は、女から褒められているのだと理解はできたものの正直嬉しくはなかった。鬼を御する刃とはおそらく、物理的なものを指した言葉ではないのだろう。言い換えるのなら、強靭な精神力とかなんとかのたぐい。それを黒井が有していたのはたぶん、後悔しても変えられない絶望を経験していたから。


 力などなく逃げ続けた自分。それでも、探索者を諦めることすらできずにただ無意味な日々を送り続けた。そこから研磨された精神を肯定することは、そのために犠牲となった者たちの死までもを肯定することと同じ。


 彼らの死は自分が鬼になるために必要な死だったんだ! なんて……手放しで喜べるほど黒井はもう純粋ではなかった。


 もし、その死たちが決して無駄ではなかったのだと言うことができるのは、黒井が彼らの願いを成し遂げたときのみ。探索者たちの死が浮かばれるには、きっと世界は救われなければならなかった。


「……あんたが言ったとおり、この左眼がどこで交換されたかなんて俺も気にしてない。それよりも、俺はどこまで強くなれるのかを知りたい」


 目の前の女が超越者であり、黒井が彼女から力を与えられた変異体であるのならば、強くなれる上限を知っているはず。そして、その方法も。


 女はジッと黒井を見ていたが、やがて口を開いた。


「お主は強くなりたいのか?」

「ああ」

「なれば勝手に強くなれば良いではないか。これまでもそうしてきたのであろう?」

「俺を鬼にしたのはあんただろ。鬼が強くなる方法くらい教えてくれよ」

「鬼が強くなる方法か。そんなのはお主も知っているはずじゃ。今さら何を言っておる?」


 彼女は、黒井を小馬鹿にするように呆れながらその答えを口にしたのだ。


「人をたくさん殺せば良い。殺せば殺すほどに鬼は強くなれる。これは人を喰らう存在にだけ与えられたもの。謂わば、鬼だけが使える特権じゃ」

「殺し……」

「強くなりたいなら魔物なんかよりも人を殺せ。そうすれば、世界を救うこともできるじゃろ」


 彼女が提示したのはとても簡単な方法だった。そして、黒井は既に、人を殺せばより多くの経験値を得ることができる事実を知ってしまっていた。


 

 ◆



――東京都中央区。ランクCダンジョン内部。


「た、鷹城さん……これは一体どういうことですか……」


 その探索者は目の前の光景が信じられず、思わずそんな疑問を口にした。


「どういうことって何が? 見ての通りだけど?」


 それに鷹城は笑顔で答える。その顔には、たった今殺した探索者の返り血が付いていた。


「なんで、仲間を……」

「ああ、そういこと? こいつを孵化するのに血がいるんだよ」


 鷹城は洞窟内の壁に埋まる卵を指差すと、足下に転がる死体を卵のほうへと蹴りあげる。すると、卵の表面に張り巡らされたツタのようなものが伸びてきて、その血をごきゅごきゅと吸い上げる。


 そのおぞましい光景に探索者は唾を飲み込むと、鷹城へと視線を戻した。


「魔物の血でもいいんだけどさ、まだ全然足りないんだよ」

「その卵って、魔物じゃないんですか……」

「魔物だろうね。しかも、かなりの大物が生まれると予想してる」

「じゃあ、その卵は潰さないと……」


 探索者はそう言って武器を構える。その表情にはまだ、鷹城も協力してくれるだろうという希望を抱いて。


「潰すのは孵化してからだよ。……正確に言えば、孵化して、このダンジョンが日本中に注目されるほどのランクに上がってからだね」


 鷹城も武器を構えたが、その刃の先は卵ではなく探索者。その瞬間、探索者は自身の運命を察してしまう。


 勝てるはずがなかった。目の前にいるのは、日本でも有数のランクA探索者であり、あの横浜ダンジョンを攻略した数少ない生き残りでもあったから。


「なんでですか……どうして、こんなこと……」

「なぜ? もちろんアストラのためだよ」


 鷹城は静かに言って足を踏み込んだ。直後、彼の持つ大剣は呆気なく探索者の胴体をえぐり斬る。


「僕は時藤茜に汚された名誉を必ず取り戻す。そのための養分になってくれ」


 探索者は消えゆく意識の中、鷹城のそんな言葉を聞いた。しかし、それに答える力はなく、無機質な肉となったあとで他の仲間たちと同じように卵の養分とされてしまう。


 壁に埋まる卵は喜々を表現するように卵殻を光らせ点滅させた。そのテンポはまるで命の脈動のよう。耳を澄ませば、ドクンという鼓動までもが聞こえてきそうなほど。


 それを眺める鷹城は、卵の孵化が近いことを直感していた。


「ここまで来ると母性に目覚めそうだよ」


 そう呟いて照れたように笑うと、不意に悲しそうな表情をする鷹城。


「愛情をそそいだ我が子を殺さなきゃいけないなんて、神様も酷なことをするなぁ」


 鷹城はしみじみと言い、うっとりと卵を眺めたあと、悲しげな表情のなかに狂気の笑みを浮かべたのだ。


「たぶん、もうあと数人で生まれるなぁ。楽しみだ」

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